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発達障害の0−100(白黒)思考について ストラテラ服用日記536日目

よく言われることだが発達障害は曖昧さが苦手だ。

なのでどうしても0−100思考になる。
これが根底にあると色々厄介だ。


まず定型との会話で困る。適度・曖昧というバックグラウンドがないまま話すと会話が微妙にずれる。

なにかお願いされるときも、つい引き受けがちになってしまうのも0−100思考が影響あると考えている。

完璧主義も0−100思考が影響している。
やるからには100出ないと気がすまない。100ができないと予想されるとまず腰が重くなる。というか手をつけない場合もある。

さらに、ASD特性が強いとちょっとやってみて思ったとおりにできないともう二度と手を付けない。

発達障害の精神年齢が未熟というのもこういったチャレンジの経験が少ないという要因もあると考えている。

対策は2つ。
1つはこだわりを捨てること。もう1つは自我の境界線が自分と他人の間に存在すると理解すること。

こだわりを捨てるのは、100でないといけないと思うこだわりを捨てる。
言葉で書くと簡単だがかなり難しい。
100であるべきという認知の歪みの部分があるので、まずはそこを取り除く必要があるが、こだわりが強いと100でないとこの世が終わるぐらいの絶望感を持っている方もいる。

自分の認知を変えるというのはとても難しい。(ところがオープンダイアローグの中では簡単に変えられるのが面白いところ。これはまた別の話。)

そういった方には、50も巷にあふれてることを知ってもらったり、50でも問題ないこと(大げさに言えばこの世は終わらないこと)を徐々に受けいれるようにしてもらう。

と同時に自我の境界線の認識を持ってもらう。
発達障害には、自分と他人の境界線が自分か他人のところにあり自分と他人の間にあることに気がついていない方が多い。

自我の境界線が自分のところにあるのを0、相手のところにある状態を100としてしまう感じ。
どちらかにしかなく、あいだの50のところに線が引けない。

50のところでなくて良くて、あるときは20だったりあるときは90だったりその時で変わるのだけど、そういった線引きができるようになると曖昧さが受け入れられる。

白黒思考、0−100思考は生きづらさと直結する部分にもなるので、内省して自分の生きづらさと思考がどう繋がっているか確かめてみると良いかもしれない。

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