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見えない本音・見える言動の矛盾~思考回路と共通の思い~



義父母との同居時、頑張り過ぎてしまっていた時の事です。思い出して理解した範囲で、幼少期の体験から身に着けた私の思考回路を辿ってみました。



私は安らぎと安心感を感じたい(無意識)
→安らぐ場、揉め事のない場に強くこだわる(揉め事は争い、怖く恐ろしい物という思い込みをしている)
→自分が頑張ったら安らぐ場になると思い、場の調和に努める
→義父母の揉め事の声に敏感に反応する。和ませ役になる。物事の展開を先読みし、揉め事の原因になりそうな物事を先回りして取り除く。
→場の調和の為に自分が予測可能で、対応可能な展開にしようとする(不安を回避して安心する為何とかしようとコントロールしている)
→場は見掛け安らぎ平穏。仮の安らぎと安心感を得る(この時は 仮 だとは思っていない)
→コントロールを辞めたら安らぎ安心感が得られなくなると思いコントロールに依存
→コントロールを手放すのは怖い 手放せない執着
→全部自分1人でしていた。まわりに甘えたり頼る事が出来なかった。自分の中に、心に、常に葛藤や抵抗があった。この繰り返しで頑張り過ぎ、私は疲弊し枯渇し自滅。
おおまかですが、所属する人間関係の多くの場面で、私は無意識にこういうような思考感情が働いて、私の言動に繋がっていたと思います。


この動きは、まわりの誰からも頼まれていないのに、無意識に行ってしまう、という物でした。
まわりからは、私の内面でこういうふうに思い考え動いている事は全く見えない為、それは誰からも気づかれず、理解される事のない動きでした。
私自身が、敢えて理解されないように動いている感もありました。
場の調和の為に、まわりの為に密かに動いている事、その時は良かれと思って、そう信じて動いているので、自分からまわりに伝える事ではないという気持ちが働きました。(余計に誰かに甘えたり頼ったりが出来ない。)
自分が勝手にしている事でもあり、まわりに理解してほしいと思って行ってはいませんでしたが、1人で頑張る度合いが大きい分疲弊し、安らぎと安心感を感じたくて動いているのに、大きな疲労を感じました。
止まりたいのか止まりたくないのかもわからない、自分では止まれない。動くしかない、止められない歯車のような自分でした。


私はどうしてこんなふうに動いてしまうのだろう?当時は理由がわかりませんでした。
今になりわかりました。
私が頑張り過ぎてしまっていた理由は、幼い頃得られなかった為に、人一倍強く、純粋に、安らぎと安心感、調和を感じて生きていたい。無意識にそういう本音本心があったからでした。
人一倍強く感じてしまっていた為に、過度に偏ってしまっていたと思います。


義父母とは、一定距離をとり離れる事で境界線が引けて、展開が逆に巡り出しました。
→義父母の揉め事を耳にする事がなくなった
→物事の展開を先読みしコントロールをしなくてもよくなった
→自然体の流れに、本来の義父母2人の流れになった(ケンカしてもすぐに仲直りしている。義父が義母に優しくなった等)
→2人を信頼して生活を任せられた
→私があんなに感覚を研ぎ澄ませて間に入って頑張らなくてもよかったんだと思えた(逆にそれが良くなかったんだと理解した)
→一緒に同じ場所に居る事(同居での場作り)にこだわらなくなり、依存も執着もなくなった
→私には私の時間が出来て、自分との向き合いが出来た
→関係が壊れたのは私のせい、という罪悪感がなくなった
→心地よい関わり方で関われるようになった
→お互いに感謝する気持ちが生まれた
→境界線を保つ事で調和した場で安らぎ安心感を感じて関わり、以前より心が落ち着き豊かになったように感じる

無理をして頑張っていた頃には得られなかったのに、頑張る事をやめたら得る事が出来た、不思議な矛盾でした。
信じて手放すと自然の流れでニュートラルになる。予定調和へ向かうという事なのだろうか...と思いました。
(別居を推奨するという事ではなく、ほど良い距離を持つ事。自然の流れを信じて、良い意味での境界線を作り保った場合の一例をお伝えしたくて書きました。)


