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映画感想文 8月視聴映画まとめ

アーミーオブザデッド

 ザック・スナイダー監督がNetflixとコンビを組んで制作した映画。DC映画で散々な目に遭ったザック・スナイダーが新天地で制作に臨んだ作品である。監督だけではなく、原案、脚本、撮影、製作全ての面で深く関わった作品だ。

 ゾンビ映画に愚連隊が集まって任務に当たる『特攻野郎』的な要素に、それとは違う何かも足された作品。いろんな要素が乗算で足されていっているが、そこに新規性はほぼなく、それぞれのジャンルものにありきたりなシーンがただただ並んでいるだけに感じられる。
 映像にも精彩さはなく、はてザック・スナイダー監督はこんなに平凡な撮り方をする映画監督だったかな……と思わされた。いいカメラマンがいなかったのかも知れない。

 新規性に感じられるのは、ゾンビが何かしらの社会性を作り、ラスベガス跡廃墟に王国を作り上げていること。いわゆるな“ゾンビ”ではなく、人類種とは別の“新たな種”に変わっている……という解釈で映画が作られている。
 それが『蠅の王』のような原始社会を、巨大歓楽街の中に作り上げている。そこに何かしらのメッセージ性を込めようとする意図が読み取れる。

 ゾンビ風の謎の“種”は腐敗した肌に未開民族風の仰々しい衣装を身にまとっている。パフォーマーがかなり頑張って野性味あるアクションを作り上げているが、残念ながらその動き方も、何かの映画で見たような雰囲気。他の要素と同じく、既視感を感じさせるものになってしまっている。

 そのゾンビ風の“種”は腹に赤ちゃんを宿していた。ということは、完全に“動く死体”であるゾンビではなく、そこから新たな種が誕生し、繁殖していく可能性を秘めていたというわけだ。
 ゾンビだと思わせておいて、実はそのカテゴリーに当てはまらない新しいことをやろうという意識がある。
 しかし、本作『アーミーオブザデッド』だけではその全貌は見えてこない。もしかすると、2作目、3作目と続けばザック・スナイダー監督が何を意図していたのか見えてくるかも知れない。が、本作のみだけではまだその始まりしか見ることはできなかった。
 『アーミーオブザデッド』の本当の姿が見えるのは2作目以降かも知れない。本作だけでは特にこれといって個性を感じない、平凡な作品に感じられた。次回作で化けることを期待しよう。

クワイエット・プレイス

クワイエット・プレイスa-quiet-place

 ジャンル分けをすると『エイリアン』のような「モンスターホラー」ということになるが、怪物の特性に一工夫するだけで新規性が生まれた作品。
 モンスターは視覚が一切見えない代わりに、とにかくも聴覚に優れている。ちょっとでも音を出したらその瞬間、襲われて死亡する。
 ホラーのジャンルの一つに「○○してはいけない」というものがある。「見るなのタブー」「食べるなのタブー」「話題にするなのタブー」……この禁忌を破った瞬間、悲劇が訪れる。
 ホラーには様々な「○○してはいけない」タブーがあるが、『クワイエット・プレイス』は「音を立ててはならない」。そういえばそれをタブーにした映画は今までなかった。
 冒頭の少年が襲われるシーンを見てもらいたいのだが、ここでちょっと奇妙なことが起きている。少年が音を出したその直後、怪物が“どこからともなく出現”している。もしも怪物が普通に生物的存在であると、ここまで突然現れる……なんてことはないはず。あの怪物がいつでも側にいる……なんてわけがないからだ(だいたいあの程度の音なら、自然の音に紛れるはずだ)。しかし音を出した直後、“どこからともなく”出現するという表現をとっている。これは怪物をタブーと強く紐付けた存在であって、“象徴的存在”であることがわかる。本来あるべき「理屈」を1つ省いて、音を出したら問答無用で襲ってきて、即死亡というシチュエーションを取ったから、作品に緊張感が生まれている。

 映画の前半40分は、実は何も起きない。
 何も起きない代わりに、舞台となる農場に何があるのか、どんな生活が営まれているのか、これを情緒たっぷりに描いている。
 舞台が農園だし、映像も美しいから、前半の40分はどこか文芸映画的な落ち着きがある。観ていると、果たして本当にここから惨劇が起きるのだろうか……とすら思ってしまう。

 中盤、森で老人夫婦が怪物に殺されるシーンが登場する。これが後半戦に入る合図だ。ここからは様々なものが一気に展開する。ほとんど継ぎ目なく、次から次へと家族にクエストが突きつけられるという構造になっている。

 「課題」の置き方もいい。
 この作品における「課題」とは主人公の妻が妊娠中で、出産を間近にしていること。音を出したら、その瞬間、怪物に襲われて死亡する。しかし出産時に音を出さないなんて不可能。母親がどんなに声を飲み込んでも、出産時に赤ちゃんは泣いてしまう。さてどうするか?  出産という大きな課題を中心に起きつつ、母と生まれたばかりの赤ちゃんを守るために家族が奮闘する。ここに緊張感を置いているし、ドラマの軸が展開していく。
 冒頭で死んでしまった末っ子の存在も、後々までしっかりとドラマの重しになっている。

