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届けたい人

前回はそうなっているについてお話しました。
今回は「届けたい人」についてです。

ご縁のある方と共有していきたい、NBW・相互循環の世界ですが、
自分の経験から、とりわけお伝えしたいと思うジャンルの1つが、スポーツ界、アスリートの方々です。

もうこれ以上は…

アスリートの世界で「追い込まれる」という状況は、珍しくありません。

「好き」から始まった世界、身体との時間だったはずが、結果が出る程、なぜか身体と心と頭が分離した世界へと進んでいく。
どう進んだらいいかわからない中で、進化していないことに恐怖を感じ、動けない自分を責める。

スランプやアスリート鬱と呼ばれ、本人も周囲も早く抜け出したくなるものですが、実は、進んでいないと見えるこんな時こそ、気づけるものが沢山ある大切な時間だと感じます。

なぜ屈強なアスリートが?

能力も体力も高いとされるアスリートが、全く動けなくなってしまう理由は、日常の選択も競技の一部として捉え、最終的な選択を自分の感覚ではない部分に委ねるからです。

本来は、競技に関する選択も日常の一部なんですよね。

こういった身体と自分との状況を、よく馬や車に例えます。

馬は「こちらに進みたい」と示しているのに、乗っている人間が、馬のサインを汲み取れず、または、そのサインよりも何かを優先し、馬をコントロールしようと手綱を引っ張り続ける。これは馬だったら嫌です。

軋みや異音、燃費を通した車のサインを見逃し、ひたすら目的地へとハンドルを切り続け、アクセルと同時に摩擦によるブレーキがかかり続けている。これも大変なこと。

もっと上手にコントロール

どちらも常に「動きにくさ、違和感」を感じるはずなので、もっと上手に操縦するため、あらゆる馬術やドライビングのテクニックを学び、さらにコントロールをはじめ流でしょう。その先は、終わりのない苦しいものだと思います。

こういった状況はどこでもあると感じますが、とりわけアスリートが陥りやすい要因は、こういったやりとりの、受信側・発信側の双方を、常に自分の身体と行なっていること。そして、そのボリュームの大きさにあります。

出力✖️忍耐力

アスリートは、馬力も大きく、手綱を引く力、アクセルを踏み込む力も大きいので、故に馬の抵抗、車の摩耗も相乗して大きくなります。

さらに、その違和感や痛みに耐え、先に進み続ける事を美学や実践している証ともし、想定した道筋での結果以外は、結果とは認識できません。
だから、どれだけ進んでいる最中で大切な気づきがあったとしても、ゴールに到達する為に前を見て、壊れるまでの負荷を繰り返しかけ続けてしまえる。

これが「自然な身体の働き」を置き去りにして、もっと「上手に身体を使おう」と陥っていく状況です。身体とコミュニケーションをとっているつもりで、外側にゴールを置いて、身体を思うようにコントロールしようとしています。

身体と共に歩む

一度こういった状況に陥ってしまうと、どう足掻いてももう抜け出せないような感覚になります。でもそんなことは決してありません。

原因は、身体のサインを感じられなくなっているから。
自分の「好き、嫌い」「心地よさと違和感」を信じられなくなっているから。
根本はここだと感じますす。

最終的な答え、選択の手がかりは、必ず自分の中にあります。
「これだという確信」を感じる力は、本来全ての人にあり、いつからでも、何度でも育むことができます。

そしてアスリートは、自分の感覚を信じられる様になってからの変革も、また力強い。

常に身体と向き合い、アスリートの世界だからこそ、身体と共に選択し続けた先に、想像もできなかった幸せと共に、1つの結果を見つけることができ、それすらも道半ばと感じ、さらに進んでいける世界がある気がします。

やっぱり届けられるものって、
自分の人生や経験なんだろうなーと思いました。

次回は身体と思考の間についてです



豊田玲子(遊びたい、身体大好き)
理学療法士 パーソナルトレーナー
2012 IFBB World Chanpionship Body Fitness 日本代表

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