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12月18日 1万2800年前にあったかも知れない古代文明のロマン グラハム・ハンコックの『太古からの啓示』

 Netflixでちょっと面白いドキュメンタリーを見付けたので紹介。
 『太古からの啓示』。2022年Netflixにて公開されたドキュメンタリーだ。世界中に点在する古代遺跡を改めて調査した結果、アカデミックな考古学が提唱するよりもはるかに古い文明が存在していた――という持論を展開。それらの文明は素晴らしいテクノロジーを持っていたが、しかしある一時、同時多発的に崩壊した。その時、何が起きたのか……それを解き明かすことを目的とする。
 このドキュメンタリーのホスト役を務めるのが、グラハム・ハンコック。憶えているだろうか。1996年『神々の指紋』という本を出版し、その中で超古代文明の存在を示唆し、世界的ベストセラーとなった(日本でもベストセラーとなった)。当時、この本について色んな人が取り上げたから、読んでいないもののよく憶えている。
 ところが『神々の指紋』を出版した後、グラハム・ハンコックは本の中の誤りを指摘され、「トンデモ学説」と非難され、要するに落ちぶれていたみたいなんだ。
 それでもグラハム・ハンコックはめげずに研究を続け、その成果が今回のドキュメンタリーの内容というわけだ。

 ではその内容について、具体的に掘り下げていこう。

第1話 インドネシアのグヌンパダン遺跡

 第1話の舞台はインドネシア・ジャワ島。ジャカルタから南へ4時間進んだ村の近くだ。そこに「グヌンパダン遺跡」は存在する。「グヌンパダン」はスンダ語で「光の山」や「悟りの山」を意味する。

 高さ90メートル近い急斜面を登ると、突如こんな風景に出くわす。建材に使われているものはマグマが冷えたときに自然に生成される「柱状節理」というものだ。一見して自然にできた風景に見えるため、長らく考古学者から見過ごされていた場所だ。
 しかし改めてよくよく確かめてみると、石は加工され、明らかに建材として人の手で配置されている。上の写真ではわからないところだが、側面を見ると建材がキャンプファイヤーの櫓のように組まれていて、しかもその隙間を泥で埋められている。こんな状態には自然にできるわけがない。

 遺跡が作られた当時はおそらくこんな姿だったのだろう。高さ90メートルの階段を登ったところに作られていて、5つのテラスが連なる階段状ピラミッドだった。全長は150メートル、幅は40メートル。
 表面の層を炭素年代測定法で割りだすとおよそ紀元前500年頃のものだと考えられる。
 だが調査を進めていくと、実はこのピラミッドは多層構造になっていた。下に掘り進めていくと、表面のものより小さなピラミッドがあり、さらに下にはまた小さなピラミッドがある……という構造だった。それぞれの年代を測定すると、一段下の層のピラミッドはおよそ8000年前、さらに15メートル掘り下げると1万1600年前……いよいよギザのピラミッドよりも歴史が古い。

 今からおよそ2万年前、地球は今とはまったく違う姿をしていた。海面は今より120メートル低く、インドネシアは散らばった小さな島の集まりではなく、一塊の大陸だった。総面積180平方キロメートル。アメリカ西部ほどの大きさを持つ大陸だった。その名を「スンダランド」
 2万年前は氷河期の最中だったが、スンダランドのあたりは温暖で、植物にも動物にも恵まれた土地だった。そうした豊かな土地を背景に、人類は文明を築き上げていた。その痕跡が、今回発見されたグヌンパダン遺跡である。
 ところが1万2800年前、事件が起きた。世界を襲った未曾有の大洪水である。その結果、スンダランド文明は崩壊し、大地は水に飲み込まれていった。

 その伝承を今に語り残しているのがバッタク族の神話だ。
 その神話によると、大昔、地球は年を重ねて、汚れていた。創造主デバダ神は大洪水で地球を浄化しようと試みる。残された1組の男女は高山へ逃れ、波に飲み込まれる寸前、神に許されて生きのびた。神は土の塊を残し、インドネシアの島々を作る。生存した男女は子供を作り、バッタク族の祖先となっていった。

 世界には「洪水伝説」が様々な地域に残されている。旧約聖書の「ノアの方舟」。インドの神話には神の忠告により大洪水を生きのびたマヌの話がある。シュメール、バビロニア、古代ギリシア、古代中国にも。アカデミックな考古学はそれらを「ファンタジーに過ぎない」と重要視してこなかった。しかしこうも世界中に似たようなお話しが伝わっているのには理由があるのではないか?

