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[読書記録]「カヨと私」(内澤旬子) / 自分とは違う生き物のこと

先月の「本の雑誌」でイチオシで、Twitterでも話題になっていたので、近いうちに読んでみたいと思って読んでみました。
ヤギの「カヨ」さんが内澤さんのおうちへトラックでやってきて、その日から美しいカヨさんと始まった生活。
カヨさんの描写にうっとりとして、ヤギを飼ってみたくなります。でも絶対に私には無理なので強く自分を引き留めます。

カヨさんの好む草を探して、カヨさんと歩き回る内澤さんや、カヨさんとご近所の海に行って、2人で遊ぶ様子は、思い浮かべるだけで素敵に思えます。
それは内澤さんのあたたかなフィルターを通したカヨさんへの気持ちが溢れているからなのだろうな、と当たり前のことをじーんと感じさせられるのです。
ヤギって孤独に強いと言われているのですね。私はヤギのことを全く知らないので、へぇ、と思いながらとてもおもしろく読み進めました。でもカヨさんは内澤さんのことをとても信頼していて、甘えているように思えます。かわいいお二人。

だけど、その生活は、一筋縄では行きません。当たり前だよなぁ。生活なんだもんなぁ。と心から納得します。子供を育てるのと同じで、外から見るのとやってみるのとでは手に取る苦労が大違いなのだとよく分かりました。
それでも、生きるものの要求に誠実に応え、真摯に向き合うことは、とても尊くて美しいことだと心から思います。

カヨさんの、椿を食べる描写がとても好きでメモをとりました。

おまえは人間だから知らないんだろうけど、椿の花はね、蕾と、咲きかけと、花びらすべてが開いたときと、地面に落ちたて、それから花びらの色が茶色くなって、全部茶色くなって、カリカリに乾くまで、それぞれ全部味が違うのよ。蕾は青くて爽やかな味わいがあるし、花びらが赤い間は、強い蜜の甘みに加えて花粉がまぶされてね、一層上等なお菓子になるの。でも枯れてきたらお終いなんて思うのは間違い。熟成っていうの?蜜の甘みが変化して滋味深くなるの。

「カヨと私」内澤旬子より

内澤さんは途中からカヨさんを理解しようとどんどん同調して半分ヤギになっています。そしてカヨさんの方はどんどん人間になるのです。

動物と暮らしたことがある人なら思い当たることだと思います。私は、カメレオンに「かめお」と名付けて飼っていたことがあるのですが、かめおが喉が渇いている時や、カゴの外に出たそうにしている時、私が帰って私の顔を見て「おお、また会ったやんおかえり」なんて言っているのがとてもよくわかりました。完全に人工下で生まれたかめおだったので、生きている餌を舌でぺろっと取るのがそんなに上手ではなく、「ああ、また失敗したわ、いやんなった」と諦めたり、それを「かめお、どれだけでも待っててあげるからがんばって食べな」と励まして時間をかけて餌を与えていた日々のことを思い出しました。

カヨさんと内澤さんの日々を垣間見せていただいて、ヤギの感情や習性、それに個体差のことまでいろいろな場面に思いを巡らせました。とても新鮮で愛情に満ちていて、それでいてハラハラして、面白かったです。

角を掴むたびに、私にも以前は角があったような気持ちがするのはどういうわけなのだろう。角から頭に伝わる振動や、根元のウズウズする感じを“思い出す”のだ。
ねえカヨ、おまえが人間だったように、私は昔ヤギだったみたいだよ。

「カヨと私」内澤旬子より

動物と人間との関係、飼育すること、そして、捕まえて食べること。私も内澤さんが仰るように、動物を食べることに関して「絶対のルールとして他者に押しつけるべきものとは思えない」と常々思っています。人にも動物にも、それぞれ生きていく環境と条件があるからです。


後半は特に、ハラハラして、どうするのかな、どうなるのかな、という展開で、いろいろと自分ならと想像しました。動物と人間との関係について、そしてその現実について、深慮させられます。
本当に面白かったので、動物が好きな方におすすめです。

3月最後の本の記録でした。


かめお

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