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恋の痛みも、煙のように消えていく。【エッセイ】

はじめて付き合った男は、エコーの匂いを纏っていた。
オレンジ色のパッケージに包まれたその煙草は、当時180円。コンビニに並ぶ銘柄のなかでも格段に安い。

「音楽家だからさ。いいでしょ、エコー」
そう言って彼は、大きな手でジャズベースを弾いていた。

わたしが初めて吸ったのも、同じ煙草。
朝になっても帰らない彼を待ちながら、なかばやけくそで、灰皿に溜まったシケモクをひとつ手にとり、火をつけた。

肺が苦しくて、ぶざまに咳きこんだ。涙目になりながら、彼に似合う女になりたいと思った。

17歳という自分の年齢が、苦しかった。

◇◇◇

その匂いに4年間包まれて、望みどおり大人になったわたしは、彼と暮らした小さな部屋を逃げるように去った。

新しい恋、失恋、留学、大学卒業、就職、結婚、と駆け足で人生を進むなかで、エコーは3回値上げされた。

◇◇◇

「エコーなど3銘柄 10月以降、在庫がなくなった段階で販売を終了」
今週のニュースには、大きな話題に隠れるように、そんな文字が並んでいる。


ふと思いたって、SNSの検索欄にあなたの名前をいれてみる。
「エコー販売終了だってさ。買いだめしよ」

ああ、そう。
あなたは今もあの匂いをさせているの。
子供が2人、いるんだってね。

子供を持つ予定もないわたしは、夫のアメリカンスピリットを一口もらうのが、小さな楽しみ。

わたしはもう、あなたとは別の匂い。

2人で暮らした町が雪に閉ざされる頃には、あなたもきっと、わたしの知らない匂いをさせている。



お読み頂き、ありがとうございました。 読んでくれる方がいるだけで、めっちゃ嬉しいです!