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政治講座ⅴ353「日本の良き伝統・文化を破壊する支那人」

 同じ人間だから習慣や道徳観が同じだと思ったら全然違う。支那大陸と朝鮮半島は、日本文化と宗教観・道徳観・倫理観が全然違うのである。以前解説したが140年前に出版した福澤諭吉著『脱亜論』に同様のことが書かれていた。「支那と朝鮮」と同列と見られる事は「日本の品位・品格」を落とすことになると著書は語っている。支那人や朝鮮人とは見た目が同じであり、「悪いことをしたときは日本人を名乗れ」と言って悪行を重ねていることは有名な話である。米国で黄禍論が出て排日運動が起こった原因は日本が彼らと同列に見られたことも一因であると分析している。文化大革命の時、殺した人の肉を食う殺戮が行われたことの調査が行われて事実であることが分かっている。信じられないが本当である。そして、法輪功学習者の生きたからだから臓器を取り出して、移植するなどの臓器移植ビジネスが支那で横行している。そして、誘拐ビジネスも報道されている。

        皇紀2682年9月3日
        さいたま市桜区
        政治研究者 田村 司

はじめに

 支那人の本質を理解しなければ、日本は内部から文化・歴史・伝統・習慣が破壊されてしまう。難民ではなく、侵略の一端である。ヨーロッパへの難民はヨーロッパの文化・伝統・風習を破壊している。アメリカへの不法移民もアメリカの文化・伝統や経済基盤を破壊している。これが、世界で起こっている現実なのである。
「地獄への道は善意で舗装されている」
 The road to hell is paved with good intentions

政治講座v347「あな怖ろしき!生体臓器移植者の遺体が出た」|tsukasa_tamura|note

政治講座v325「もう始まっている第二の支那文化大革命:過去の文化大革命中に広西チワン族自治区で虐殺と人肉食人の記録(広西虐殺)がある」|tsukasa_tamura|note

中国人の「祖国脱出」が静かに進む…人気移住先・日本を中国資本が席巻か

姫田小夏 2022/09/02 06:00

© ダイヤモンド・オンライン 提供 昨年までの
“帰国熱”から一転して“出国熱”に(著者撮影)

 中国で“移住願望者”が増えている。祖国への不信感を募らせているのだ。振り返れば2020年以降、新型コロナウイルスの世界的感染拡大に伴い、「中国は世界一安全な国」だと、海外から多くの中国人が先を競って帰国したものだった。わずか1年で正反対の動きが始まった。(ジャーナリスト 姫田小夏)

中国から大挙して押し寄せるのか

 戦前から戦後にかけて上海で高い人気を博していた小説家に張愛玲(アイリーン・チャン)がいる。最近上海市民のSNSに、彼女がよく登場するようになった。知日派の上海の友人は「日本で言うなら林真理子さんのような人」だという。

 香港中文大学の資料によると、アイリーン・チャンは19歳の若さで名をはせ、1940年代初頭の上海で最も人気のある女性作家だったという。しかし、1949年に中華人民共和国が誕生すると、中国共産党下の空気に耐え切れず、1952年に香港に向けて脱出した。

 70年以上も昔の人気作家が再び注目される背景には、上海市民の中国からの脱出願望がある。今、上海市民は香港に逃げた女性作家に自分を重ねているのだ。脱出願望が高まる理由として、今年春に上海で断行された都市封鎖がある上海のみならず中国という国に、このまま居続けるリスクを不安視する人もいる

 上海に親戚を持つ都内在住の孔慶さん(仮名)は「今逃げないとヤバい、と脱出を考える人が増えました。移住への関心は間違いなく高まっています」と話す。「上海ロックダウン」の後遺症が決して軽微なものではないことがうかがえる。

 移住と言っても、簡単なことではない。仕事の問題、子どもの教育、親の面倒をめぐっては熟慮を要する。そもそも資金を海外に持ち出しにくいのも難点だ。外貨準備高の減少に神経をとがらせている中国当局は海外送金に制限を設けているが、この送金問題を打破しない限り、移住への扉は開かない。

