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咲ききるには

夕方、やっぱり苺を買いに行こう!と繰り出して
帰り道の夕焼け美しかったなぁ。。。

帰ってきて
う〜む、そうそう
やることがあった。

台所に立ち
何度も目が合い、もうちょっと待ってね
これが終わったらゆっくりやるからねぇと
愛コンタクトしていた花たち。

まだ子どものお腹は
腹ペコではないのを確認してから。笑
よし、それならばいまだ!


台所に集合!あの可愛いい球根ものたち。今年初めて部屋の中でじっくりその姿を毎日見せてもらって。
とっても元気をもらって。最後の咲き誇るその在り方の存在感に、ラストまでこんなに生ききってわたしもこんな風に最後を飾りたい!と思わせてくれるものありで。
想像以上にいろいろなギフトをいただいた。ありがとう。
並べて花器もきれいに洗って磨いて。

いざ、球根にハサミをいれるのに
なんとも言えない気持ちになって。
簡単にパツンと切れなかった。

とても神聖な儀式のように思えて。
この球根と切り離すことが。
ちょっと勇気がいった。

そしてなぜか
この有り様を見て
一年前に亡くなった父のことを想った。

緊急入院して
約1か月であっという間に
この世を去っていった父のことを。

あまりにとあっという間に
いってしまったものだから

そしてその後に残った母のサポートに追われて
自分自身まだサポート出来るだけの
身軽さもなく
他に問題に追われていて
背中にたくさんの荷物を
しょったままでもあったから
正直、人のサポートを
出来る体制でもない中のことできつかった。

でも、必死だった。

だからあまり父との別れをじっくり
感じることも出来ず、一年が過ぎて
あまり感じきれていない。

時々、なんかぽっかり穴が空いたような
気持ちになったり、
魂としては
より身近にいてくれているようにも
感じて思い出した時に話しかけてみたり。

時折りラジオで
坂本美雨さんや平原綾香さんたちが
亡くした父親との思い出を語っていたりするのを聞いて涙したりもあったなぁ。

でもたぶんこれから少しまた見つめる時が
やってくるのかもしれない。
わたしの中ではまだまだ
じっくり感じきれていない感じがしている。

感情に浸るゆとりすらなかったから。
ここからこれもやっと
の段階なのかもしれない。

この球根に繋がれていたからこそ
ここまで元気にいられたんだろう。
もう十分に花は咲きっている。
だからハサミを入れてもいいのだろうけど。
それを切ってしまったら
完全にその、命は…
と思うとなかなかハサミを入れられなかった。

でも、その時が来たので
わたしはハサミを入れることにした。
今までありがとう。
見事でした。
わたしもその姿に学び
活かします。
わたしも命の最後まで生ききります。


最後まで生ききった父に
とても重なるものがあった。
入院1週間前まで父はスクーターに乗り、
本当にごく普通に生活していた。
だからご近所でも亡くなったこと
とても驚かれて。

母とも最後まで立派だったよねと話した。

遺骨も立派な骨で、
骨壷に入りきらないくらい立派だった。
どの骨もしっかり形がわかる程で。

自分の足でよく歩いて、
卓球もやったり運動もして
定年退職後も専門職で
自分の持てるもの活かして
80歳まで働いて大したものだった。

病気もいくつかしてきたけど、
泣き言言わずに、前向きに人生生きてた。
必死に言わないようにしていたと
いうわけでもない。
とにかく自分に集中して生きていた人だと思う。

ようやく花の手入れが終わり
それぞれを花器に入れて
わたしの気持ちもおさまってホッとした。

きようの任務を
これで終えたという
安堵感。

これだけはおさえておきたい
気がかり案件を終えて
やっとまたここからじっくり
次に向かえる!と

息子に食べたいもの聞いたら
今日は喉は痛いけど
昨日よりは良いみたいで。

麺類でなくても大丈夫になってきた模様。
夜は穴子丼ご希望。

たっぷり食べてご機嫌よし。
わたしもこれでまたひと安心。

そしてさてわたしは〜?となって。
久しぶりにザ・和食な晩ごはんになった。

久しぶりにお味噌汁をこしらえたくなって。
それをメインにしたらこうなった。


久しぶりのザ和食な晩ごはん。美味しかったなぁ。
やっぱりホッとするし、飽きのこない和食って凄い!
をまたしても実感。
夜また糠漬けを仕込んだから明日が楽しみ♪

追記

そう!私はまだまだ生ききっていない。
まだ50歳を超えても道半ば

やっとやっと、
ここから
本当のわたしを生きるところなのだ。


ただいま絶賛リセット中。

死んでるみたいに生きたくない!
私はわたしらしく生きたい!

私にしか出来ないことで
わたしを活かして
最後までわたしらしさ全開で
咲ききったぁ〜で
この世を去りたい。

最後の時まで
最後の瞬間まで
わたしを使い果たして
この世を去りたい。

私は2度目のオットを手放し中。
お互いにこの先を共に暮らすことは
お互いを活かしあうのではなく
殺しあってしまう。

子どものためにも
こんな関係性の中で
育てるのは
良いことはない。

この先にわたしの未来はないと
かなりの勇気のいる決断だった。

わたしを殺して生きて
すっかり麻痺していたわたしが
目が覚めたのが
49歳。

え〜。この歳からまたリセットなんて
怖すぎる〜と、震えたけれど
死んでるみたいにもう生きるのは
無理だった。

やるしかなかったのだ。

そこから簡単には当然いかない。

気力体力全て使い果たすくらい
消耗するものがあったけれど。

あの時に決断したことは間違いなかった。

よくぞ
勇気を出してやりとげた。
たくさんの人の支援なくしては
出来なかった。

でも、やれた。
やっとここまで、これた。
かなり時間はかかっているけれど
いまこの位置にやってこれた。

ゴールが見えず
ずいぶん気が遠くなっていたけれど
やっとやっと出口が
光が見えてきたところでもある。

離れてみて
こんなにも、わたしは
安心出来るんだということが
よ〜くわかった。

安心するスペースが
こんなにも必要だったことも。

合わないものに
一生懸命に合わせようと頑張ってみたところで
そもそも、合うはずもなかった。笑

合うはずがなかった。
合わないから
わたしをズラして
麻痺させてしまうしかなかった。

そりゃぁ、キツイよね。
悲鳴あげるよね。
あちこちが。
限界が来るわけだ。

でも、もうそんなことやってる場合じゃない。

ここからやっと私は本当に卒業して
ここからやっとわたしを生きるんだ!

合わないものを一生懸命やって
わかったじゃないか
いろんなこと。

でもそれやる必要ないことが
はっきりしたから。

ここからはやるしかないのだ。

ど根性で力いれてやるのではない。

軽やかに
わたしらしく楽しく
ふんふん鼻歌歌いながら
感性、感覚で、わたしの大好きなもの全開で笑

とことん自分のセンスまっしぐらで
心から望むものをひたすら
真摯にやっていくのみだ。

それがどんなプロセスで
どのようになっていくのかは
わからない。

その出逢いやプロセスこそが
まさに楽しみな宝で
それをまさに楽しむ旅をするんだ。

それだけはわかっている。
それでいい。



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