【短編小説】可愛くないモノ Vol.4

あれは多分、五歳くらいだったと思う。桜の綺麗な季節に、私と妹は祖母に連れられ動物園へ出掛けた。私はお気に入りの、ウサギの顔の形をしたリュックを背負ってご機嫌だった。

動物園からの帰り、駅の近くの公衆トイレから数メートル離れた噴水の前で、妹と、妹に付き添う祖母が出てくるのを、私は一人で待っていた。リュックを背中からおろし大事に両手で抱えて、中のものを取り出しては仕舞い、また取り出して楽しみながら。
ふと顔を見上げた瞬間、私のルンルン気分は一気に消え去った。私を凄まじい目つきで睨む老婆が、数メートル先に立っていたのだ。ぼろ布を纏ったその老婆は、真っ黒に日焼けしガリガリに痩せこけていた。老婆はどんどん私に近付いてくる。逃げようとしたときにはもう遅く、老婆は私のリュックの紐を掴み奪い取ろうとした。私はリュックを抱える手にギュッと力を入れて、必死で抵抗した。

「止めて、これは、私のだから」私はそう何度も繰り返した。幼い私にはそれが精一杯で、どうすることも出来なかった。中に入っているのは、玩具のお金と折り紙や人形だけ。金目の物も食べ物も入っていないのだと分からせれば、老婆は子ども用のリュックなんて欲しがらないということも、まだ分からぬ歳だっだ。

「これは、私の」私は半ベソをかきながら力いっぱいリュックを引っ張った。その時、ようやく祖母と妹がトイレから出て来た。私と老婆の姿を見た祖母は血相を変えて、「何してるの!その子から離れなさい」と駆け寄って来てくれた。ー助かったーそう思ったと同時に老婆の手がリュックから離れ、私は後ろに倒れそうになった。
これだけで終わっていたら、私はもしかするとこの出来事を忘れていたかもしれない。でも老婆はリュックから手を放すとき、言ったのだ。
物凄い形相で、言ったのだ。

「それは本当にお前のか」と。


老婆はそう言い残し、逃げ去った。あのウサギのリュックは、誕生日に両親がプレゼントしてくれたもので、紛れもなく私のリュックだった。老婆のその不可思議な言葉は、幼い私の心に深く刻まれた。
その出来事を、祖母にも両親にも詳しく話したが、最後のその言葉だけは、どうしてだか、今まで誰にも打ち明けたことがない。

to be continued……

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