第2話 メキシコ チョルーラのピラミッド

 その場所はメキシコシティの東部。プエブラ地方のチョルーラだ。
 1519年、スペインの征服者たちがその土地にやって来たとき、もともといた住民達を虐殺し、家を破壊し、書物は「邪教の教え」として燃やし尽くした。そのおかげでチョルーラにもともとどんな文化・文明が伝わっていたのか、ほとんどわからなくなってしまった。

 その丘もスペインの征服者達が「ただの丘に過ぎない」と思い込んで、その上に教会を建ててしまった。だが後の時代になってよくよく調査をしてみると、それは人工の山であった。階段状のピラミッドだったのである。

 おそらく往事の姿はこんな感じだったのだろう。高さは65メートル。底辺の広さは縦横に400メートル。高さはさほどではないが、面積だけならギザのピラミッドの3倍の大きさだ。しかもそのピラミッドは多層構造になっていた。
 まず最上段のピラミッドは西暦800年頃に建てられた。その下のピラミッドはそれよりも200~500年ほど古い(西暦300年頃)。ピラミッドはさらに下にもあり、最も古いものは紀元前500年頃のものと考えられる。
 最下層のピラミッドには何があるのか、それは泉だった。泉は冥界への通路を意味する。儀式を行う場としても神聖な場所であった。

 地元の人たちはこのピラミッドをどういうものだと考えているのだろうか。
 神話によれば、これらのピラミッドは「巨人が建てた」という。その昔、メキシコには巨人が住んでいた。しかし天の神トラロックが怒って大洪水を引き起こし、彼らを滅ぼした。しかし7人だけが生き残った。再び洪水が起こるのを恐れた建築家の巨人チェロアは、チョルーラに移り住み、人々と巨大な山を築いた。そこで天の神トラロックを祀ったという……。

ケツァルコアトルの最近のイメージ

 メキシコにはもう一つ興味深い伝説も残されている。ケツァルコアトルの伝説だ。
 大洪水の後、ある男がメキシコの海岸に流れ着いた。オールのない舟は蛇が運んできたという。男の名はケツァルコアトル。“羽の生えた蛇”という意味だ。彼は人々に農作物の栽培や家畜の飼い方を教えた。法律を教え、建築、天文学、芸術を教えた。ケツァルコアトルは住民達に“神”として崇拝された。
 しかしメキシコの神を信じる人々と対立するようになり、「いつか戻る」と言い残して東方へ去って行った。

 巨人が人々に知恵を伝えた……という伝説は世界中に残されている。
 古代ギリシアでは大洪水の後、巨人プロメテウスが人類に火の秘密を教えた。南米アンデスではインカ文明以前に、ヒゲを生やした神・ビラコチャについて語られている。ビラコチャは大きな泉から現れて、高度な石造建築物の作り方を教えた。太平洋にもポリネシア神話にマウイが登場する。マウイは海底から島々を引き上げ、島民に石器や料理を教えた。
 少し番外編的に「知恵を伝えた」と「蛇」のモチーフは旧約聖書にも出てくる。エデンの園にいたエヴァに知恵を与えたのは、そういえば蛇だ。キリスト教は知恵を授けた蛇を「悪魔の象徴」としたが、しかしキリスト教以外の宗教では同じモチーフの存在を「神」として崇められている。やはりキリスト教だけが世界の中で異端なのだ。
(もう一つ、旧約聖書の中にメキシコの神話との共通点を発見した。「ノアの方舟」の章には、地上にはネフィリムという巨人がたくさんいたとされ、神は大洪水でそれらを地上から消した……としている。キリスト教は世界の異端宗教なので、蛇と同じく、巨人達は「悪しき存在」にされている)

 世界中に残る遺跡と巨人、蛇のモチーフはありとあらゆる神話の中に登場する。どうして接点の一切ないはずの文明の中に、こうも似通った伝説や神話が創作され、語り継がれているのか。そこには何か理由があるのではないだろうか?