 とはいえ、孔さんによれば「海外在住の中国人に金を借り、借りた金を貸し手の中国の口座に振り込むといったやり方がまかり通っている」とも言う。送金問題は中国人ネットワークである程度は解決がつくようだ。

移住の目的地は日本、変わってきた中国人

 孔さんは「目的地を日本に選ぶ人が多い」という。6月1日から上海ではロックダウンが解除され、日本も1日当たりの入国者数の上限を2万人に引き上げたが、これを契機に来日した中国人留学生もジワリと増えた

 これは“大失業時代”を迎えた中国からの脱出と見ることもできる。国家統計局が2022年7月に発表した数字によると、都市部の16〜24歳の失業率は19.9%。5人中1人に職がない状態だ。

 また、留学先でさえ、欧米に行きにくい状態が発生しているようだ。2カ月前に来日したある中国人留学生は、日本を選んだ理由について「アメリカはアジア人にとって危険、イギリスは雨が多く食事が合わない。香港は狭すぎるし、他のアジアの国は知名度が低い。消去法で残ったのが、円安傾向が続き、祖国にも近い日本でした」と語っている。

 アジアの高度人材事情に詳しい日本人コンサルタントの一人は、「確かに『移住ブーム』が始まっている」と言い、次のように語る。

上海でのロックダウンを契機に、中国を逃げ出してくる人材が目に付くようになりました。驚いたのは履歴書に『今の中国で未来を展望することができない』といった来日動機がはっきりと書かれていることです」

 祖国の政治については「ノーコメント」に徹してきた中国人が、心中を吐露するようになったのは大きな変化だ。中国出身の大学教授は「往時のような魅力を失いながらも、日本が再び一部の中国人の間で注目されているのは、中国で高まるリスクと比較しての“安心安全”が得られるからです」と話している。

わずか1年で正反対の動きに

 この数年を振り返れば、上海人は非常に自信を深めていた。「上海は欧米の先進国以上に便利で、所得水準も高い」と自画自賛をはばからず、「独裁政治といっても自分の生活までは影響しない、政治批判さえしなければ大丈夫だ」――と口癖のように繰り返していた。

 しかし、上海はやっぱり“中国の上海”だった。上海市民もまた例外なく中国共産党の支配下に置かれ、その号令にはまったく無力であることを、この都市封鎖で思い知らされた。“例外的な地位”を自負してきた上海人にとってこの挫折感は大きい。

 日本に帰化した東島龍彦さん(仮名)は、帰化したことを後悔した時期があった。出張で上海の取引先を訪れるたびに、「なぜ日本なんかに移住したのか」となじられた経験がある。全身エルメスで固めた取引先の“上海人”社長の、「時代は中国だ」と繰り返す“説教”を何度も聞かされてきた。しかし、その社長も「今ではすっかり無口になってしまった」(東島さん)という。

 わずか1年前、中国人の祖国に対する信頼と忠誠心は最高潮に達していた。中国は2020年4月の時点で、新型コロナウイルスの封じ込めにいったんのめどをつけたが、この頃には欧米が大混乱に陥っていたのである。「中国は世界で最も安全な国」だと信じた在外の中国人は続々と帰国の途に就いた。留学生だけでも、2021年には100万人超が帰ってきた。

 ところがこの潮流は続かず、人の行動や心理は、それとは正反対の方向に進み始めている。

「祖国離れ」は日本にも影響が及ぶのか

 秋の共産党大会が目前に迫る。習近平政権が3期目も続けば、“暗黒時代”は続き、時計の針は逆回転を進め、“祖国離れ”を増やすことにもつながりかねない。

 出入国在留管理庁の数字によれば、日本に在留する中国人は2012年の65万人からから2019年には81万人に増加した。その後はコロナで移動が制限され、この数字に伸びはなかった。

 ただ中国人は、戦乱や貧困を乗り切るために、外国に移住するという傾向が強い。長い歴史を見れば、リスク回避のために祖国を離れることは、“機を見るに敏”な中国人の一つの特徴でもあるといえる。

