桜の樹の下には

いとこが国立大学に合格した。

母方の親戚はみな”いい家族”である。
わたしの母が長女、そして弟が二人(わたしにとっての叔父)。
祖母は数年前に亡くなってしまったが、祖父は今も元気で、二番目の叔父家族と暮らしながら詩吟やゲートボールを嗜んでいる。
今回国立大学に合格したいとこは、二番目の叔父の娘である。

”いい家族”の定義はなかなか難しいものであるが、少なくともわたしの家は”わるい家族”である。
母に関しては非常に”いい家庭”で育っているように思う。祖母も祖父も仲が良く、叔父も浪人や留年をしたりしながらも名門大学を卒業している(母は専門学校をでたらしい)。
一方、父に関しては”わるい家庭”だったのではないかと思う。父はおばあちゃん子で、確か姉がひとりいた気がする。父方の祖父は金のネックレスをつけていた記憶しかない。後に聞いた話だと、祖父は堅気ではないようなところがあったらしい(曖昧な書き方だがいかんせんよく知らないもので)。

わたしは父ともう何年も会話をしていない。当然家族だという認識もない。
わたしが生まれたころから母と父は仲が悪かった。当初は仲が悪いという認識もないほどに、物心がついた時から仲がいいところを見たことがないのだった。
小学生の時に、不思議に思って「なんで離婚しないの」と母に尋ねたことがあった。母は不機嫌そうに「お金がないからよ」と言った。それから今でも同居人として、戸籍上の父は家にいる。

母は事あるごとに父の行動に怒った。ゴミの捨て方が違うとか、生活音がうるさいとか、そういうどの家庭にもあるような怒りだったが、父の非常識さは度が過ぎていた。
父方の祖母が亡くなってから、父は気まぐれに仏壇に花を買ってきていたが、その花を整えもせず花瓶にぶっ差し、三か月ほど放置したのちにドロドロに溶けた花をあろうことかそのまま洗面台に流し、しばらく家中に腐敗臭を充満させていたり、仏壇に果物を放置して虫をわかせたりしていた。
それを母は大きなため息をつきながら片付けた。父はそれに気づかない。

またある日は父が冷蔵庫のバターを大量に消費したことがあった。
わたしの家ではバターは高いからという理由で、トーストにはマーガリンを塗るのが習慣だったのだが、父はその日、一日中冷蔵庫のものをあさり、食べ物を食い散らかし、トーストにたっぷりとバターを塗って食べていたのだった。
パートから帰ってきた母がそれに気づき、台所で空のバターケースを見ながら叫んだ。パソコンの前でテレビの音も聞こえないほどのいびきをかいている父にその声は届かない。
母は震えながら、「いつかバターを口に詰めて殺してやる」と言った。

わたしはその言葉がどうも冗談には聞こえず、何も言えず部屋に戻って泣いた。
母が犯罪者になってしまう、という不安から、涙が止まらなかった。

まだ母は父を殺すことなく、毎日誰に吐くでもないため息と怒声を轟かせている。
思うに、わたしの父は少し障害があるのではないかと思う。というか、申し訳ないがそうでも思わないとわたしたち家族の精神が持たないのである。
今日はちょうど父は仕事が休みだった。昼に起きて煙草を吸い、酒を飲み続け、家にあるものを片っ端から食い荒らし、リビングのパソコンで延々と動画を見ている。

そんな父は数年前に糖尿病を患った。毎日インスリン注射を打っている。ちなみに最近はその使用済み注射針がそこら中に溜まってきて、リビングや寝室が狭くなってきた。捨て方が分からないものは放置することしかできないのである。
父が糖尿病を患ったと聞いたとき、素直に「早く死なないかな」と思った。不謹慎だと怒ってくれていい。当時のわたしは、女手一つで育ててくれた母を苦しめるこの同居人のことを、心底嫌っていた。通院費で家計をさらに圧迫するよりは早く死んでくれと切実に願っていた。
しかしその切実な願いは叶わず、同居人はまだ生きている。
今日もマンションの下で会ったが、自分の父親だと気づかず、「こんにちは」と言ってしまった。父は無視してエントランスの方に歩いて行った。

そんなことをたまに人に話すと、「でもお父さんはすみれちゃんのこと大事な娘だと思ってると思うな」などと言われる。実際どう思われているかは知らないが、現に父はわたしの誕生日を覚えていないし、わたしがどこの大学に行って何を勉強しているのかすら知らない。これを愛情と受け取れるほど、わたしは寛容ではない。
まあ、それでいいのだ。わたしも父もお互いが無関心で。家族ではないのだから。

それよりも辛かったのは、小中学生のころ母子家庭の子と仲が良かったことだ。
その子は日ごろから「うちシングルマザーだからさ」と言い、何かと可哀想な自分を演出した。その割には父親と月に一回会ってドライブをしていたし、急に犬を二匹飼い始めたりした。「シングルマザーだし、一人っ子だからママがさみしくないようにって」などとほざいていた。
うちには甘えられる父親もいなければ、犬を飼える経済力もない。幼いながらに感じていた、この矛盾に似た感覚に、どうすることもできずただ唇を噛んで耐えていたのだった。

母方の親戚はみな”いい家族”である。
仲睦まじい両親に支えられて、見事国立大学に合格したいとこは素晴らしい。
きっと合格するまでには辛いことがたくさんあった事だろう。
その努力や根気、苦難や悲しみまでもが、すべて美しくて、キラキラと輝いていて眩しい。
美しいものを見ながら、わたしは卑屈に文章を書き続けよう。
生みの苦しみを感じていれば、ほかの苦しみを見なくて済むだろう。

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