第3話 マルタ島の巨石神殿

 アカデミックな記録によれば、マルタに最初の定住者が現れたのは約7900年前だ(紀元前5900年頃)。石器文明の農民が筏でマルタ島までやってきたという。
 マルタ島の場所はイタリアの長靴より少し下に位置する、小さな島国だ。こんな場所にも巨石文明の痕跡が残されていた。

 ジュガンティーヤ神殿。およそ5600年前に建てられたと推測されるが、実はその推測に根拠はない。現地近くで見つかった遺物がそれくらいの年代だったから……というのが根拠であって、遺跡そのものの制作年代は今もって不明である。

 往事の姿は恐らくこんな感じ。当時の人にとってもジュガン(巨大)な神殿であっただろう。
 この神殿について、どんな由来が残されているのか? それはサンスーナという女型巨人の伝説である。サンスーナはこのマルタ島で男と深い仲になり、間もなく子供を出産。そのことを記念して、一昼夜でこの巨大神殿を作ったという。
 またしても巨人の伝説だ。
 しかしこの神話はいつ頃のことを語っているのだろうか。シチリアから農民が筏で渡ってきたというのが5600年前とされているが、それより前からこの遺跡があったらどうだろう?
 マルタ島はじつは「島」ではなかった時期があった。氷河期における海の水位は現在よりも120メートルほど低かった。イタリアの長靴と地続きであった。その時代のヨーロッパは非常に寒く、動物たちは陸橋を渡って南へ移動。それを追いかけて、人間も南へと移動したのではないか。
 それを示す証拠はないだろうか?

 マルタ本島、南東部海岸付近のアールダラム洞窟にその証拠は残されている。1万数千年前の地層の中から人間の「歯」が出土した。ネアンデルタール人のものである。ホモ・サピエンスの骨ではないが、間違いなくここに人類はやってきていた。
 ところがアカデミックな考古学はこの発見を長らく無視し、調査をしたもののなぜかその結果を「秘匿する」ということをしていた。理由は今となってはもうわからない。
 歯が発見されたのは1960年代の話。調査されていたことに気付いたのはごく最近で、再調査の末、ようやくここに1万年以上前人類がやってきていたことが証明された。

 そんなマルタ島最大の遺跡は間違いなくここ、イムナイドラ神殿だ。この神殿は天体観測を目的に作られたことは確実であろう……とされている。というのも3月21日と9月23日の春分と秋分の朝日が神殿の入り口に差し込むように設計されていた。
 これは驚くことではない。世界中のありとあらゆる古代遺跡、ピラミッドの多くはまったく同じ方向を向いている。春分と秋分の朝日が真正面に差し込むように作られている。暦が昔の人々にとって重要事であったことの証明である。
 しかしマルタ島に点在する19の遺跡は特に朝日の向きと合致しない。バラバラの方向を向いている。これはどういうことなのだろうか。
 調査を続けていると、ある一つの星がぴたりと合致した。それは「シリウス」だった。夜の星の中ではもっとも明るい星である。向きがバラバラだったのは、夜の星は少しずつ方向が変わるからだ。古代人はおそらくシリウスの方向が変わるたびに、新しい遺跡を作り足していったのだろう。

第8話 洪水伝説の真相

 興味深い話が続くが、同じお話しの繰り返しになっていくので、一気に端折って第8話「まとめ」を見ていくとしよう。
 世界中の神話の中に大洪水の話が語られ、その後に巨人が現れて文明を伝えた……。どうして一切接点のないはずの人々がこうも似たようなお話しを語り継いでいるのか。ただの偶然? それとも理由があるのか?
 その理由を求めて、アメリカ北西部の端、チャネルド・スキャブランドへと向かった。

 ここにはかつてない終末的風景が5200平方キロメートルに渡って続いている。地質学者によると、この辺りの風景は氷河期後半の洪水によって作られたという。

こんなふうに熱帯の密林のそばに、氷の壁があったわけではない。これはあくまでもイメージ

 氷河期の頃、北米大陸の大半は氷に覆われ、こんなふうに巨大な「氷の壁」が築かれていた。人類はもちろん、あらゆる生命体はその中で生存することのできない、死の世界だった。この数千平方キロメートルの氷の中に、大量の“海”が閉じ込められていた。そんな氷床の南端に、巨大な淡水湖が形成される。ミズーラ湖だ。

ミズーラ州の拡大図

 ミズーラ湖はエリー湖とオンタリオ湖を合わせた量の水を擁していた。それをせき止めていた「氷河ダム」があるとき決壊し、一気呵成に流れていった。
 従来の説では氷河ダムは何度も崩落し、少しずつ現在の風景が作られていった、と考えられるが、しかしそんなわけはあるまい。決壊はたった「1回限り」、しかもわずか数週間のできごとだった。

