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政治講座ⅴ674「中国の外交戦術:戦狼外交は敵を作る」

中国には「君子豹変」という言葉があるが、最近の中国の指導者は君子ではなく暴君である。徳がないので過ちを認めず、敵対的な態度と発言を繰り返す。もうそろそろ易姓革命がおこるであろう。「天」が怒り、地上に疫病を流行らせ「天子」の交代を起こす。易姓革命とは儒教の政治思想の基本的観念の一。「天子」は「天」の「命令」により天下を治めているのであるから,天子の家(姓)に不徳の者が出れば,天命は別の有徳者に移り(命令が革あらたまる),王朝は交代するというもの。今中国はその時期にあるのである。
      皇紀2682年12月11日
      さいたま市桜区
      政治研究者 田村 司

習近平氏、アラブ諸国に積極外交を展開「内政不干渉守る」 米を牽制

朝日新聞社 - 1 時間前

 サウジアラビアを訪問中の中国の習近平(シーチンピン)国家主席は9日、湾岸協力会議(GCC)やアラブ諸国との初の首脳会議を相次いで開き「内政不干渉の原則を守りつつ、真の多国間主義を実践していきたい」と語った。ペルシャ湾岸地域を重視してきた米国との違いを打ち出しながら影響力を高める戦略で、バイデン米政権を牽制(けんせい)するものだ。


2022年12月9日、中国とアラブ諸国による初の首脳会議に出席した
習近平国家主席=ロイター© 朝日新聞社


 サウジのほかアラブ首長国連邦(UAE)、カタールなど湾岸6カ国でつくるGCC諸国との共同声明では、イランについて「湾岸地域における大量破壊兵器の拡散を阻止し、核計画の平和的性質を確保する」とし、非アラブの地域大国イランを警戒するGCCに対し、中国が理解を示す内容となった。イランとも良好な関係を保つ中国は、バランスに腐心しながら存在感を高めようとしている。

[深層NEWS]中国の外交姿勢は「孤立しつつある」…国内の雰囲気「自由な発想なくなる」

2022/09/03 00:14

 キヤノングローバル戦略研究所の宮家邦彦研究主幹、神田外語大の興梠一郎教授、宮崎紀秀・元NNN中国総局長が2日、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、国交正常化50年を前にした日中関係について議論した。

 宮家氏は、中国の外交姿勢について、「非常に自己主張が強く、国際的な孤立が起こりつつある。『アメリカや日本が悪い』と主張して国内的な問題をしのいでいる」と分析した。宮崎氏は、中国国内の雰囲気について「多様性がだんだんなくなり、自由な発想がなくなっていく感じがする」と指摘した。

中国の政治経済の変容をどう見るか。強硬な外交姿勢

松野豊 2022年1月21日(金) 20時20分

本稿では、最近の中国の強硬な外交姿勢について触れたい。

写真は天安門。

近年の中国の政治経済的変容について、前稿までは、中国政府が創造性の高い民間ITサービス業界に介入したり、成長意欲の高い教育や娯楽産業への統制を進めていることへの懸念などを述べた。本稿では、最近の中国の強硬な外交姿勢について触れたい。

中国の強硬な外交姿勢は、「戦狼外交」と呼ばれている。「戦狼」という言葉は、中国で2015年に封切られた映画のタイトルで、勇敢な人民解放軍兵士がヒーローとなる物語だ。中国では人気が高く、多くの観客を動員したという。

2020年12月、ドイツのデイリー・ミラー紙は、中国政府や外交官による恫喝的な外交を揶揄してこれを「戦狼外交」と名づけた。そしてそれ以降、特に西側諸国のメディアを中心にこの言葉が頻繁に使われ始めた。

これに対し中国の外交部(外務省)の報道官は、これまでに何度か反論を試みているが、それは例えば以下のようなものである。

「中国の“戦狼”外交は、中国の主権と安全、発展の利益や正当な合法的権益を守るためのものであり、中国はイデオロギー、社会制度、文化や人種に至るまで西洋の国とは大きな違いがある大国である」