無意識に求めていた安らぎと安心感は、義父母も含めた家族全体で、また、幼い頃も、学生時代も、社会人の時も、その後も同じで、自分1人でではなく、その場にいる人達全体で、その場で調和して、感じたいと思っていました。
調和は、1人きりだったら得られない物です。
複数人一緒に安らぎ安心感を得る事を考えていたという事は、そこには愛があった。自分の心の中に、まわりの人への優しい気持ちや愛情があったという事、そもそも備わっていたという事に気づきました。
調和を求める優しさや愛の本音本心から始まっていたのに、それが過度になってしまった事で、まわりの人に私の本音本心は伝わらず、逆に誤解をされるという結果でした。


優しさも愛情も、度が過ぎたら、調和どころか不調和になってしまう。正反対の伝わり方になる、という事を学びました。
いつもまわりから理解されにくく、誤解されてしまう。私の生き辛さ、苦しみでした。
自分で自分の事がよくわからない上、例え少しわかったとしても、思考回路や感情の過程が細かく複雑過ぎてまわりへの説明が困難でした。
少し説明出来たとしても、私の「心の中の見えない本音本心」と私の「見える言動、表現」が矛盾しているので、なかなか理解や共感してはもらえず、お互いに困った顔になりました。
相手に理解してもらいにくい苦しみから、話せなくなり、言葉に出来ない自分自身、言葉に出来ない生きづらさを1人で抱えるしかありませんでした。


誰にも理解されにくい苦しみは、1人でいる事が1番気が楽で安心するという思い込みになりました。
誰かと共にいて、理解されない苦しみを味わうのなら、1人の方がいいと。心に鎧を着せて、強がっていました。
時折、強がる事が出来ない日は、打ちのめされるような大きな寂しさ。悲しみ、辛さから、心を絞るように涙が流れました。
心で調和を渇望しているのに、真逆の孤独を感じていました。
でも、この時感じていた孤独は、まだ境界線が曖昧な孤独感でした。



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私がしていた事は、別の視点で見ると、それは場の調整役で、とても快適な場を作って、家族にとっての安心感に繋がっていたとか、段取りをして、日々効率よく動く等と捉えると、大事な事でもありました。
ただ、前向きな捉え方見方は出来ても、いい塩梅を通り越し、過度に偏った事は、その場が本来持つ、自然な流れを止めていたように思います。
無意識に過度に場の調整をはかった事で、全てではないですが、家族内での意見の食い違いや揉め事などは意図的に避ける結果になりました。
その為、本来揉め事が普通に発生したり、その時にあるべき家族間での自然な喜怒哀楽の気持ちからの言葉のやり取りを減らしてしまった事が、今後の家族にどう影響が出るか、今後の課題だと思っています。


宗教教義を取り入れて、独自の子育てに偏り過ぎた私の父親。自分の方針を信じて、無意識に家庭内をコントロールしていたと思います。
知らず知らず私も、表現は違えど、家庭内を過度にコントロールしていたと気づきました。表現は違っても同じ事、似ている事をしていました。
2人とも純粋に、安らぎと安心感、調和を感じて生きていたいという本音本心。
父親と私、どちらも共通の気持ちを心に持っていたんだな...、と思いました。
もしかして誰もが、共通の気持ちを心に持っているのでは...と思いました。



ずっと、心を楽にして自然の流れに任せて暮らす、という事の真逆を行い、暮らしていました。
当時頑張っていた事は、今に繋がっていて、決して間違っていた事ではなかったとも思います。
ただ生きる上で、もう先の事を過度に心配し、不安や恐れからのコントロールをしなくてもいいという事を学びました。

あくまでも私の場合のほんの一例でした。
個々それぞれ、環境も状況も全く違い、それぞれ体験している物事も捉え方も感じ方も考え方も本当に全く違うと思います。
自分と向き合う事自体への考え方も、必要の有無も、人それぞれで、押し付けるような気持ち等全くありません。
もしも向き合う場合、時期も、自分に合うやり方もまた1人1人が違うと思います。自分に合うタイミングと方法が最適なんだと思います。
ただ、今どうしようもなく生きづらい方が、少しでも心を楽にして頂けるなら、この体験のどこかが僅かでも、何か参考になる事があるなら心から嬉しく思います。



最後までお読み頂き、ありがとうございました。





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