 この辺りはおそらくは、元々はこんなふうになだらかな平地だったのだろう。そこにはアンテロープやマストドンがいて、穏やかな風景だった。それがあるとき、突如崩壊した。

 その証拠となるのがこのツイン・シスターズと呼ばれる山だ。およそ370メートルにもなる玄武岩の山だ。
 もともとここにはごく普通の「山」があった。だが大洪水のすさまじい勢いが土砂を洗い流してき、固い玄武岩だけがその後に残されていった。こんな風景ができるには、従来説である「徐々にできた」ではありえず、一回の大決壊・大洪水でなければあり得ない。

 ツイン・シスターズの近くにあるカマス・プレーリーにはこんな痕跡も残されている。砂浜へ行くと潮が引いた後に砂紋が残るのを見たことがあるだろう。あれの超巨大版がこれだ。画面右端に道路が見えるから、その巨大さがわかるだろう。この辺りの波紋は、一つの高さが10メートル、長さが90メートル。それだけの巨大規模な波が猛烈な勢いで押し引きした結果生まれた地形である。

 しかしいったいどうして分厚い氷の壁が突如崩壊したのだろうか。地球の気温が突如変わるようなできごとがあったのだろうか?
 この大洪水の現場からそう遠くない地層に、ヒントが埋め込まれていた。その地層にはある一点から下になると古代動物たちの骨が大量に見つかるが、ある一点を越えると急に生き物の痕跡が消える。
 その「ある一点」からは何が出土するのだろうか? ガラス、白金、イリジウムである。
 もうおわかりであろう。

 彗星である。

 しかし彗星衝突説は学会からは否定されるどころか嘲笑の対象にされてしまう。なぜなのか? 痕跡が見つからないからだ。恐竜時代の終焉をもたらしたのが彗星である……ということには誰も否定しない。なぜなら克明な痕跡が残されているからだ。彗星が落下したならば、確実に地形に痕跡が残るはず。それはどこにあるのか?
 氷河期時代終了を告げる彗星はどこに落下したのか? それは“氷の上”に落下したのだ。だから地形に隕石落下の痕跡は残らなかった。地形として残らなかったが、北半球を覆っていた氷が一気呵成に崩れ、壮大な水跡を残し、その当時を生きのびた人たちによって「洪水伝説」を語り継がせた。なぜ世界中に似通った洪水伝説が残されているのか、これが理由である。
 従来の考古学が「ファンタジーに過ぎない」と決めつけていたもののなかに、かつてあった大事件の真実が隠れていたのである。

ドキュメンタリーを見終えた感想

 というお話しがこのドキュメンタリーのだいたいのダイジェスト。面白いでしょ?

 ここからが私の感想。

 人類がアフリカを出て世界に進出していったのは、おそらく7万年前であるとされている。その後、人類は世界に広がっていき、それぞれの場所で定住し、それぞれの民族や部族となっていった。
 農耕革命が起きたのが今から1万2000年ほど前。鉄器製造技術を獲得し、世界最初の「帝国」を築いたヒッタイトが世界に領土を拡大していったのが紀元前14世紀。紀元前1430年頃の話だから、今から3400年前だ。
 同じ頃、巨大な王国を築いていた……といえばエジプト文明だ。エジプト文明自体は紀元前3000年まで遡ることができて、この頃からいくつもの王朝が築かれ、代替わりしていった。
 これだけの長い歴史と栄華を誇ったエジプト王朝だったが、紀元前51年に即位したクレオパトラがローマの有力者であるカエサルなどと通じて勃興を図ろうとしたが、紀元前30年その目論見も失敗に終わり、プトレマイオス朝は滅亡した。エジプト王朝は紀元前の時代に終わってしまった。
 その後はローマ帝国がヨーロッパ一帯に広がり、そのローマ帝国がやがて崩壊して、現在の私たちの時代へと入っていく。

 こんなふうに人類は2020年代に至るまで数え切れないくらいの多くの時代を築き、数え切れないくらいの失敗をしでかして滅亡していった。その大きな切っ掛けがヒッタイト帝国やエジプト王朝であるとすると、果たしてそこに至るまで人類はいったい何をやっていたのだろうか? という疑問がある。
 人類がアフリカを出発したのが7万年前……とすると、そこからどっぷり6万年ほど特に何もせず、なんの足跡を残さず、空白の期間が6万年も続いて、3000年前に入った時点で突然に、しかも急速に巨大文明を築いていった……。そんな話を聞くと、その以前の6万年の期間、人類はいったいなにをしていたんだ?? という疑問にぶつかる。私たちは人類の歴史のほんの末端しか知らない……ということになる。

