【短編小説】可愛くないモノ Vol.7

夕方、少し楽になった私は、以前医師から紹介された心療内科へ向かった。帰宅ラッシュで、電車は尋常じゃないほど混んでいた。また息苦しくなる。でも今からこの辛い状況を聞いてもらえるのだと思うと、少しだけ楽になった。

清潔感のある、思っていたより広々とした待合室は、疲れた私の心を癒してくれた。診察を待っている人達は皆普通の人だ。目に見えて心を病んでいるような人は一人もいない。ただ、どの人も少しくたびれた感じがした。ここでは誰にも明るく振る舞わなくても良いのだと思うと、日々の疲れが一気に剥がれていくような気がした。
診察してくれた中年の女医は、面倒臭そうで良い印象ではなかったが、カウンセリングをしてくれた年配の女性はとても優しかった。支払いを済ませ出口へ向かった私は、何故だかふと、振り向いた。そのときだった。待合室のソファに座る懐かしい後姿を見付けたのだ。彼女らしき女性を支える様に寄り添う、華奢だけど広いその背中に、私は思わず呼び掛けていた。

「先生!」
「翠、か?」振り向いた先生は、直ぐにそう言ってくれた。私を覚えていてくれた。それなりに歳を重ねてはいたが、先生は全然変わらない。先生の隣に座る女性が、この人誰?と先生に目で尋ねた。
「霧島翠さん。僕が教師になりたての頃の生徒さんだよ」
「はじめまして、先生には昔お世話になりまして」私はそう言って軽く会釈した。
「頼りない先生だったでしょ」女性はにこやかに笑った。日本人離れした白い肌に、とても整った顔立ち、ハーフかな?と思った。
「大原彩菜さん、診察室一番へどうぞ」ナースがそう告げた。
「あ、私行ってくるね」女性は先生にそう言うと、私にニコリと微笑み診察室へ入って行った。

「隣、いいですか?」私はさっきの女性が戻ってくるまで、一緒に待つことにした。
「もちろん」先生は変わらない。
「付き添いなんだ?」
「そうだよ」
「彼女?」
「まあね」
「すっごく、綺麗な人だね」昔なら、私が他の女の子を褒めると必ず先生は、その子のどこかを貶した。
「そう、かな。ありがとう」先生は少し照れ臭そうにそれだけ言った。全部が変わらない訳じゃない。当たり前か。
「先生は、まだ先生なの?」
「ううん、教師は三年前に辞めたんだ。今は不動産会社で働いているよ」
「そうなんだ。何で?あ、ついにロリコンがバレた?」
「だからー、ロリコンじゃないから。彼女、ちゃんと大人だったでしょ?」
「そうだね。私より年上かな。二十七、八くらい?」
「よく分かるね。誕生日が来たら二十八だよ」
「何も問題ないね」
「だろ?後にも先にも、君だけだよ」先生の笑顔は何故だか少し、寂しそうに見えた。それはきっと、私が寂しかったからだ。
「先生は変わらないね」
「そうかな。歳とったけどね。翠は、綺麗になったね」そんなこと言ってもまだ三十四だ。先生は、やっぱりかっこいい。
「そうでしょ」私は、わざと得意げに返してみせた。昔みたいに。褒められて、こんなに傲慢な態度をとれるのは先生が相手の時だけだ。こんな風に振る舞うと、本当にいい女になった気がする。先生はいつも私を、そんな気持ちにさせてくれた。十四歳の頃から、ずっと。

「ねぇ先生、私、大人になったでしょ?」私は、先生の目を見そう言った。

to be continued......

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