 映画が始まってしばらくは音楽はなし。家族が声を出さず、ひたすら音を潜めて暮らしている姿が映し出される。
 どの音もひそひそとしていて、見ていると自然と聴覚に意識が集中するような作りになっている。
 すると困ったのが、自宅の生活音が耳に入ってきてしまう。映画を観ている方も、音にやたらと敏感になっているから、やたらと耳に付く。
 この映画を観るときはできるだけ生活音が耳に入らない環境で観たほうがいい。

 ところで、この映画、一つ設定的な「無理」をしている。
 主人公は無線で色んな地域・国へSOSを送っていた。しかしどの地域もまったく無反応で……つまり例の怪物によって世界中の町・国が沈黙して、誰も答えられない状態なのだ。
 いくら怪物が強力だったとしても、さすがにそこまでは至らないだろう。
 そんなツッコミをしてしまうと、映画の大前提が崩れてしまうので、そこには目をつむろう。
 『クワイエット・プレイス』には設定がユニークだし、全体に緊張感を持たせつつも、一つ一つのシーンもしっかり作り込まれている。噂通りのかなりの良作だった。

アンフレンデッド

アンフレンデッドunfriended

 本作の特徴は、ずっと「パソコンの画面を映し続ける」というところにある。ウインドウの中で、色んな人と対話していくうちに物語が展開していく……という構成だ。そういう意味で、「ワンカット長回し映画」と言えなくもない構成となっている。

 お話はこうなっている。
 高校生のローラ・バーンズがネットイジメで自殺した。
 そのローラを自殺に導いた5人の高校生コミュニティは、その日も脳天気にチャット会話で楽しんでいるのだった。
 しかしそのチャットの中に、謎の人物が入ってくる。バグか? それとも無断で入り込んだやつがいるのか? 一度チャットを終了してもう一度グループチャットを立ち上げても、謎の人物はいる。
 調べてみると、謎の人物はローラのFacebookアカウントから来ていた。ローラのアカウントが誰かに乗っ取られたのか、それとも本当に幽霊が……。
 やがて謎の人物が5人に問いかけていくる。
「回線を切ると殺すよ」

 こうして5人はローラの呪いによって一人一人殺されていくのだった。

 と、かなり実験的な試みだし、「ネットイジメ」という現代的なテーマがそこに絡んできている。「今」という時代を象徴するような作品かも知れない。

 見せ方もなかなか工夫していて、回線があまりよくない状態でのチャットなので、ラグが発生して残像が出るのだが、その残像がホラー的な恐怖を作り出している。
 映画は主人公シェリーのモニターを中心にお話が進んでいて、そのシェリーはしょっちゅうチャットページを開くのだけど、その間に何かしらリアクションしたり台詞を喋ったりする人がいたら、チャットページの横に顔が表示されるようになっている。ウインドウが重なって、何が起きているかわからない……みたいな状況をうまく回避している。

 映像にラグが発生したりウインドウが動いたりする処理は、撮影後CGで作られたはずなので、5人の実際映像を撮影した後、時間をかけて作ったのだろう。
 そうやって作った動画を、モニターに映して、それをカメラで撮影している……というのがこの映画の作り方となっている。

 幽霊が出てきて、その対処法を探すのに、その場でネット検索しちゃう……というのも現代的だ。ホラー映画には霊媒師が付きものだけど、霊媒師が出てこない代わりに、どこかのネット情報で対処法を考えるという展開になっている。

 文字で打って対話する……という見せ方もなかなかいい。主人公が一度キーを打ったけれど、ためらって別の言葉を入れるところで、どういった感情の揺らぎがあるかが見て取れるようになっている。映画の世界である意味「モノローグ」を見せているような描き方だ。

 ただ、やっぱり難点はあって、ずっと一つのモニターだけで進んで行くから、お話に奥行き感があるか……というとない。出てくる画面がずっと同じ。ウインドウの向こうで展開がある構成で、いろんなネットのページが開かれるのだけど、それも主人公が高校生だから、さほど面白い画面が出てきたりはしない。どこか対話劇の舞台を見ているような感覚になる。
 それはこういう構成を取った時点で仕方なし……といったところだけど。
 もちろん、「出来が悪い」わけではない。このアイデアを活かそうとよく考えて作られている。ただ、それが面白さとして爆発しているか……というと少し微妙。「決して悪くないんだけど、でも……」と、「でも」を付けたくなる。
 PCの画面でPCの画面を見続ける……という奇妙な感覚もなかなか消えてくれなかった。映画中に出てくるノイズが、私のPCの回線不調によって起きているものなのか、演出なのか、少し考えなくてはならなかった。
 あともう一つは、字幕。モニター画面は情報量がそこそこ多く、字幕が出るとその情報の中に紛れてしまって、それで字幕を見逃すということもしばしばあった。吹き替えで見たほうが、内容を把握しやすかったかも知れない。

 実験的な映像としては面白かったし、現代的なテーマがしっかり描かれていたとみていい作品なので、そこで評価はできるが、こういう題材ゆえの平坦さ単調さは回避しようがない……という引っ掛かりを残す作品だった。


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