 果たしてこの6万年の期間、本当に人類は何もしないでただぼんやりすごていただけだったのか……と問うのがこのドキュメンタリーだ。

 古代人……というと私たちは彼らについて誤解を持って見てしまう。
「昔の人たちは文明がなかったから、きっと無知で愚かだったのだろう」
 ……と。
 どういうわけか、私たちは昔の人を過小評価したがる傾向がある。昔の時代よりも今の時代の方が進歩しているんだ、と。
 しかし現代人と古代人とを比較した場合、身体や脳の形状が違っていた……というわけではない。私たち人類は10万年前どころか30万年前もたいして姿は変わっていない。それどころか、農耕革命以降、狩猟採取の生活よりも同じことの繰り返しの生活に入っていき、劣化したと言われている。狩猟採取の世界は“同じシチュエーション”というものがないので、常に考えて判断しなければ即死の世界だが、農耕生活が始まって以降はただひたすらに毎日、毎年同じことを繰り返すようになった。身体が劣化していくのは仕方がない。
 他にもこんな誤解を抱いている。私たちは古代人について考えるとき、「昔の人は神様や精霊や悪魔というものを信じて、迷信を恐れ、儀式に頼ってばかりいた」……というイメージを持つ。
 これも誤りで、以前読んだ本によれば、「サンタクロースみたいなものだ」と表現されていた。石器人は確かになにかと儀式をして神様や悪魔に呼びかけていたが、みんながみんな信じていたわけではない。昔からやっているものだから伝統として大切にはするけれども、別にみんなが神様や精霊といったものを信じていたわけではなく、なかには「そんなもの存在しない」と考える人はいて、自分の経験や観察に基づいて物事を考える人はいた。というか、狩猟採取の生活はそういう理性がなければ生き残ることができない世界なので、そういう理性的な思考力は当然あっただろう(ヨーロッパ中世時代の人々より頭が良かったかも知れない)。
 私たちの時代でも、宇宙人や幽霊を信じる人々がいる一方で、「そんなもの存在しないよ」という人もたくさんいる。人類の身体や脳といったものが変わらないとするなら、数万年前の人類も意外と同じように物事を考えていたとしても不思議はあるまい。

 今から3000年前、人類の性質になにかしらの変化があって、突如巨大文明を築くようになった……。いやそれより前にも文明はあったのではないか。その推測自体を完全に否定するものではないだろう。そういう意味でグラハム・ハンコックの話には一度聞いてみるくらいの価値はある。
 グラハム・ハンコックは1万年以上前に、人類は部族社社会(トライブ)以上のコミュニティを築いていたのではないか……と推測する。おそらくは首長制社会(チーフダム)だ。首長制度社会になっていくと、コミュニティの人口は一気に増えて人同士は知り合いではなくなっていき、仕事の職能化が進んで行き、人々はより良い品質のものを手に入れられるようになる。こうした背景であれば、ドキュメンタリーで紹介されたような巨大建築を作る余地が生まれてくる。
 ただし、そのような社会に発展するためには、それくらいの人口が増える要因が背景になければならない。狩猟採取の生活では人々がそれ以上に増えることもなければ、結びつくこともない。ということは、1万年以上前、氷河期の最中に農業が営まれていた可能性がある……ということになる。
 すでに書いたように、通説では農業のはじまりは1万2000年前だが、実はそれよりも早く人類は農業を発見していたのかもしれない。

 後世に痕跡を残すほどの大都市を築くようになったヒッタイトやギリシャ、ペルシャ以前に、文明都市を築いたのではないか。その推測はしてみるだけならアリだ。考古学者がほとんど調査していないような土地に、かつて一定の集団が住み着き、それなりの都市をそこに築いたが、しかし何かしらの要因でカタストロフを迎え、消え去ってしまった……。そういう痕跡は探せばきっとそこら中にあるものかもしれない。
 人類のコミュニティはいかにしてカタストロフを迎えるのか。基本的には人口の量と自然とのバランスで決まる。自然から得られる食料の量というものは決まっている。森から得られる食料……つまり木の実や獣の数。もしも土地を耕していたとしても、食料が無限に入るわけではない。その自然から得られる食料の絶対量を超えて人間が増えてしまった場合、文明はいとも簡単にカタストロフを迎える。それなりに高度な文明を築いていたとしても、自然から得られる食料の絶対値を超えると、コミュニティはパタンと崩壊する。その時の崩壊は人がじわじわ減っていくのではなく、数百人が一気に飢えて死亡し、後に人が住んでいた痕跡だけを残す。この世界には、そうやって崩壊した文明というものがたくさんある。
 そんな崩壊の仕方をした文明はわかっているだけでも結構あって、考古学者が気付いていない場所にもあったとしても不思議ではない。
 ドキュメンタリーの映像を見ていると、立派な遺跡の周囲は植物がまったく生えていない……という事例が結構あった。もともとそういう植生だったのかも知れないが、人が賑やかだった頃に木の全てを伐り倒して、自然を消費しきった後だったから……ということかも知れない。

