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流れをつかむ日本史「明治時代 後編」

トモーロです。

今回、流れをつかむ日本史、明治時代の終了まで見ていきます。

前回は、第一次伊藤博文内閣によって大日本帝国憲法が発布され、天皇が定め、民衆に与えるという欽定憲法という形なりました。

ここから、日本は世界へ立ち向かっていきます。ポイントは、米・英・中・露の中でうまく日本がやっていけるかどうかです。

それでは、今日の内容に入りましょう!


<気になる清の動き>

日本では、長州出身の山県有朋(やまがたありとも)が総理大臣になり、このときに第一回衆議院総選挙うが行われ、反政府的な自由民権派の政党勢力(民党)が過半数を占める結果となりました。

この両者は、意見が割れていました。山県内閣の主張は、朝鮮をめぐり対立を深めるであろう清に対して「軍事費の拡大の要求」であった。

これに対して、民党の主張は「政費の節減要求」であった。しかし、どうしても譲ることができなかった山県内閣は民党の議員を買収することで無理やり予算成立させます。まさに「政治とカネ」の問題ですね。

その後、総理大臣が松方正義を挟み再度、伊藤博文になります。伊藤博文は、民党を無視しての政権運営は厳しいと判断します。

また、信徒の戦争も避けられないと考えていたため、軍事費を含む予算を何としてでも成立させたかった。

そこで、博文は民党の代表格自由党のリーダー板垣退助と民党派の中心であった後藤象二郎(ごとうしょうじろう)を大臣として内閣入りさせます。

このころ、外務大臣の陸奥宗光(むつむねみつ)が日英商航海条約の締結に成功し、イギリスに対して領事裁判権の撤廃と関税自主権の部分的回復をします。

当時、イギリスはロシアの南下を警戒していたため、日本との関係を改善しておきたいと考え条約改正に応じた。

さらに日本は、この条約と同様のものをアメリカ、フランス、ドイツなどとも結び領事裁判権に関しての不平等条約が撤廃されます。日本が欧米諸国と対等な立場に近づきました。


<日清戦争が開戦>

このころ朝鮮では、農民による大規模な反乱(甲午農民戦争)が起きていました。自力では鎮圧が不可能と判断した朝鮮は、清に対して援軍を依頼します。

すでに日本と清で結ばれていた天津条約において、「出兵するときは通告する」ということに基づき、通告を受けた日本も居留民保護のため朝鮮に出兵した。

もはや、日本と清の衝突は避けられず日清戦争が始まります。勝利した日本は下関条約を結びます。

これによって朝鮮は清から独立し、大韓帝国と改称。日本にとっては朝鮮半島に進出しやすくなりました。また、遼東半島と台湾を日本に譲ることになりました。

しかし、これに待ったをかけたのがロシアでした。遼東半島はロシアが南下を狙っていた地でした。

そこで、ロシアはドイツ、フランス、を誘って日本に遼東半島を返還するように申し入れをしました。

日本はこの三国干渉に屈し、遼東半島を返還します。しかし、ロシアはその直後、清から遼東半島を借りている。

この事実に対し、国民は打倒ロシアのムードが漂います。議会では、これまで「軍備拡張を求める政府」と「負担軽減を求める政党」で常に対立していましたが、日清戦争に勝利したことで政府と政党が歩み寄ることになりました。


<日露戦争が開戦>

日清戦争に勝利はしたが、政府の一番の心配は朝鮮とロシアの急接近でした。朝鮮を独立国とした手前、文句は言えません。

しかし、ロシアに朝鮮を奪われるということは喉元に刃を突き付けられるようなものです。そこで、政府の考えは2つに絞られました。

一つは、日本とロシアの利害関係を調整し、ロシアの満州支配と日本の韓国支配をお互いに認め合うことで戦争を回避しよとする日露協商論。

もう一つは、ロシアとの戦争は避けられないと考え、イギリスとの提携を行い、日英同盟を後ろ盾にロシアの南下を実力で押さえる日英同盟論。

このときのロシアは韓国に勢力を作りたいため、日本の韓国支配を認める気はサラサラありませんでした。

一方、イギリスは南アフリカの植民地戦争に苦戦しており、植民地をロシアの南下から守るためにも日本との連携が必要だと感じていました。

そのことから日英同盟が締結し、「同盟国の一方が他国と交戦した場合、同盟国は中立を守る」と「その交戦に他国が加わった場合、同盟国も参戦する」という約束が交わされた。

これは、ロシアと戦争する日本にとって第三国の介入を心配することなくロシアとサシで勝負できることを意味する重要な同盟であった。

そして、日露戦争が始まります。前評判では、ロシアが圧倒的有利といわれていたが、苦戦を強いられます。

長引く戦争により、ロシア国内の政治不信が増大し、デモやストライキが頻繁に起きていた。

そのような背景のもと、ギリギリで勝利した日本。朝鮮に対する日本の優越権をロシアが認めます。また、アメリカ、イギリスに韓国の植民地化を黙認させることに成功(日韓併合)。

日本はどんどん韓国に進出していきます。これに対し韓国民衆は怒り、武力で日本軍に抵抗します。

そのうちの一人、安重根(あんじゅうこん)によって伊藤博文が殺されてしまいます。そして、このころ明治天皇も亡くなり明治時代が終わります。


<まとめ>

いかがだったでしょうか。今回は、明治時代の後編をお届けしました。

この時代は、世界に対して「日本は戦える強い国である」ということを見せつけた時代でもあるようですね。

あと、やはり日本はイギリスには頭が上がりませんね。薩長を強くしたのもイギリスでした。

日本単体では力ないことを自覚し、イギリスとうまくやっていったことは賢いですね。

さて、次回から大正時代に入ります。国内の争いから世界大戦に挑んでいく日本は果たしてどのようになるのでしょうか。次回もお楽しみに。




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