 わずか1年で“帰国熱”から“出国熱”に切り替わったのは興味深いが、これに対して人ごとではいられないのは、彼らには「移民先を市場として繁栄させる力」があるためだ。

 不動産購入にとどまらず、中国資本は日本のあらゆるビジネスや取引に浸透していくだろう。「一条龍(イーティアロン)」と呼ばれる、産業の川上から川下まで丸ごと中国資本で囲い込んでいくやり方はインバウンド全盛時代の観光業でも見られた。2020年代について言えば、円安傾向が続き、人件費も中国都市部と差がなくなる中で、日本の製造業に向けてより多くの中国資本が流れ込む可能性がある。

 この“出国熱”はどの程度の高まりを見せ、どの程度のインパクトを日本経済にもたらすのか。今後の動きを注視したい。

広西チワン族自治区「文革大虐殺」の実相

殺害15万人、人肉食、性暴力…「絶密資料」発掘

2016.10.19
福島 香織

 先日、明治大学で同学現代中国研究所主催の「『文革』とは何だったのか」というテーマのシンポジウムが行われた。いわずもがな、今年は中国の文化大革命発動から50周年であるので各地でこの手のシンポジウムが行われているのだが、特にこれに興味をもったのは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の宋永毅教授が「広西チワン族自治区極秘檔案に見る文革大虐殺と性犯罪」について講演すると聞いたからだ。

 文革期に広西チワン族自治区で組織的で凄惨な人肉食を伴う大虐殺が行われたことは、知る人ぞ知る事実である。その事実について、実は共産党として詳細な報告書をまとめていたが、それは「絶密」(絶対秘密)扱いで、長らく公開されていなかった。ところが、今年、宋教授が中心となってその膨大な機密資料が編集され出版された。700万字以上36巻。

 文革というものをとらえるとき、現場で何が起きたか、それを知らないでは語れない。同じ文革でも、北京で起きたことと、内モンゴルで起きたこと、チベットで起きたこと、そして広西チワン族自治区で起きたことは違うだろう。広西チワン族自治区の文革について、この資料や宋教授の講演の内容をもとに、ここで簡単に紹介しておきたい。

なぜここまで残虐を極めたのか

 文化大革命とは1966年から1976年の毛沢東の死まで続き、77年に終結宣言がなされた中国全土で起きた大政治・社会動乱である。大躍進政策の失敗によって政権中枢から退かざるを得なかった毛沢東が、政敵・劉少奇らを失脚させ復権を図るために民衆を扇動して政治動乱をしかけた、というのが一般的な解釈で、その本質は権力闘争ともいわれているが、研究者の中には、もっとマクロな視点から、旧ソ連の社会主義に挑戦する中国式社会主義モデルの提起といった見方や、中国近現代史において唯一権力を公に批判できた時代という意義を見出す考えもある。

 中国国内ではひそやかに文革再評価論も起きているし、農村部では文革時代を懐かしむ声もある。だが、具体的に文革で何が行われたか、という視点でみると、そういう政治論的な研究など吹っ飛ぶような残虐行為のオンパレードだ。政治理想論の建前にしろ、権力闘争にしろなぜ、ここまで残虐である必要があったか、ということの方が重要な本質テーマである気がしてくる。

この資料によれば、広西チワン族自治区では、文革期に約20万の冤罪事件があり、名前が判明しているだけでも約8万9000人が不正常な死を遂げ、行方不明者も2万人に及ぶ。名前の分からない死者は3万人以上で、少なくとも15万人が虐殺されたといわれている。民間の調査では20万人以上が殺害されたともいわれている。

 文革終結後、広西の党委員会組織は10万人の人員を使って4年かけて、「文革遺留問題」処理にあたった。1986年から88年にかけて、党委員会はこの処理について上級機関に報告するための「広西文革檔案資料」を作成。この700万字にのぼるリポートでは、いつ、どこで、誰がどのように虐殺されたか、そしてどのように「喰われたか」まで、ほとんど実名で詳細に記録されていた。これは「絶密」文献として外部の者の目に長らく触れることはなかった。例外的に、のちに米国に亡命した中国人作家・鄭儀が、これら公式資料を見て、またその資料に記述されている関係者にも取材し、広西地域の大虐殺・人肉食事件を告発したノンフィクション文学「紅色記念碑」を書いている。

