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未解決事件簿17:国内メディアへの告発、情報提供は完全無視

前回まで、この医療事故(カテーテル事故)とその後の隠蔽・放置により父が死亡した医療事故・事件に関わった医師を刑事告訴する目的で弁護士3カ所に相談し、なりすまし、買収など何らかの手段で病院側に取り込まれてしまうようで、いずれも失敗に終わったことを話しました。
 
「何故これほど上手くいかないのだろう」、「何故、病院とこちらの弁護士が結託してこちらを騙してくるのだろう」と考えていった結果、僕たちの行動が何らかの手段によって病院側に捕捉されている疑いが濃厚となってきました。
 
弁護士に相談に行くだけでは同じことの繰り返しになってしまい、この事件は永遠に解決しないと僕たちは直感しました。この後、活動を続けていく中で、この「直感」は、やがて「確信」に変わっていくことになります。
 
時期的には前後してしまいますが、僕たちは弁護士への相談と並行して、国内メディア・マスコミへの告発、情報提供、調査取材依頼も並行して進めていくことにしました。
 
インターネットで調べると、大手・中小新聞社、テレビ局、週刊誌などが、ニュースのネタ、告発、情報提供を募集していることが分かりました。インターネットで告発・情報提供の入力フォームを用意している新聞社、テレビ局、雑誌社も多く、僕たちはここに事件の概要を入力して、医療記録、捏造・偽造された死体検案書なども添付して送ることにしました。
 
まず大手新聞社に告発することにしました。
 
前回の弁護士への相談の時期と前後してしまいますが、第1弾は2011年5月末で、朝日新聞社、毎日新聞社、読売新聞社の3社を選びました。朝日新聞社には「こちら調査報道班」という入力フォームがあり、そこに事件の概要を2000字程度にまとめ、証拠資料も添付しました。また毎日新聞社、読売新聞社にはメールで同様の内容のものを送りました。
 
医療事故の内容とその後の悪質な隠蔽工作を分かりやすく簡潔な文章で説明し、これが世紀の大スクープネタであることを強調し、そして僕たちも事件解決の手段が封じられて困っているので助けてほしい、手を貸してほしい、と懇願する内容でした。
 
これは相手の情に訴える狙いと、各新聞社の「スクープが欲しい」という欲求に訴える狙いと、両方を意図したものでした。新聞社がこの事件の調査・取材をすることが、新聞社自身のためにも、僕たちのためにも、双方がWin-Winの関係になることを改めて「言語化」することを僕たちは意図した、ということです。
 
しかし3社からの返事は全くありませんでした。
 
7月から8月にかけては、新潮45、文芸春秋、中央公論、週刊現代、週刊ポストに同様の内容の調査・取材依頼を郵便で送りました。しかしたった1件の反応もありませんでした。
 
8月末には朝日新聞社、毎日新聞社、読売新聞社に、5月末と同様の方法で調査・取材依頼を申し込みました。2度目の申し込みで「しつこい」と思われる可能性はありましたが、マスコミの残された選択肢は少なく、手段を選ぶ余裕はなくなっていました。
 
すると、読売新聞水戸支局・T記者と名乗る男性から、電話がありました。
「事件の内容に興味があります。是非、詳しく話を聞かせていただければと思います」という内容でした。取材の日時は家族3人が集まれる日曜日を希望し、2011年9月4日に決まりました。間もなく父の1周忌が過ぎようかという時期でした。
 
この時点で僕たちがマスコミ各社に出した取材申し込みは10数回に上り、完全無視が続き意気消沈していましたが、この時は「やったーやっとこの時が来た」と歓喜の雄たけびを上げ、息を吹き返したものでした。
 
2011年9月4日、読売新聞水戸支局のT記者が自宅にやってきました。
 
僕たちは証拠資料を提示しながら、父が当初、カテーテル治療で事故に遭い、その事実を隠蔽・放置されたために回復不能となり死に至ったという経過と、病院医師が捏造した死体検案書を「警察官」に手渡され、騙されてしまったことを、その時の状況も含めて詳しく説明しました。
 
T記者は「記事にできるかどうかは今の段階では何とも言えません。これが事実であれば、社会的にも非常に大きな影響を与える事件ですから、慎重に進める必要があります」とコメントしました。
 
僕たちは「大事件ですが、この資料を読んでいただければ、僕たちがお話ししたことが全て事実であることが分かると思います。これをお持ちいただいて是非ご検討をお願いします」と懇願し、段ボール1箱に入れた証拠保全資料のコピー、僕たちが分析した膨大な2次資料を渡しました。
 