 そんなふうに文明は何度もスクラップ&ビルドを繰り返して少しずつ現代に向けて歩み、今の時代がある。1万2800年前の時代……まだ氷河期の最中だったとはいえ、人類はそれなりの文明を築いていた。しかしそれが彗星の飛来によってすべてを崩壊させた。
 世界中のありとあらゆる神話の中に描かれる大洪水伝説。旧約聖書にも記される「ノアの方舟」伝承。その正体は、1万2800年前に飛来した彗星と、それによって氷河ダムが一気呵成に崩壊したことによる水位の変化が原因ではないのか。
 これがグラハム・ハンコックの結論だが、これは非常に面白い。ドキュメンタリーを見ていると「そうかも……」と思えるだけの説得力はある。
 すると私たちの文明の始まりがいつ頃からなのか……を刷新しなければならない。というのも旧約聖書の物語がいったい“いつ”なのかずっと謎のままだった。ノアの方舟の伝承が1万2800年前だとすると、人類の文明は少なくともその辺りから様々な事件を「物語」という形にして語り継いできた……ということになる。1万2800年前の時代にすでにそれだけの文化観を作っていて、文字の発明がすでにあったかどうかは不明だが、物語にするだけの文化を持っていた。人類はそれだけ「進んだ文化」を持っていた……ということになる。

 神話や伝承について、学者ですらあまり重要視していない。中には「昔の人が空想で作ったファンタジーだ」と考える学者も多い。でも私はそうは考えない。物語が生まれるためには、何かしらの切っ掛けがなければならない。現代のような創作が発達した時代であっても、どんな物語も必ず“時代”に紐付いて作られる。ヒットする作品には作品以上にその世相にヒントが隠されている。
 昔の物語には現代のような「創作作法」なんてものはないから、何かしらの事件や切っ掛けがあった……というところから物語が作られるし、それが重要だったから語り継いできたのではないのか。

 例えば日本の神話である『古事記』には様々な天皇の名前が列挙されている。しかし日本の学者達は第29代の欽明天皇までは「実在しない説」を取ってきた。なぜならその以前の天皇はことごとく100歳越えで、現代でもその年まで生きることはできない。だから欽明天皇以前は、昔の人が考えた空想の存在である……そう書いている本に私も何冊か出くわしたことがあって、そちらのほうが通説なので、私もそうなんだと思っていた。
 ところがヒントは『魏志倭人伝』に書かれていた。「倭人は1年を2回数える。春で1年、秋で1年」……昔の日本では大陸と暦の数え方が違っていた。お正月で1年という計算ではなく、春で1年、秋で1年という計算だった。
 これで昔の天皇がどうしてやたらと長寿だったのか、理由がわかった。暦の数え方が違っていたからだった。「割る2」をすればよかっただけの話で、寿命を半分にしてみるとそれほどおかしな記録ではなかったことがわかる。
 こんなふうに、「昔の言葉」というのは「今の言葉」とは違う。昔の人の言葉・表現で指し示していたものと、現代の言葉で指し示しているものとは様々な点で違う。昔の物語では、様々な事象を「動物」で例える。動物で例えることがその時代において一番的確でわかりやすいものだったからだ。日本の神話でもウサギやワニや、様々なもので物語が表現されている。その表現のほうが、その時代の人々にはわかりやすかったからだ。だが今ではそれらが示していたものがなんだったのかわからなくなり、そこに書かれている言葉通りにイメージするから、ファンタジーにしか見えなくなっている。その時代の人がどう考えたのかわからなくなってしまうから、勘違いをする。
 そのうえに、昔の人への見下しがあって、「ファンタジーに過ぎない」という考えが生まれる。
 昔の日本では暦の数え方が違う……という話は他の文明でもあったかも知れない。むしろどうしてありとあらゆる文明がみんなお正月で1年と考えていたに違いない……と思うのか。違っている可能性も当然考えてもいいだろう。