 だが、それ以外にこの文革大虐殺の実体を世界に公式に発信したものは今までなかった。ちなみに「紅色記念碑」の人肉食記述の部分は、「食人宴席‐抹殺された中国現代史」(カッパブックス 黄文雄訳)のタイトルで邦訳出版されている。キワモノ本的タイトルになって残念だが、原作は緻密な資料と取材に裏付けられた渾身のノンフィクションである。

 この絶密資料は米国に密やかにわたっており、主要大学のアジア関係の図書館に分散して保管されていることが近年判明。宋教授は、今年6月になって在米華字メディア明鏡出版集団傘下の国史出版から、この資料を整理して全36巻にまとめて出版した。

組織的な虐殺と食人

 この資料で特に衝撃的だったのは、文革中、302人が殺害後に心臓や肝臓を摘出され、食べられた様子が詳細に記述されており、広西地域で食人行為が横行していたことを改めて明らかにしていることだ。

 特に被害がひどかった武宣県ではこういった記述もある。

 「(1968年)6月17日、武宣に市の立つ日、蔡朝成、劉鳳桂らは湯展輝を引きずりながら町を行進し、新華書店前まで連れていくと、龍基が歩銃で湯を打ち据えた。王春栄は刃渡り五寸の刀をもって腹をさばいて、心臓と肝臓を取り出すと、野次馬が蜂のように群がって、それぞれ肉を切り取って奪った。

 肉が切り取られた後、ある老婆が生殖器を切り取り、県の服飾品加工工場の会計の黄恩范が大腿部を一本切り落として、職場に持ち帰り、工場職員仲間の鐘桂華とともに骨から肉を削り落として煮物にして食べた。

 当時、この残虐な現場にいた県革命委員会副主任、県武装部副部長の厳玉林は、この暴虐行為を目の当たりにしても一言も発さなかった。当時、招集された四級幹部会で、会議参加者のそれぞれの代表は人肉を食べ、非常な悪影響を与えていた

また、これは文革という混乱に乗じた無知蒙昧な民衆の事件ではなく共産党、国家の機関が組織的に行った虐殺、食人であったことも、この資料からわかる。当時の広西チワン族自治区の党委書記の韋国清は文革中、失脚することなく自治区トップの座におり続け、軍隊、警察、民兵らから絶大な支持を得て、指揮し続けていた。虐殺のピークは、造反派と走資派が激しく戦った内戦時期の文革初期ではなく、1968年7月3日に党中央の革命委員会が七三布告を出したあとに起きており、武闘の混乱に乗じて起きたのではなく毛沢東らが韋清国を支持した、比較的落ち着いた状況下で起きたものだった。

 この資料で名前が判明している殺人者、殺人指揮者は200人以上、うち6割が武装部長、民兵指揮員、民兵および幹部だった。食人行為を働いた84%は中国共産党員、あるいは幹部であった。チワン族自治区と聞いて、食人行為が少数民族地域の特殊な文化背景があるという人もいるが、これは漢族が中心の行為でもあった。文革中、自治区の5万人近い共産党員が虐殺、殺人に加担した。

陰惨な性暴力も横行

 資料中で、欽州地区の報告書には次のような記述がある。

 「1968年9月7日から17日にかけて、上思県革命委員会が四級幹部会を招集し、上思中学で、群衆による公開殺人大会を開いた。このとき幹部、群衆12人が殺害されたが、一部の死者は腹をさばかれ肝臓を取り出され、県革命委員会の食堂で煮て食べられた食人には県の幹部らが参加した。同県の思陽公社武装部長・王昭騰は大隊に殺人を命令し、その晩、鄧雁雄を殺害、肝臓を取り出して煮て、部下らと一緒に食べた。彼は部下らに、人の肝臓を食べると、大胆になると言って勧めた。翌日、王昭騰は、さらに4人殺し肝臓を取り出し、二、三の生産隊ごとで、一人分の肝臓を食べるように命令を出した

 宋教授は広西地区における文革の特徴として、食人以外に、軍の複数の師団兵力を使って組織的に民衆組織に対し攻撃と殲滅を行い、その派生事件として女性に対する性暴力が空前の規模で行われたということも指摘している。文革中、広西地区の農村では、父親や夫を殺害して妻や娘を凌辱することが常態化し、資料には、225事件1000人以上の被害者が記録されている。

