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大河「いだてん」の分析【第37話の感想】 100歳の嘉納治五郎に1964東京オリンピックを見てもらいたかった。

いだてんの全話感想ブログです。第37話は嘉納治五郎の最後が描かれた。嘉納治五郎は、主人公たち以上に、この大河の主人公だった。

〜あらすじ〜
嘉納治五郎(役所広司)は開催が決定した1940年東京オリンピックの準備を進めるが、日中戦争が始まった日本ではオリンピック反対論が沸き起こる。理想のオリンピックとは程遠い状況に激しく葛藤する田畑(阿部サダヲ)を金栗四三(中村勘九郎)が訪ねる。オリンピックへのあふれる思いを語り合う2人。嘉納はエジプトでのIOC総会に参加し日本開催を危ぶむ声を封じ込める。帰国の船で乗り合わせた外交官・平沢和重(星野 源)に、自らの夢を語るが──。


金栗四三が5歳の頃、嘉納治五郎はすでに超有名人で、熊本の第五高等中学校の校長に就いており、四三の家族は「嘉納先生に抱っこしてもらえたら四三も丈夫な子に育つ」と迷信を言い出して、熊本の片田舎から熊本市まではるばる出かけていったエピソードがある。第2話の事だ。
1896年。嘉納治五郎36歳。これが「大河いだてん」の中で最も若い嘉納治五郎が描かれたシーンにあたる。

そして今回、第37話では、嘉納治五郎の最後が描かれた。
1938年。享年77歳。
つまり我々は大河を通じて“40年間にも及ぶ嘉納治五郎の人生”を見てきたことになる。

大河いだてんは、年の前半と後半で主人公が変わる特殊な構成を用いているが、前半の主人公、金栗四三にとっても、後半の主人公、田畑政治にとっても、嘉納治五郎は精神的な支柱であったし、師であった。
嘉納治五郎だけが、この大河の前半と後半を無尽に行き来し、繋ぎ目となった。

主人公たちは治五郎に重用され、表舞台へと導かれてきた。
治五郎が熱く夢を語り、それに巻き込まれてみんなここまできた。
治五郎が道をつくったオリンピックに魅了され、治五郎から託されたバトンを受け継いだ。

つまり、ここまでの大河いだてんは、1話から37話まで、“嘉納治五郎の物語であった”とさえいえる。

“最後の晩餐”を船上で終えた嘉納治五郎は、乗り合わせた他の船客たちに、「一番楽しかった話を語り合おう」と声をかけたという。

平沢和重に「嘉納先生の一番はなんですか」と質問されて、治五郎は大いに語り始める。

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そうだな、ストックホルムも楽しかった!
それに、ロサンゼルス!

ストックホルムには田畑はいないし、ロサンゼルスには四三はいないのである。
嘉納治五郎だけがただひとり、どの景色も見てきたし、それらのたくさんの景色をつくりだしたのは、いつも嘉納治五郎だった。

だからこそ、大河いだてんは“ここからが本番”なのだ。

ここからは前半と後半は融解して総合戦になるだろう。
“嘉納治五郎がいる世界か、いない世界か”だ。
治五郎がいなくなった今、
すべてを導いてきた治五郎のいない今、
自分たちでビジョンを描き、自分たちで世界を動かし、自分たちでやり遂げねばならない。

※※※

当ブログの全話感想スレッドの中でいうと、
【第30話の感想】 ロサンゼルスの嘉納治五郎“布教活動”」とか、「【第17話の感想①】 嘉納治五郎の夢、スタジアム建設」などに特に、嘉納治五郎の思想や活躍について掘り下げて分析して書き留めているので、読んでみて欲しい。


30話にはこういうエピソードがあった。ロサンゼルスの時だから1936年の事。当ブログの文章から引用する。

田畑に「嘉納さんは柔道をオリンピック種目には推さないのですか」と尋ねられてこう応える。

まだ機は熟しておらんからだ。まずいまは陸上と水泳で様子を見つつ、水面下で普及活動をし、世界中に弟子を増やし、満を持して正式種目にする。そのころ私は100歳を越えているかもしれないが。わはは。

治五郎が計画的に、夢の実現へと邁進する姿がここからも見てとれる。

本当に、嘉納さんには、東京で開催されるオリンピックを見てもらいたいたかった。

東京オリンピックが開催できたのは1964年だ。
実は柔道がオリンピック正式種目となるのもこの1964年なのだ。
嘉納治五郎の生まれは1860年。
生きてたら104歳か。100歳と少し。
予想までぴったりじゃないか。


1964年──。
満員の観衆で埋め尽くされた明治神宮外苑のスタジアム。興奮した表情の嘉納治五郎。

田畑!オマエ、すごいじゃないか!
ほら早く見てみたまえ!金栗君!

嘉納治五郎の声が、僕らの耳にはこんなにハッキリと聴こえてくる。

(おわり)
※他の回の感想分析はこちら↓


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