 でもグラハム・ハンコックの推論をすべて賛成するわけではない。「いや、それは違うんじゃないか?」とドキュメンタリーを見ていて思ったところもある。
 まず世界中の調査されていない遺跡を取り上げて、「1万2800年前の遺跡に違いない」と語るのだけど、専門で調査している学者が「いや、紀元前500年ほどだ」と語っている例もある。
 どうやらグラハム・ハンコックは思い込みの強い質らしく、「この遺跡は1万2800年以前のものだ」と決めつけちゃったら、それを押し通して、それに合う理由のほうを集め始めてしまう。

 昔の遺跡はどうしてやたらと春分と秋分にこだわったのか? ギザのピラミッドをはじめとする世界中のピラミッド様式の古代建築は、春分と秋分の朝日が入り口に入るように作られている。確か、日本の前方後円墳も同じ構造だったんじゃないかな。
 グラハム・ハンコックはこれも同じ文明人が技術を伝えたためだ……としているが、私は違うと考える。
 というのも、昔の人にとって「暦」は非常に大切だった。農業をやるにしても、狩りをやるにしても、暦を知る、ということが大事だった。しかし石器時代は今のようにカレンダーを見て、「今日が12月22日だ」なんて確認することができない。今が何月で、あと何日くらい巡れば1年が過ぎるのか。この夏はいつ終わり、この冬はいつ終わるのか……。それがわからなかった。
 そこで生まれた習慣が“生け贄”だったのだが……これは別の話なので横に置いておこう。
 とにかく、昔は暦が生きていくうえで大事だったが、暦を知る術がほとんどなかった。古代ローマのような繁栄した都市国家でさえ、政変の時にはその年が何年何月がわからなくなった……という時期があったというくらいだ。
 そこで昔の人は観察によって、春分と秋分の時には必ず同じ場所を太陽が通ることに気付いた。どうしてそんな発見に至ったかわからないが、とにかく昔の人はそれくらいに自然と向き合って、徹底的に観察していた(石器時代の人類でもそれくらい頭のいい人はいた)。春と秋がいつ訪れるのか、は昔の人にとって非常に重要なことだったから、それを発見するための装置として《神殿》を造り、それがいつしか宗教的な場になった……。
 それは別にまったくもって不思議なお話ではない。昔の人にとってそれが「生存確率を高める」ためのものだった。
(頭の良い、観察力の高い人にとっては古代神殿は暦を知るための「装置」だったが、そうではない多数の人々はそれを理解できず、次第に「儀式をしたから暦が巡った」と解釈するようになっていく。ここで古代神殿がどういったものだったか、その意味合いが反転する)
 そういうためのものであって、古代遺跡がことごとく1万2800年前の彗星の危機を現代に伝えるための装置……というわけではないだろう。

