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映画感想 アメリカン・スナイパー

 1月19日視聴!

 この映画は、こんな冒頭で始まる。

 イラクに“狙撃手”として派遣されたクリス・カイルは進行する小隊の背後から、状況を見守っていた。間もなく、前方の家から女と少年が出てきた。女は少年に、対戦車用手榴弾を手渡した。少年は手榴弾を持って、アメリカ兵の元へ駆け寄っていく。
 クリス・カイルは少年を撃つのか。撃たないのか――。

 クリント・イーストウッド監督の映画は編集が特徴だと思っている。
 この冒頭のシーンの後、回想が始まる。クリス・カイルの少年時代から、いかにして軍隊に入るのか、までが描かれる。
 その回想シーンの挿入というのが「そこで切る?」というような切り方で、回想を入れるタイミングにしてもシーンの切り取り方でも、よくあるエンタメ映画のスタンダートからはっきり外れている。それが妙にぶっきらぼうな、「男の料理」感があって、不思議な味わいを持っている。ちょっと心地よく感じられるんだ。クリント・イーストウッド作品特有の物語の流れ方があるように感じられる。本作でも、この味わいを体験できる。

 映画の画はそこまで1カット1カットにこだわった撮り方はしていない。リドリー・スコット監督『ブラックホークダウン』はただひたすら混沌としたソマリアを描写し続けた作品だが、どのカットも画としてばっちり決まっている。一方の『アメリカン・スナイパー』にはそこまでの画の緊張感はない。
 でも俳優の動きはしっかり訓練が行き届いた本格的なものだし、おそらくオープンセットと思われるセットの作り込みも凄い。ドキュメンタリー的、というのとはまた違う、妙な生々しさを感じる映像になっている。

 映画の見所は、そこに描かれているものの天秤の重さ。
 冒頭から、少年を撃つのか、撃たないのか、という選択が突きつけられる。少年を撃てば、仲間たち数十人を救える。しかし少年を撃ってしまえば、後々まで気持ちを引きずることになる。
 クリス・カイルはこうやって合計で160人のイラク兵を撃ち殺し、英雄となっていくのだが(米兵史上最大のヒット数だそうだ)、周りが英雄と祭り上げるほどクリスの内面に重いものがのしかかってくる。
 自分は殺人者なのか、英雄なのか。作中、「英雄」と仲間達から称えられる場面はあるが、クリス・カイルはいい顔は全くしない。むしろ殺すたびに、自分の体内に何か呪いのようなものがのしかかってくるような、そんな描き方になっている。

 ヒロイン役のシエナ・ミラーがなかなか良く、オバサンなのだけど良い感じの美人。作品にいい味を与えている。
 そのシエナ・ミラーことタヤ・カイルの出演シーンで印象的だったのは、戦地にいるクリスに電話し、お腹の中の子供が男の子だった……ということを知らせるシーン。
「男の子よ!」「そうか男の子か!」
 というやり取りがあった直後、銃撃戦が始まる。それきり通話が途切れて、タヤ・カイルの耳には銃弾の音ばかり。いくら呼びかけてもクリスの声が戻ってくることはなく。タヤ・カイルは夫の身に何が起きたかわからず、その場で泣き崩れてしまう。
 これがタヤ・カイルにとってのトラウマになって、兵役を終えて戻ってくるたびに「もう行かないでくれ」と懇願する。
 戦争でトラウマを背負い込むのは戦地に行った者ばかりだけじゃなく、残されて不安を抱える人たちもトラウマを抱え込む。

 映画は戦場と、兵役を終えて日常に戻ってくる姿が交互に描かれるのだが、みんなどこかおかしくなっている。主人公クリス・カイルもそうだが、戦場に行った者はみんなどこかおかしくなって帰ってくる。クリス・カイルの弟もイラクへ行くのだが、戻る時には目もうつろで、喋る言葉もどこかおかしくなっている。
 でも不思議なことに、クリス・カイルは戦場にいたほうがむしろ平然としている。アメリカの日常に戻った時の方が落ち着きをなくしている。戦場のほうに適応してしまい、日常に帰れない姿が描かれていく。

 そんなクリス・カイルの前に、ライバル的な存在が現れる。元オリンピック射撃選手のスナイパー、ムスタファだ。ムスタファも凄腕狙撃手で、アメリカ兵をどんどん刈り取っていく。
 でもクリス・カイルとムスタファは、エンタメ的な“ライバル”という構図で描かれていない。どちらかといえば、コインの裏と表のような存在。クリス・カイルにとって、内面的な闇の存在として描かれる。

 だいたい映画のど真ん中というのは重大な事件が起きるわけだが、『アメリカン・スナイパー』の場合、ムスタファによって仲間が何人も一気に刈り取られる事件が起きる。これによって、クリス・カイルはどんどん戦場に捕らわれていく。
 クリス・カイルにとって、ムスタファはある種の“呪い”のような存在に格上げしていく。ムスタファがいるから、また戦地に行かなくてはならない。あいつを生かして残していたら、また仲間が何人も殺されるかも知れない。クリス・カイルは仲間達が殺される、というトラウマを乗り越えるために、ムスタファと向き合わなくてはならなくなってしまう。
 この対決の構図、Wikipediaを見るとどうやら原作とは違う部分らしい。どうして映画でここを改変したかというと、ムスタファの存在を、クリス・カイルが乗り越えるべき葛藤として設定したかったから。クリスの内面をより強くあぶり出すために必要な描写だった。

 それで、そのムスタファに勝利した直後、クリスは妻に電話する。戦闘のまっただ中なのに。なぜあそこで電話を始めたのかというと、あの瞬間、胸につっかえたものがスッと落ちたからだ。憑きものが落ちたから、報告したわけだ。

 『アメリカン・スナイパー』は戦地での物語ばかりではなく、戻ってきてからの物語も厚く語られる。日常に戻ったからといって、精神もすぐに日常に帰れるわけではない。それはクリス・カイルだけではなく、戦場に行った多くの人々も同じだった。
 戦争に行くことのトラウマまでしっかり描き、美談として終わらせていない。見終えて、なんともいえない後味を残す作品だった。


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