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映画感想 モーグリ ジャングルの伝説

 1月13日視聴。

 あ、ディズニーの映画じゃなかったのか。Netflixにあるんだから、ディズニーなわけがないか……。Netflix×ワーナー兄弟の映画。

 この辺り、私もちょっと混乱気味で、あらためて調べると、ディズニー制作の映画『ジャングルブック』2016年にあり、たまたま近しいタイミングでこちらの作品も企画と制作が進行し、発表のタイミングが被ってしまった。それで、こちらの作品はもともとは『ジャングルブック』というタイトルで発表しようとしていたが、『モーグリ ジャングルの伝説』とタイトルを改めることとなった……という経緯がある。
 こういうふうに同じ原作の映像化作品が並んでいると、見比べたくなるけれども……残念ながらディズニーのサブスクリプションサービスには入っていないので見られず。

 監督はアンディ・サーキス。『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラムとしてあまりにも有名で、その後もCGアクターとしての確固たるキャリアを築いている。ゴジラの中の人も、この人が演じている。
 本作はアンディ・サーキス初監督作品であるが、実は映画『ホビット』で「演出」の一人として参加し、そこで映画現場を指揮を学んでいる。
 『ホビット』で演出の一人として参加……とはどういうことかというと、映画監督の仕事は非常に忙しく、細々としたアップショットや空撮ショットまで全ての現場に付き添うことができない。それで別の班を作り、別の演出家を立てて撮っててもらう、ということをする。映画のエンディングを見ると「セカンドユニット」や「サードユニット」といったクレジットが出てくるけど、それがそういう人たち。アンディ・サーキスは『ホビット』の時、そういう演出の一人として制作に参加していた。

 そういうわけで、すでに映画現場の指揮は手慣れたものだし、しかも『モーグリ』は主演の少年を一人置いて、周囲の全員がデジタルキャラクター。ゴラム以降、様々なデジタルキャラクターを演じ、デジタルキャラクターの利点、できることとできないことを知り尽くしているからこそ作れる映像となっている。初監督だからこそ、自分の得意技で勝負……というわけだ。

 ただ、映像を見た瞬間「ん?」と違和感があって……。というのも、リアルな毛並みの動物が登場してくるのだが、目元や口元が人間。しかも英語を喋る。
 完全にリアルな動物ではなく、それを演じている俳優の目元口元を残して、さらにキャラクターによっては眉毛も残しているので、どちらかといえばアニメーションの発想で制作されている。だからカテゴリー的には「実写合成アニメーション」というべきものになっている。
 でもだからこそ違和感があって、動きはリアルな動物なのに、人間みたいな表情をして、人間みたいにコミュニケーションを取る動物たちに「ん?」という感じになってしまう。
 これは抽象度の問題で、例えば『BEASTARS』という作品では動物たちが二足歩行をして人間みたいに喋ってコミュニケーションを取るが、違和感はほとんど感じない。なぜなら『BEASTARS』は抽象度が高いからだ。2Dセルアニメ調の利点は抽象度が高いことで、多少変なことをしても、それをさも当たり前のように受け入れることができる。
 ところが『モーグリ』は抽象度が低い世界観の中で、動物たちが喋る世界を展開しているので、見た瞬間「ん?」となる。あの世界を受け入れるためには頭のチューニングをちょっと合わせる必要があるので、あの世界の中に気持ちが入っていくまでちょっと時間が掛かる。

 それで、一見してリアルな世界観に見えるが、実は「実写合成アニメーション」というのが実情の作品なので、通常の映画と同じようにセットが組まれて作られている。このセットがどうにも「セット」にしか見えなくて……要するに嘘くさい。
 カメラが常に登場人物に寄り気味で、周囲の風景が読み取れず、世界に広がりを感じない。ジャングルの俯瞰映像がよく出てくるのだけど、登場人物達がいるカットと俯瞰映像に一体感が弱く、バラバラの映像を編集で繋いだ……という感じに見える。構図が画として成立しておらず、美しくない上に世界観の広がりを感じない。
 アクションシーンでももうちょっとカメラを引いて、状況の説明的カットがあったほうがより緊張感が高まるのだけど、どうにも登場人物に寄りすぎで……。