 もう一つ気になったのは、世界中のあらゆる神話の中には、人類に文明を教えてくれた何者かが登場してくる。それは神であったり、巨人だったり、蛇を従えた何者かであったり……。グラハム・ハンコックはこれらの「知恵を伝えた神々」をすべて同じ目的を持ったひとつの一族による仕事……としてしまった。それはさすがに無理がある。それはないだろう。
 人類に知恵を教えてくれた神のお話しは、神話の世界における定番だ。例えばアイヌの神話にはオキクルミカムイが登場してくる。オキクルミカムイは天上人であったが人々に知恵を授けるために地上へ降りてきた神だ。しかしオキクルミカムイの授けた道具があまりにも便利すぎたために、地上の人は怠け者になってしまい、そんな人々の姿に愛想を尽かして地上を去って行ってしまう。
 メキシコに知恵を授けにやって来たケツァルコアトル、古代ギリシアで火を人々に与えたプロメテウス、アンデス・インカ帝国のビラコチャ……。こういった神話に類似する伝承だ。
 私は神話に描かれていることは、何かしらの元になった事象・事件があったと考えている。そしてあらゆる神話には、「知恵を授けてくれる何者か」が“外の世界”からやってくる。おそらくは知恵を授けてくれた尊い人であるから、後になって神として祀られ、お話しとして語る時はそういう人を最初から神として登場させるようになったのだろう。そういった何者かは確かに実在したのだろう。
 こういった伝承は定番であるのだが、不思議なのは知恵は自分たちで作ったものではなく、いつも必ず「外の世界」からやってきた何者かから授けられることだ。これがどうしてなのかは、本当によくわからない。どうして世界中の神話がこうも似通ったお話しを作るのか、何か共通するものがあるのかと考えてしまう。だがそこに答えはない。グラハム・ハンコックの言うような、共通のとある一族であった……ということもないだろう。ヨーロッパ一円であれば狭い領域だからあり得るかも……とは思うが、話は東アジアまで伝わっている。いくら高度な知恵を持っていたとしても、そこまで遠征してくるとはとうてい思えない。
 ただ、ドキュメンタリーで面白く感じたのは、マルタ島の洞窟の中からネアンデルタール人の骨が発見されたこと。世界中で語り継がれている巨人の正体……それはネアンデルタール人だったのかも?
 ネアンデルタール人は確かにホモ・サピエンスより頭が良く、体も大きかった。ホモ・サピエンスから見れば体格も立場関係も“巨人”に相当する存在だ。ホモ・サピエンスより先んじてアフリカ大陸を脱して世界進出していて、すでに文明を築いていた。ホモ・サピエンスに知恵を教え、文明を作るように指導したのが実はネアンデルタール人だった……。
 という話はさすがに想像を膨らませすぎだが、そういうファンタジーを思い描いてもいいだろう。

 もう一つ、番外編的に私が考えていたのは、あれらの古代遺跡を作った人たちは、鉄器を獲得していたかどうか。文明が石器だったか鉄器だったか、青銅器だったかで意味合いは大きく変わる。グラハム・ハンコックは大風呂敷を広げて「古代の超テクノロジー」と語るが、私が見たところ、ほとんど石器による文明に過ぎない。
 インドネシアの古代遺跡は、自然にできた柱状節理を持ってきただけであって、“加工”はほとんどしていない。その他の古代遺跡も、石器文明でも建造は可能だろう。トルコのカッパドキア遺跡なんかも、どうやら石器でコツコツ掘って作ったように見える。これらは「超テクノロジー」とは言わない。労作であったのは間違いないがそこまでの大文明というほどではない。
 しかし精巧なレリーフなんかが残っていると、果たしてこれは石器文明で作れるだろうか。1万2800年以前という古い時代に、もしや人類は青銅器や鉄器を獲得していたのかも知れない。
 ドキュメンタリーでは石器だったのか鉄器だったのか語らなかったが、気になるポイントだ。

 私が思うに、グラハム・ハンコックは「作家」になればいい。しかしグラハム・ハンコックは「自分はジャーナリストだ」という自意識を持っている。ここで厄介なすれ違いが起きている。というのも、「ジャーナリスト」というには夢を抱きすぎ。思い込みが強すぎ。
 「作家だったらいいのに」と思うのは、作家であれば、グラハム・ハンコックが考えているような創造性は物語の世界で充分に活かせる。
 例えばダン・ブラウンの小説『ダ・ビンチ・コード』がある。この物語の中では様々なトンデモな設定、トンデモな世界観が飛び出すのだが、一つの物語としては非常に魅力的、非常に面白い。小説版も映画版も見たが、どちらも面白かった。
 2010年の小説、セス・グレアム・スミス著の『ヴァンパイアハンター・リンカーン』という、読んではないが面白そうな作品もある。こちらの作品は第16代アメリカ合衆国大統領リンカーンが実はヴァンパイアハンターだった……という小説だ(『リンカーン/秘密の書』というタイトルで映画化された)。「リンカーンがヴァンパイアハンターだった」というトンデモ設定だが、しかし作中に出てくる文献やエピソードはすべて本物。史実を忠実に守りながら、あり得ないストーリーを展開させている。
 グラハム・ハンコックは明らかにダン・ブラウンやセス・グレアム・スミスに近いタイプの人間だが、しかし「自分はジャーナリストだ」という自意識を持ってしまっている。
 古代遺跡を調査し、そこで得られた情報は真実ですよ、という前提でフィクションを作る……というのであれば面白く魅力的な作品になったはずなのに。そういうタイプの作家であれば「インチキだ」とか言われずに済んだはず。間違いなくそういうタイプの人間だが、そういう自覚がない。
 そこに気付けない……という自意識はどうにも厄介なものだな……とドキュメンタリーを見ながら最後に思ったことだった。


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