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くらしの日記

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終わりなき退屈な日常が生まれている

終わりなき退屈な日常が生まれている

先日、久しぶりに社外の方との打ち合わせに参加した。
たまたま欠席などもあり、自分以外の参加者がベンチャー企業の経営者だった。

打ち合わせは予め決められた通りに進行されて、大まかな内容は一端の人事でも分かる内容だったが、要所要所で経営者だからこそ分かる用語が使われたり、経営視点での悩みが話されていた。

そういった用語や悩みを聞きながら「分からないなぁ」とも思いつつ、ふんわりと「自分も同じように悩

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過去の自分を思い出すきっかけをつくる

過去の自分を思い出すきっかけをつくる

一応今日でnoteを再開して、1週間が経つ。
以前のnoteにも書いたが、文字にして曲がりなりにも伝わるように明文化することは面倒だという気持ちは変わっていない。
その前提で書いたからなのか、なぜ1週間続いたのか考えてみる。

大きな理由は繰り返しになるが「書くことは話すことと同じ、話すことができれば書くことは大概できる」「話す行為それ自体に楽しさを感じないように、書くことにも楽しさは感じないもの

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宗教画を描くひとの気持ち

宗教画を描くひとの気持ち

メトロポリタン美術館展に行ってきたので、そこで考えていたことを書いてみる。(美術批評では全くない)

この展覧会はアメリカのニューヨークにあるメトロポリタン美術館に所蔵されている約2500点の作品の中から、1400年代の初期ルネサンスから1800年代のポスト印象派まで、西洋絵画の500年を彩った65点を選び展覧されたものだった。

展覧会は
 Ⅰ. 信仰とルネサンス (15~16世紀)
 Ⅱ. 絶

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書く行為は全然楽しくない

書く行為は全然楽しくない

noteを連続で書き始めて3日目になった。
時々「note書いてるけど、文章書くことは好きなの?」と聞かれることがあるけど、文章を書く行為は全然楽しくない。だけど書いている。
いやむしろ「書く行為それ自体は楽しいことではない」なんなら「表現する行為それ自体は楽しい行為ではない」と最近気付いたからこそ、面倒くさいけど書くようにしている。

これまで「自分に合っている表現方法は何だろうか?」という問い

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自分のことばで話す

自分のことばで話す

今日、なんとなく手にとった『自分の〈ことば〉をつくる』という本を読みながら思ったこと、「自分のことば」について書いていく。

自分は前職で採用面接を担当していた。面接や面談をしていると、「自分のことばで話していないなぁ」とか感じることがある。それに対してあまり深堀りして考えてみたことは正直当時なかったけど、「自分のことばで話す」ってどういうことなんだろう。

「自分のことばで話していない」というこ

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日常の登山電車

日常の登山電車

そういえばこの前箱根に行ってきた。
コルクラボの定例会で発酵デザイナーの小倉ヒラクさんの話を聞いたからか、ふと「自然と一体化したい」というスピリチュアリズムが出てきて、水曜に決めて土曜には小田急ロマンスカーに乗っていた。

小田急ロマンスカーに初めて乗ったけど、座席横の窓が大きく設計されていて、周りの景色が見やすく、高層ビルやマンションが減り、軽自動車やガソリンスタンドが増えていく景色を観ながら「

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コラムやエッセイは振り返りから

コラムやエッセイは振り返りから

コラムとエッセイの違い

古賀史健さんの『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』という本で、コラムとエッセイの違いを下記のように書かれている。

コレをヒントに、最近ぼくのなかで「なるほど」と合点がいったことがある。

僕の解釈だが、
コラムは「気づき(法則性)を論理的に述べた文章」
エッセイは「自身の感情や感覚を描いた文章」
だと。

エッセイとコラムの書き方

よく1日の振返りや週の振返りに下記の

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カラオケはむずかしい

カラオケはむずかしい

先週末の土曜日のおひる。なんだかふと「カラオケに行こう」と思い立った。
いや「なんだかふと」と言ったけど、本当は「違うキャラクターを演じてみる」ということがやってみたくて、手っ取り早い方法は何かと考えた時にカラオケだと思ったの本音だ。

3年間に1度、二次会で嫌々行くようなカラオケ素人の僕は、とりあえず安いからという理由で近くの「まねきねこ」というお店を選んだ。確かに安くて1時間あたり数百円とかだ

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世界を表現するために物語をつくる

世界を表現するために物語をつくる

前回、ストーリーとナラティブの違いについて書いてみました。

だけど、今回はナラティブにしても、ストーリーにしても「そもそも物語は何のためにつくるのか」ということについて書いてみたいと思います。

なんのための物語なのか結論から先に行くと、物語は「つくり手の感情やその感情が付帯する妄想を表現するためにつくるもの」だと思っています。

いきなりで曖昧なので、ひとつひとつ説明していきます。
まずは「妄

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感動した作品で語り合いたい

感動した作品で語り合いたい

「今はストーリーの時代だ」とか「ストーリーが大事だ」と叫ばれて久しいけれど、いきなりストーリーを書こうと思っても、なかなかストーリーは書けない。

だから、まずその前に結論がなかったとしても「とりあえず何かを語る」ことから始めたい。では、どうしたら語りが始まるのだろうか。

ストーリーとナラティブ
いきなりだけど、まずはストーリーとナラティブの違いについて話しておきたい。日本語では、ストーリーとナ

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誰かの言葉を借りながら少しずつ語る

誰かの言葉を借りながら少しずつ語る

ここ最近は「どうやったらコミュニティ内・組織内で、雑談や自発的なコミュニケーションが生まれるのか」という問いについて考えている。

とは言っても、いまだに確からしい答えがあるわけではないけれど、なんとなく頭にあるのは
◯ 雑談を増やしたい本人が(立場の上下を感じさせない)発信をする(語る)
◯ 語ることのハードルを下げる
ということだろう。

「自らが語ること」については別の機会に書くとして、今日

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ふしめは自分でつくるもの

ふしめは自分でつくるもの

年末ということもあって、会社でも2021年の振り返りをする機会が増えてきた。チーム単位だったり、部署単位だったり、いろいろ参加させてもらって感じたのは「節目は自分でつくるものだなぁ」と。

なんというか「年末だから振り返ろう」と言われて、すんなり受け入れてきたけど、いつもより多く振り返りミーティングに参加したり主催しているうちに「なんでこんなに振り返りばっかりしてるんだろう...」とか思い始めた。

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"場"を開くだけの役割

"場"を開くだけの役割

今年の師走はなぜか忙しい。
務めている会社では、社内のイベントやら、評価制度やら、社内アンケートの導入やらやっている。
会社とは別に所属しているコミュニティであるコルクラボでは、新規メンバーの採用やら、運営やらやっている。

運営をやっていると言ったはいいものの、コルクラボの運営はちょっと複雑だ。
いちおう自分は肩書き上「コミュニティマネージャー(以下、コミュマネ)」になっている。けれど、一般的に

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呆れられることは怖いけれど

呆れられることは怖いけれど

今日は書きはじめるまでに時間がかかった。「この感情を書こう」と思って取り出した感情とエピソードが新鮮すぎて、文章として整理するのが難しかったからだ。

まぁそのエピソードは後で記載するとして、突然だが僕は計画を立てることが苦手だ。
旅行は計画を立てずに行きたいし、2週間後ですらの遊びの予定を入れることもしたいと思わない。裏を返せば「柔軟性が高い」って話かもしれないが、そんなかっこいい話でもなさそう

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