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心の中から込み上げた怒り①~大事に思われていないという嘆き~



※この記事は、私の思い込みから湧いた怒りを書いています。実際には伝えていませんが、大切な感情だと思いました。一部言葉がキツイ部分があります。ご容赦ください。


両親と再会した数日後、帰宅すると、ポストに不在票が入っていました。何だろう...?と思いましたが、差出人や、荷物の種類等の記載はありませんでした。
誰から...何だろう...?と思いました。そう思った少し後に、まさか... ... ...と、私は、父親からの郵送物ではないかと思ってしまいました。
以前、実家へ帰省出来ていた頃、私が帰った数日後に、父親は必ず、宗教組織が発行した書籍や雑誌に、それを読むようにという手紙を添えて送って来ていました。その事を思い出しました。
え...、...まさか、...父親からの郵送物...??
また...?!今回も?!...父親は、また出版物を送って来たのだろうか...?そういう思いと、いやいやまさか、もうそんなはずはない、さすがにもう...送らないよね...、という思いでした。


過去に、何度もありました。関係が拗れ、実家に行かなくなってからも、私は宗教組織発行の出版物は読まないからもう要らない、と言っても、何かきっかけがある毎に一方的に送られ、押し付けられました。要らない、と言う私の言葉や気持ちは無視され続けました。
私は、そういう出版物が届くその度に、父親は、私の気持ちを全く理解してくれない、ずっとわかろうともしてくれない。父親は、私自身を、私の気持ちを、心を、長い間繰り返し繰り返し、大事にしない、蔑ろにしている、と感じました。


幼少期から繰り返された体罰や、学生の頃の過度な制限、抑圧、父親からの同じ言動の繰り返しは、私にとっては、愛情ではなく、私は父親にとって、気持ちを思いやる事など必要ない存在なんだと。父親が力で抑えつけ、思い通りにしようとする存在なんだと感じさせました。
それは、私の中で、私は父親にとって、どうでもいい存在なんだという、無価値感に繋がりました。
事実、小学校低~中学年の頃、私はこの家にもらわれて来た子供に違いない、私は本当は他所からもらわれて来たか、どこかで拾われた子供なんだ、本当の両親は他に居ると、そんなふうに思っていました。(その後、私が産まれた頃やその後の写真があるのを見て、やっぱり私はここの家の子供なんだろうか...、じゃあ今の両親がやっぱり私の両親なんだ...と思った記憶があります。)
その、どうでもいい存在という、無価値感を感じたくなくて、父親に私の価値を感じてほしいから、父親に認めてほしいから、小学生の頃は子供心に無意識に、父親の喜ぶいい子になるしかなかった。
父親から、また、出版物が送られて来るという事は、ただそう考えただけで、私のその過去の父親の支配下での体験と、繰り返し気持ちを大事にしてもらえなかった記憶と、心の奥にあった気持ちに触れました。思い出し、怒りが込み上げました。

自分で驚く程、どんどん気持ちが先へ行ってしまいました。自分で自分に、落ち着いて、落ち着いてと。
それが父親からの郵送物だと、まだわからないし、決まって無いんだからと。全然違うのかもしれないし、と言い聞かせました。
誰からの何なのか、わからないのに、それでも気持ちが止まらずに進んでしまいました。もしも本当に父親からの郵送物だったら、どうしよう、と困惑し思いました。
もしも本当にそうだったら、また、父母は、何も考えずに、また私の気持ちを大事にしようとしてない...! と、本当に怒りが爆発して、私は両親に伝えなければならなくなる。そう思いました。
気持ちが押さえきれなくなって、書きました。とりあえず、伝えるとか伝えないとか考えたり決めたりせずに、その時感じている気持ちを吐き出す必要がありました。その時はもう、私は、父親からの出版物が届いた、手元に受け取った、そういう気持ちになっていました。


『 お父さんお母さん(以下、父母)、残念です。こんなふうにまた出版物を送って来られたという事は、私がこの間、久しぶりに再会出来て、あんなふうに手紙を書いて持って行った、その事の意味を、何一つ理解しておられない、という事だと思います。
なぜ、私が、こんなにも長い年月、帰省出来なかったのか、その理由など、何一つわかっておられない、という事だと思います。
私は、先日、自分の素直な気持ちを書いて、それだけを伝えられたら、それでいいと思っていました。でも、また、こんなふうに送られてくる、それではもう、自分自身の生き方や、尊厳を守る為に、やっぱりお伝えしないといけなくなりました。


例え話しをします。父母は、あるお茶が大好きで、心身の健康の為にも良く、毎日飲んでいる。
でも、子供はそのお茶を飲んだら心身に合わず、嘔吐下痢など体調不良になってしまう事がわかった。子供は飲む事をやめたい。その時、それでも、父母は、子供にそのお茶を飲ませますか?無理やりに、それでも身体にいいからと言って、効果を信じるようにと押し付けて、飲ませますか?
父母にとっては最高最適なお茶でも、子供や他人にとっては、合わない場合もあるんです。それと同じなんですよ。お茶と宗教は違うと言われますか?そのものは違うけど、同じなんです。
父母にとっては、これは無くてはならない必要だという価値観で、子供にとっては、これはいらない、むしろ摂取してはいけないという価値観。真逆です。
父母にとっては良くても、人によって違うんです。
極端な例だったかもしれません。たまたまお茶を例えにしましたが、他の物事もそうなんです。
どれも、"自分の人生を豊かにする為のツール"なんです。生きる事を実り豊かにする素晴らしい物事がたくさんあって、そのどれも、"ツールの1つ"なんだと私は思います。


父母は、自分達の信じる宗教が、良いと信じ込み、心を傾け過ぎてしまった為に、もうわからなくなっています。私がこうして伝える事も、わかりますか?わからないかもしれません。
その宗教を信仰する事、父母にとっては生きる為に必要な事なんだろうと思いますが、私にとっては、必要ではない事なんです。
私がこんな長い年月、帰省出来なかった理由に繋がりますが、私は、父親から体罰を受けていました。そして母親はそれをやめるように言ったり、その時、助けてくれなかった。
私は、通常考えられない厳し過ぎる抑圧、制限等の下で、高校卒業までここで過ごしました。宗教教義に傾いて行われた、体罰、生き方のコントロール。それは、身体的にも心理的にも、虐待、なんです。
その心身の虐待の影響は、成長過程で心に深く刻み込まれて、年齢を重ねる毎に苦しい生きづらさになりました。成長過程で傷ついた心を治す事に、時間を掛けて、家族やまわりの人に支えてもらい、私は努力してきました。
ようやく、心の傷が治ってきたから、ようやく、やっと、この間、帰省が出来たんです。
どれだけの生きづらかった年月と、どれだけの辛さ、苦しみを手放す努力、途中で諦めない気持ちが必要だったか、父母はなんにも、何一つ、わかっていない、伝わっていない。悲しいです。
宗教を信仰する事、その教義を子供に当てはめた事、私にとっては押し付け以外の何でもなかった。
実家に居る間、私や妹は、お父さんに、生き方を、押し付けられていたんですよ? 』


冷静に怒りながら、少し前に見た、夢の中で、私が父親に向かって言っていたのと同じ言葉を書いて(スマホで打って)いました。




②に続きます。
お読み頂き、ありがとうございました。





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