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『イタい女』 6

〈無視ですか?〉

〈そんなに私のこと嫌いなんですか?〉

〈さっきからLINEしてるのに、メッセージも読んでくれてないし〉

〈何度も電話してるのに、全然出てくれないし〉

〈私、何かしましたか?〉

 夜中に目を覚ますと、ちょうど午前三時を回ったところで、彼女から引っ切りなしに送りつけられてくる狂気じみた内容のメッセージが、スマホの画面を埋め尽くしていた。全文読もうにも、通知画面を迂闊に開いて、万が一、既読でもつけようものなら、そのあと何を言われるかわかったもんじゃない。かといって、このまま全文が見えない状態で放置するわけにもいかず、どうして良いのか判らず、ただ、大量に送られてくるLINEの通知を、未読のまま放置しておくことしかできなかった。

「何? どうしたの?」

 そう言って隣で寝ていた葵が、ふいに目を覚まし、横から画面を覗き込んでくる。

「あ、ごめん……。起きた?」

「いや、べつにいいけど……」

 まだ寝ぼけているようで、そう彼女が擦れた声で答える。

「いや、何ってことはないんだけど、ほら……」

 そう言ってスマホの画面を向けると、暗がりで照らされた葵の顔が、ぼんやりと浮かび上がる。起き抜けに目にするには、ちょっとばかり刺激が強すぎたようで、画面から発される光に、彼女が眩しそうに目を細める。

「何これ? 例の女?」

 通知画面に映し出された文面に目を通し、彼女がそう答える。

 メンヘラ女のことは、前に葵にはそれとなく話していた。すぐに察しがついたようで、こちらが無言で頷くと、

「はぁ? マジ? ウザくない?」

 と、呆れたように葵が口悪く同調する。

「もう、こんなん、何て返しゃいいんだよ……」

 困り果てて、葵に助けを求めたが、葵にとってはどうでもいいことのようで、

「もう、寝てたことにして、明日にしたら?」と、少し考えてから、他人事のようにアドバイスしてくる。

 そのてきとうさ加減に半ばうんざりしつつ、妙に的を得ている葵の助言に言い返すこともできず、仕方なく助言に従うことにした。

 そしてLINEのアプリを立ち上げ、葵の助言に従いメンヘラ女にメッセージを送ろうと、トーク画面を開いた瞬間だった。とつぜん着信を知らせる通知画面に切り替わったスマホの画面から、けたたましい着信音が鳴り響いたのは。

「え? マジ? 何時だと思ってんの?」

 そう思わず声が溢れ、スマホを握りしめたまま、ため息と同時に、驚きを通り越し、絶望にも似た感情が込み上げてくる。ケータイを握りしめたままうな垂れていると、すでに寝返りを打っていた葵が、とつぜんの音に驚き、「えぇ? 何!?」と、まるで地震でもあったような形相で飛び起きる。

「で、電話?」

「あ、あの女だよ……」

 うんざりしながら、着信画面を見せると、

「はぁ?」と、呆れ果てたように、一度言葉を失ってから、「もう、いい加減にしてよ……。いったい、何時だと思ってんのよ……」と、うんざりしたように、寝返りを打ち直し、こちらに背中を向ける。

「常識がないのよ……。その女……」

 タオルケットを頭から被り、眠たそうに答えてから、

「もう、出てやったら? どうせ出なきゃ出ないで、何度もかけて来るんでしょ? はっきり言ってやったらいいのよ。彼女が居るから、もうかけて来んなって……。いつまでもヘンな期待を持たせてるから、そんなことになるのよ……」と、溜まっていた鬱憤を晴らすように、八つ当たりしてくる。

「何だよ。おれが悪いのかよ……」

 腹立ち紛れに不平を口にてみたが、彼女が寝返りを打ったっきり何も答えようとはしないせいで、ただの独り言になってしまい、そのせいで途端に虚しさが込み上げてくる。まさかほんとに寝てるわけでもないだろうが、寝息しか聞こえてこないところをみると、この数秒間のあいだに、ほんとに寝てしまったのか。返事を待っても返ってきそうにないので、仕方なくメンヘラ女の電話に出ることにした。

「はい? 何?」

 メンヘラ女からの執拗なLINE責めと、葵の塩対応のせいで、かなり鬱憤が溜まっていたせいもあり、自然と電話に出る声の語気が強まる。

 こちらのイラ立ちが向こうにも伝わったのか、

「私がいったい何かしたんですか?」と開口一番、女が食ってかかってくる。

「何かって、今まさにしてることだよ……。いったい何時だと思ってんだよ……」

 とりあえず諭すように話しかけてみてから、

「三時だよ。三時! 電話をかけてくるにしても、もう少し常識的な時間ってものがあるだろ?」

 と、電話口の相手の顔色を伺いつつ、女の常識の無さを注意した。

「じゃあ、電話に出ないのは常識なんですか? 私は仕事の話をしようとして連絡してただけなんですけど!」

 その指摘に気を悪くしたメンヘラ女が、自らの正当性を主張しようとして、どうにかしてこちらの揚げ足を取ろうと、身勝手な屁理屈を捏ねて反論してくる。

「だから、さっきまで寝てたんだよ! つか、いくら仕事の話でも、夜中の三時にかけてくるヤツがあるかよ……」

「寝てた? じゃあ、何度もLINE送ってるのに返事がないのは? 最初に送ったヤツは、ちゃんと既読になってましたよ! それってメールを見たのに、無視したってことじゃないんですか? メールを見たのに無視するって、社会人として常識がないんじゃないんですか?」

 そう彼女から指摘され、一応、LINEのトーク画面を確認してみた。が、すでに相手からは何通もメッセージが送られてきており、その中のどのメッセージが、そもそも最初に送られてきているモノなのか、はっきりとは判らなかった。

「え? 最初って、いったいどれのことだよ……」

「最初は、最初ですよ! 仕事のことについて、質問してるじゃないですか? そのLINEは既読になってましたよ! 無視したんですよね?」

「え? そうなの? LINEの画面を開いたままにして、そのまま寝ちぇってたから、勝手に既読がついたんじゃねーの?」

 てきとうに嘘をつき、その場を乗り切ろうとした。

 不思議なことに彼女と会話をしていると、ふつうに会話をしているだけなのに、なぜかだんだんイライラしてくる。なんとか平静を装おうとしているのに、いちいちこちらの神経を逆なでしてくる。

「つーか、その話、今じゃなきゃダメ? 俺、明日も早いんだけど! 仕事のことについて質問があるんでしょ? そんなに急ぎの用じゃないんだったら、明日、改めて職場で顔を合わせてから、話せば良くない!?」

 とにかく電話を切りたくて、電話口の女にキツい言葉で畳みかけた。こちらが一方的に話を終わらせようとしているのが気に食わなかったのか、機嫌を損ねた彼女が不服そうに、

「じゃあ、もういいですよ! 寝たければ寝ればいいじゃないですか! さよなら!」

 と、捲し立てるように捨て台詞を吐き電話を切る。

 その直後、電話の向こうが、とたんに静かになる。

 やっと女から解放され、もう一度、眠ろうと枕元の時計に目をやると、すでに深夜の三時半を回ったころだった。まだ起きるには、少し時間があったので、葵の独占している布団の端に、もう一度、からだを滑り込ませた。

 ただ、予期せぬメンヘラ女からの精神攻撃で、神経を逆なでられたせいで、最早、寝れる気はしなかった。隣で眠っている葵の寝息だけが、シンと静まりかえった暗闇に、微かに響いていた。

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