特に、性的暴力を伴う殺害方法は多重性、計画性、残忍性、変態性がみられるという。例えば、「1968年4月25日、浦北県北通公社で、大隊が四度にわたり24人を殺害。肝臓を取り出して煮て酒とともに食べた。この公社では180人が殺害された。…主犯の劉維秀、劉家錦らは、劉政堅を殴り殺したのち、17歳に満たないその娘に対し輪姦後殴り殺し、肝臓と乳房、陰部を切り取った」といった記述もある。

 また、父親や夫を殺害後、犠牲者の妻や娘が、殺害当事者の妻にされることもあった。被虐殺者の妻を、虐殺当事者が妻とすることを「改嫁」と言った。

 「浦北県北通公社の旱田大隊革命委員会主任は計画的に22人を殺害、殺害前に、犠牲者の財産を調べており、殺害後にその妻と娘四人が幹部らに嫁がされた。その時、改嫁証明費、出嫁費用として894元が支払われた」。

 これは単なる性的暴行以上に、長期にわたる女性に対する精神的迫害ともなり、これにより正気を失った女性の報告もある

「中国的特色」4点

 虐殺やそれから派生する女性に対する暴行の本当の理由は、革命や階級闘争といった政治的目的以上に、地主や富裕層からの財産没収や、その美しい妻や娘を奪うという下品な動機があったとみられている。文革中、地元革命委員会は被虐殺者、被虐待者から「看守費」「専政費」「改嫁費」といった名目の罰金を徴収していた

 なぜ、ここまで残虐非道になれたのか。なぜ、食人が流行したのか。文革が特別であったのか。それとも広西地域が特別であったのか。わからないことはいっぱいある。

宋教授は講演の中で「中国的特色」という言葉を使った。

その特色とは、
①地方政府が意図的に作り出した無政府状態
②高度な組織化による虐殺
③虐殺の目的が階級の敵の生命を絶つことから、殺戮に伴う官能と快楽を得ることになっている。
④一族郎党を絶滅させるという方式が採られているが、これはその一族の財産(女性も含む)を奪うという動機が潜んでいる。
これらの4点を挙げている。

 そしてこういう特色は、実は文革で初めて起きたことではなかったという。

 たとえば土地改革(1950-53年)でも、中国的特色の虐殺が起きていた。この土地改革で「一村一焼一殺」をスローガンに、紅軍は地主・土豪に対する徹底した略奪と殺戮を行った。殺害された地主は240万人以上ともいわれている。文革発動前の17年間、中国ではこうした高度な組織化による大虐殺の手法を政治運動の中で繰り返してきた歴史があり、文革だけが突出して残虐であったとはいえないかもしれない。文革の混乱期に、かつて経験した土地改革や右派運動といった政治運動の中で経験した略奪や婦女暴行の快楽を思い出した者もあろう。

「文革」の本質を問う

 文革とは何だったのか、という問いに対して宋教授は「共産党が文革以前に実施した17年間の政策の結果である」と答えた。文革前の17年間の政策に対する錯誤をきちんと認めず政治運動の中の醜悪な虐殺を正当化してきた結果、文革の10年が起きた。では、文革で何が起きたかについていまだタブーが多く、その後の天安門事件についてもいまだに再評価されず、共産党政治に対する批判を許さない今の中国では、また、大虐殺をともなう政治動乱が起きても不思議ではないということなのだろうか。

 習近平政権が、あまりに苛烈な権力闘争を、文革を想起させるような個人崇拝キャンペーンを伴って展開している今だからこそ、文革とは何であったか、というその本質を問う作業を、中国問題にかかわる人たちは続けていかねばならないと思う。

My opinion.