T記者は「私はこの後、福島原発事故の取材に取り掛かるため、調査は少し遅れると思いますが、9月中には進捗状況をご連絡します」と約束し、この場を後にしました。
 
T記者の言葉を信じ、9月末まで待つことにしました。しかし9月下旬になっても連絡はありませんでした。9月30日、メールの受信トレイを何度も確認しましたが、T記者からの連絡はありませんでした。9月30日23時59分から24時(10月1日0時)に切り替わったところで、メール強制受診をしましたが、T記者からのメールは届いていませんでした。T記者は口約束を破り、大新聞社の信用を失う行為を犯しました。
 
僕たちは10月1日に、「調査の進捗状況について9月中にご連絡いただくことをお約束いただいていたと思いますが、進捗状況はいかがでしょうか?」とT記者にメールを送りました。T記者が僕たちと連絡を取れない特段の事情がある可能性もあったため、T記者を責める文言は一切入れませんでした。
 
T記者からはすぐに返事が届きました。「福島原発事故の取材に行っていて、なかなか時間が取れませんでした。申し訳ありません」という謝罪のメールでした。「参考のため、これまで報道された他の医療事故について調査しています」ということでした。僕たちは「他の医療事故・医療過誤とは事件の性質が異なるため、他の事例はあまり参考にならないかもしれません。もし不明な点、疑問点等あれば、ご質問いただければお答えしますので、早めに進めていただければと思います」と催促しました。
 
しかしT記者からは「承知しました。不明点・疑問点があれば、お伺いしたいと思います」という返信がありましたが、その後、返信が途絶えました。
 
僕たちは、進捗状況について、その都度、確認のメールを送り、T記者から「もうしばらくお待ちください」の返信が届くということを繰り返していましたが、そのうち、その返信も来なくなりました。
 
最終的にT記者とは全く連絡が取れなくなりました。
 
読売新聞本社へも、T記者との経緯について説明し、T記者の状況を問い合わせるメールを送りましたが、返信はありませんでした。
 
こうして読売新聞・水戸支局・T記者とのやり取りは終了しました。
 
こちらが事件の調査・取材をお願いして資料まで渡しているわけですから、その後の進捗について報告・連絡・相談が全くなく音信を絶つというのは、大新聞社の記者とは思えない非常識な行為です。調査・取材の進捗状況を報告し、新聞記事にすることができなくなったのなら、その理由と経緯について依頼者である僕たちに説明する責任はあったはずですし、そのこともT記者に訴えましたが、返信はありませんでした。都合が悪くなると返信せず無視するというのは、こちらの代理人弁護士と同様でした。
 
T記者は、結果的には僕たちの話を聞いて、分析資料を持ち逃げしたことになります。
 
僕たちは既に憔悴しきっていました。
 
国内メディアへの告発、情報提供、調査・取材依頼はその後も断続的に続け、2012年1月にかけて、TBSテレビ・報道特集、ニュース23クロス、テレビ朝日・スーパーJチャンネル、日本テレビ・真相報道バンキシャ、フジテレビ・とくダネ、FNNネットワーク、週刊ポスト、週刊朝日に、指定のインターネット入力・送信フォーム、メールで送りました。しかしただの1カ所からも反応はありませんでした。
 
これだけの大事件なのに、弁護士もマスコミも、誰も相手にしてくれない・・・病院・医師からこれほどひどい扱いを受けた被害者、泣き崩れる被害者を誰も助けようとしてくれない・・・この世の中は、こんなひどい世の中なのか・・・と絶望し、泣き崩れ、ひざまずきました。
 
こうして国内マスコミの選択肢はほぼ使い切ってしまいましたが、弁護士の方は選択基準を変えればまだ望みは残っているのではないかと考えました。
 
僕たちの場合、医師の刑事告訴が一番の目的ですから、それなら弁護士を選ぶ上で、医療訴訟の経験の有無よりも、刑事事件に強いということを優先した方がよいのではないかと考えました。そこで元検弁護士(ヤメ検弁護士)を探して相談に行くことにしました。
 
次回はその話をしたいと思います。
 
追記①:最終目標は病院・医師の実名報道
僕の最終目標はこの事件を明るみに出して、この病院・医師の実名報道を実現することです。
 
追記②:「フォロー」と「スキ」のお願い
この事件に興味がある、この病院・医師が許せない、この病院はどこの病院なのか気になる、実名報道まで見届けたいと思われた方は是非、「スキ」と「フォロー」をよろしくお願い致します。

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