 「実写合成アニメーション」だからやっぱりキャラクターの動きにも少し引っ掛かりがあって、というのも動物キャラクターたちはアニメーションだから俊敏で、キレのいい動きをするのだが、その中で唯一人間であるモーグリの動きはどうにもいまいち。子役の子が一生懸命四つ足で駆け回っているのはわかるが、アニメキャラの俊敏さと比較すると、モタモタして感じる。
 それが本来あるべきリアルな動きなんだけど、アニメーションキャラの優美な動きを較べると、リアルな人間はあまり美しくない。
 そのリアルな人間にデジタルキャラクターも合わせて動かなくちゃいけないから、どこかわざとらしくなる。オオカミたちはもっと早く動き回れるはずなのに、競争するシーンは人間に合わせて少しモタモタと走り出してしまう。そこでちゃんと成立するアニメーションが作られているので、アニメーターの腕はかなり高いことはわかるのだが……。

 映画のちょうど中間地点の1時間ほどのところで、モーグリは人間の村に入っていく。すると今度はリアルな世界が広がる。これまでCGで作られた動物たちと人間という構図だったが、リアルな人間達の世界へと入っていく。
 これが興味深いところで、動物たちとのコミュニケーションが所詮は空想のものではない、アニメ的なものであって、人間と接している光景のほうがリアルな世界として描かれている。モーグリは人間の言葉が喋れないから村の人間達と喋ることができないし、お皿から食べる時も獣のように食べる。人間と接している時のほうがむしろ獣っぽさが出ている。
 ここで抽象度の変化が生じている。実写で撮るとこういうところで抽象度の差が出てくるのだけど、それを見ていると不思議な感じになる。
 アンディ・サーキスはむしろCGキャラクターとしてのキャリアのほうが印象が強く、初監督作品にその経験を活かせる作品を選んだわけだが、ここでリアルな人間が出てくる……と自分が得意としたものの、その先に踏み込もうとしている。ひょっとしたらアンディ・サーキスが人間の里に下りていくお話なのかな……みたいな妙な勘ぐりをしてしまう。

 物語はモーグリが獣の世界と人間の世界、両方の悪を倒し、その王となっていく姿を描いていく。英雄誕生を描いた物語だ。
 そこで動物界の悪、シア・カーンは見るからに悪いやつだからピンと来るのだが、人間側のハンターはそこまで悪いやつに見えない……というのが気になる。確かにハンターはモーグリの友人を狩って剥製にしていたし、象牙狩りもやっていたが、しかしモーグリを人間世界へ招き、救ったのもこのハンターだし……と思うと悪役のイメージとして少し弱く感じる。風貌がそこまで悪い人そうには見えない……というのもあるし。
 獣世界、人間世界を統率する存在として立つために、それぞれの悪を倒す、というテーマは悪くないし、乗り越える障壁としても悪くないのだけど、人間側の悪をもっと印象強く描いて欲しかった。

 プロットの散らかり具合も少し気になる。お猿たちのエピソードや大蛇の登場は、プロット的にそこまで重要度があるように感じない。お猿たちはなぜモーグリを誘拐したのだろう? ただのアクションシーン、ただのアクション的な盛り上げ場……みたいな印象で、もうちょっと意義ある見せ方があったんじゃないだろうか。
 モーグリが火を使うまでの展開も、いかにも説明的な伏線で、「これから次のシーンで火を使いますよ」というあざとさが見えて良くない。

 モーグリ役を演じた少年は可愛くてよかった。四つ足で駆ける獣の姿も可愛いのだが、中盤、人間の村へ行き、身を綺麗にして髪を整えた姿が「女の子!?」というくらい可愛い。いい子役見付けてきたなぁ。作中、結構ハードなスタントもあったけど、体張って演じていたし。少年役のイメージは良かった。

 それで、作品が面白かったかどうかというと、面白かった。獣キャラクター達が動き回るアニメーションを見るのはやはりそれだけで楽しい。引っ掛かりとなる枝葉が多いのだけど、まあ気にしなければ。英雄誕生のシンプルなストーリーを楽しむだけなら、そこまで細かいところを突っ込んでも仕方ない……という気がする。
 あと少年と獣という組み合わせの楽しさ。ショタ×獣が好きならば、楽しんで見られるでしょう。


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