最後に福澤諭吉著『脱亜論』を掲載する。140年前の彼の世界を俯瞰した論文である。

『脱亜論』の現代語訳

 世界の交通の道は便利になり、西洋文明の風は東に進み、至るところ、草も木もこの風になびかないことはない。西洋の人物は古代と現在に大した違いはないのだが、その活動が古代は遅鈍、今は活発なのは、ただ交通の機関を利用し、勢いに乗じるがためである。ゆえに最近、東洋に国がある民のために考えると、この文明が東に進んでくる勢いに抵抗して、これを防ぎきる覚悟であれば、それもよい。しかし、いやしくも世界中の現状を観察し、事実上それが不可能なことを知る者は、世の移りにあわせ、共に文明の海に浮き沈み、文明の波に乗り、文明の苦楽をともにする以外にはないのである。文明とは全く、麻疹はしかの流行のようなものだ。目下、東京の麻疹は西国の長崎地方より東に進み、春の暖気と共に次第に蔓延するもののようである。この時、流行病の害をにくみ、これを防ごうとするにしても、果してその手段はあるだろうか?筆者はその手段は断じてないことを保証する。有害一辺倒の流行病も、その勢いにはなお抵抗できない。いわんや利益と害悪がともない、常に利益の多い文明はなおさらである。これを防がないばかりではなく、つとめてその普及を助け、国民を早くその気風に染ませることが知識人の課題である。

近代西洋文明がわが日本に入ったのは、嘉永の開国を発端とする。国民はようやくそれを採用するべきことを知り、しだいに活発の気風が生じたものの、進歩の道に横たわる老害の幕府というものがあり、これはいかんともできなかった。幕府を保存しようとすると、文明は決して入ってくることができない。なぜかといえば近代文明は日本の旧体制と両立するものではなく、旧体制を改革すれば、同時に幕府も滅亡してしまうからである。だからといって、文明をふせいてその侵入を止めようとすれば、日本国の独立は維持できなかった。なぜならば、世界文明の慌しい情勢は、東洋の孤島の眠りを許すものではなかったからだ。ここにおいて、わが日本の人士は、国を重く、幕府を軽いとする大義に基づき、また、さいわいに神聖なる皇室の尊厳によって、断固として旧幕府を倒し、新政府を立てた。政府も民間も区別なく、国中がいっさい万事、西洋近代文明を採り、ただ日本の旧法を改革したばかりではない。アジア全域の中にあって、一つの新機軸を確立し、主義とするのはただ、脱亜の二字にあるのみである。

が日本の国土はアジアの東端に位置するのであるが、国民の精神は既にアジアの旧習を脱し、西洋の文明に移っている。
しかしここに不幸なのは、隣国があり、その一を支那といい、一を朝鮮という。
この二国の人民も古来、アジア流の政治・宗教・風俗に養われてきたことは、わが日本国民と異ならないのである
だが人種の由来が特別なのか、または同様の政治・宗教・風俗のなかにいながら遺伝した教育に違うものがあるためか日・支・韓の三国を並べれば、日本に比べれば支那・韓国はよほど似ているのである。
この二国の者たちは、自分の身の上についても、また自分の国に関しても、改革や進歩の道を知らない
交通便利な世の中にあっては、文明の物ごとを見聞きしないわけではないが、耳や目の見聞は心を動かすことにならずその古くさい慣習にしがみつくありさまは、百千年の昔とおなじである。
現在の、文明日に日に新たな活劇の場に、教育を論じれば儒教主義といい、学校で教えるべきは仁義礼智といい、一から十まで外見の虚飾ばかりにこだわり、実際においては真理や原則をわきまえることがない
そればかりか、道徳さえ地を掃いたように消えはてて残酷破廉恥を極め、なお傲然として自省の念など持たない者のようだ。
筆者からこの二国をみれば、今の文明東進の情勢の中にあっては、とても独立を維持する道はない。幸い国の中に志士が現れ、国の開明進歩の手始めに、われらの明治維新のような政府の大改革を企て、政治を改めるとともに人心を一新するような活動があれば、それはまた別である。
もしそうならない場合は、今より数年たたぬうちに亡国となり、その国土は世界の文明諸国に分割されることは、一点の疑いもない。
なぜならば、麻疹と同じ文明開化の流行に遭いながら、支那・韓国の両国は伝染の自然法則に背き、無理にこれを避けようとして室内に閉じこもり、空気の流通を遮断して、窒息しているからだ。
輔車唇歯」とは隣国が相互に援助しあう喩えであるが、今の支那朝鮮はわが日本のために髪一本ほどの役にも立たない
のみならず、西洋文明人の眼から見れば、三国が地理的に近接しているため、時には三国を同一視し支那・韓国の評価で、わが日本を判断するということもありえるのだ
例えば、支那、朝鮮の政府が昔どおり専制で、法律は信頼できなければ西洋の人は日本もまた無法律の国かと疑うだろう。
支那、朝鮮の人が迷信深く、科学の何かを知らなければ西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思うに違いない
支那人が卑屈で恥を知らなければ日本人の義侠もその影に隠れ朝鮮国に残酷な刑罰があれば、日本人もまた無情と推量されるのだ
事例をかぞえれば、枚挙にいとまがない。喩えるならば、軒を並べたある村や町内の者たちが、愚かで無法、しかも残忍で無情なときは、たまたまその町村内の、ある家の人が正当に振るまおうと注意しても、他人の悪行に隠れて埋没するようなものだ
その影響が現実にあらわれ、間接にわが外交上の障害となっていることは実に少なくなくわが日本国の一大不幸というべきである。

