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右翼の似非ノスタルジック作戦

右翼は「昔はよかった。昔の日本を取り戻そう」が基本的なスローガンである。しかしその昔というのはそもそも存在していない架空の昔である。もしくは自分の青年時代の原風景を現実と勘違いしているかである。

ルネサンスというのは復古や回帰ではなくその時代における歴史の再解釈を理論や文化に転換する再生運動である。だから似非ノスタルジックだ。水戸学を誇張したのが近代日本主義であるが拡大解釈にもほどがある。

今回は右翼が使う似非ノスタルジック手法の全貌を明らかにする。

(A)昭和後期を良しとする右翼

この時代が良かったと思うのは個々人の勝手だがこの時代に行われた経済政策や家族観や生活観や恋愛観を今の時代に復活して導入する事は何の価値もない。

老害はすぐに自己経験から昭和後期を持ち上げる。低偏差値は「プロジェクトX」や「ALWAYS 三丁目の夕日」を尊ぶ。頭が悪いので単純明快なレトロチックな世界観に嵌りやすいのだ。第2次世界大戦は「映像の世紀」を見て理解するのも低偏差値の特徴。

(B)昭和前期を良しとする右翼

この時代は近代日本の終着駅が専制カルト主義(=皇国社会主義)だった事を端緒に示した。それだけの時代。自国と他国を痛めつけて国際社会や周辺住民を蹂躙し大敗北をした。アジア解放というデマで侵略を正当化した。

当時日本領土であった台湾の人々や朝鮮の人々を差別して蹂躙した。「インフラを整備してやった」と右翼は偉そうに語るが当時は自国だから当たり前だ。また満州というデタラメな国家を樹立してアヘンを売り好き放題やっていた。

低偏差値は『坂の上の雲』『永遠のゼロ』を尊ぶ。頭が悪いので自己犠牲ヒロイズム=道徳心溢れる日本人と解釈してしまう。

右翼の云う「GHQから取り戻す従来の日本(=英霊)」の中核はここである。右翼が大好きな靖国神社はそこらのカルト宗教の一派であり国と何の関係もない。

(C)幕末(=尊王攘夷)から明治を良しとする右翼

この時代の初期は幕末の志士や新選組がしのぎを削っている。別にそれはかまわないし、あくまでもイデオロギー的には近代日本を構築するのに尊王攘夷は不可避だったとは考えられる。

しかし現代日本において水戸学的な皇国主義=日本の正統な歴史と考えたり日本は2600年ほどの歴史があると断定するのは単に低偏差値のカルト右翼である。家父長が伝統というのもデタラメであるし近代日本は薩長閥 + 財閥が中心であった。

低偏差値は『龍馬がゆく』『燃えよ剣』を読んだ事はないがただあの幕末の志士や新選組のイメージは低偏差値の右翼やオタクにどこかで通じている。低偏差値の代名詞といえばやはり坂本龍馬ですよね。

司馬遼太郎はラノベ文化やサブカルにも通じているので全く賞賛しない。ただ司馬はまだインテリであった。そこらの右翼の知性とはレベルが違う。日本人というものを所詮人為的な近代主義の亜流にすぎない事を理解していた。

(D)武士を良しとする右翼

これは散々申し上げたが武士のイメージは時代の中で大分改竄されている。武士が一貫して文武両道というのはデマだし、どちらかというと従来は中国の文化である。低偏差値は新渡戸稲造の武士観=ノブレスオブリージュを真に受けている可能性が高い。

(E)先史時代を良しとする右翼

右翼 + スピはこの路線をとりやすい。

そもそもそれ日本じゃないから。日本列島に渡来人と原住民が住んでて生活していただけ。先史時代に戻そうという運動はカンボジアのクメールルージュに近い愚鈍な発想だ。

結論

右翼がエスノセントリズム(=単一民族幻想)やノスタルジー(=武士や軍人や経営者は素晴らしかった)やスピリチュアル(=神社参拝・お遍路)や陰謀論(=GHQ/ディープステート)といったストーリーを吹聴し「国を取り戻す」世直し運動が推進されれば必ず政治、経済、教育、歴史、芸術が破壊され国力が落ちる。

なぜなら皇国主義(=神武天皇以来云々)が日本の歴史に連なっていないからだ。右翼は自由民権運動の時からいつも間違っていた。常に個々人の人権を攻撃しながら自分たちだけ人権が保障されている(=選民主義)という最大の矛盾に対して右翼は何ら答えを出せない。それが右翼の低偏差値人生を端緒に示している。

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