そうであるから、現在の戦略を考えるに、わが国は隣国の開明を待ち、共にアジアを発展させる猶予はないのである。むしろ、その仲間から脱出し、西洋の文明国と進退をともにし、その支那、朝鮮に接する方法も、隣国だからと特別の配慮をすることなく、まさに西洋人がこれに接するように処置すべきである。悪友と親しく交わる者も、また悪名を免れない。筆者は心の中で、東アジアの悪友を謝絶するものである。

吾輩の見解
「悪友と親しく交わる者も、また悪名を免れない」、然り、前述した米国で黄禍論や排日運動の原因はそこに起因するものと考える。
 
近代の黄禍論で対象とされる民族は、主に中国人、日本人である。特にアメリカ合衆国では1882年に制定された排華移民法、1924年に制定された排日移民法など露骨に反中、反日的な立法に顕われ、影響が論じられた。
2020年には中国武漢からCOVID-19の感染が拡大すると、各地でアジア人襲撃が相次ぎ日本人も狙われている。加害者には白人だけでなく黒人も多い。
まさに、140年前に危惧されていたことは現在でも起こっているのである。文化・習慣・教育・道徳観・公徳心は全然違うのであるが、同じような顔であるために同類と判断されるのである。  どんとはらい!

参考文献・参考資料

中国人の「祖国脱出」が静かに進む…人気移住先・日本を中国資本が席巻か (msn.com)

広西虐殺 - Wikipedia

政治講座v347「あな怖ろしき!生体臓器移植者の遺体が出た」|tsukasa_tamura|note

政治講座v325「もう始まっている第二の支那文化大革命:過去の文化大革命中に広西チワン族自治区で虐殺と人肉食人の記録(広西虐殺)がある」|tsukasa_tamura|note

文化大革命 - Wikipedia

5分で分かる文化大革命!現在の中国の起点となった革命とは? | ホンシェルジュ (honcierge.jp)

文化大革命とは 毛沢東の権力闘争: 日本経済新聞 (nikkei.com)

文化大革命は禁句、中国で習近平路線絡む危うい論争: 日本経済新聞 (nikkei.com)

馬雲 - Wikipedia

中国四川省、路面店の地下に大量の死体破片 – 看中国 / VisionTimesJP

【中国の闇】臓器移植の実態~「史上最悪の大虐殺」との指摘も|NetIB-News (data-max.co.jp)

中国移植医療の実態 | SMGネットワーク(中国における臓器移植を考える会) (smgnet.org)

中国の「臓器狩り」に日本人と厚労省も加担している!? | ザ・リバティWeb/The Liberty Web (the-liberty.com)

政治講座v325「もう始まっている第二の支那文化大革命:過去の文化大革命中に広西チワン族自治区で虐殺と人肉食人の記録(広西虐殺)がある」|tsukasa_tamura|note

法輪功 - Wikipedia

4.25中南海陳情事件 – 看中国 / VisionTimesJP

中国法廷:最終判決の詳細、審理記録、提出物など (chinatribunal.com)

広西チワン族自治区「文革大虐殺」の実相:日経ビジネス電子版 (nikkei.com)

地獄への道は善意で舗装されている - Wikipedia

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