「中国の外交の強硬さは国力の現れでもあり、中国が覇権勢力に屈服しないのは、欧米先進国がアジア諸国に隷属を強いようとすることを打ち破るためなのだ」

客観的に見ても、中国のこのような攻撃的かつ感情的な反論には論理性が感じられない。しかし驚くべきことに、中国政府のこうした対応にはかなりの割合の国民の支持があるようだ

筆者は、こうした外交姿勢の表出には、中国の近年の大国化の過程でみられる以下のような要因が関係していると考える。

最も重要な要因は、中国人の強い発展信仰であろう。中国語の「発展」の意味は、日本語の使い方とは少し違うようだ。正式な文法上の解釈ではないかもしれないが、現在の中国人が使う「発展」は「豊かになる」こととほぼ同意語だと思う。

また中国では発展という言葉が個人の場合にも用いられる。中国語では「自己発展」という言い方をするが、これも個人が豊かになる(金持ちになる)という意味合いが強い。

そして中国人は、国や個人が発展することで国際的な発言権が増し、また諸外国への影響力拡大をもたらすと固く信じている。これを「強国信仰」と表現してもよいだろう。また国や個人が“発展”することは、選挙制度のない中国においては、国民が政権を支持し続けるための重要な要素であることも確かだ。

中国の発展至上主義は、中国が近代に列強から侵略されて貧困を強いられたことに対する被害者意識の裏返しであるといった説明がなされることもある。しかし大国となって一定の発言権も獲得し、世界の多様な価値観とも交流するようになった今でも、中国が発展信仰を軌道修正しようとする気配はない。

中国政府の報道官はまた、「中国の正当な発展の権利を意図的に阻害することには、断固反対する」といった説明もよくする。中国人の発展信仰は、我々が想像している以上に強く根づいており、妥協する余地がないようだ。

第2の要因は、中国社会が大きく変容してきていることである。中国が経済・軍事大国化に伴い過去とは違う主張を持つようになってきていることは、世界各国の共通認識だろう。いわゆる鄧小平が唱えた「韜光養晦」思想からの転換である。

しかしもっと重要な視点は、中国が変容しているだけでなく、その方向が「不可逆的」であるということだ。今日のような厳しい外交的試練や経済成長継続の弊害に直面し、政府は一定の政策的対応を講じていて効果もあがっているが、それでも発展指向や強国信仰を状況に応じて軌道修正しようとする姿勢は見られない。

容易に方向転換ができない理由の一つとしてあげられるのは、中国では政権交代という制度がないということである。まずは政権の持続が大前提であり、これに中国人の高いプライド、それに政府が結果的に作り上げてきてしまった国民の強烈なナショナリズムなどが相まって、これらが中国の変容を不可逆的なものにしてしまっているのだろう。

では、中国のあくなき発展指向と不可逆的変容は、今後の世界経済にどのような影響をもたらすのであろうか。政治的な要因も加わることで、おそらく世界の経済圏は大きく分断されていくだろう。中国経済は巨大であり続け、当面は世界経済の大部分を牽引していくことは確かだ。しかし中国経済に頼らない経済圏も徐々に形成されていくと思われる。

世界の国々は今後、一定のブロック化された経済圏の中で経済成長を追求していかなければならなくなるだろう。我々は世界経済の分断化に直面して、また新たな資本主義モデルと市場ルール形成が必要になってきたのではないだろうか。

■筆者プロフィール:松野豊

大阪市生まれ。京都大学大学院衛生工学課程修了後、1981年野村総合研究所入社。環境政策研究や企業の技術戦略、経営システムのコンサルティングに従事。2002年、同社の中国上海法人を設立し、05年まで総経理(社長)。07年、北京の清華大学に同社との共同研究センターを設立して理事・副センター長。 14年間の中国駐在を終えて18年に帰国、日中産業研究院を設立し代表取締役(院長)。清華大学招請専門家、上海交通大学客員研究員を兼務。中国の改革・産業政策等の研究を行い、日中で講演活動やメディアでの記事執筆を行っている。主な著書は、『参考と転換-中日産業政策比較研究』(清華大学出版社)、『2020年の中国』(東洋経済新報社)など。


中国アラブ関係「新局面」、元建て取引推進で米揺さぶり 習氏

Reuters - 10 時間前

[リヤド 9日 ロイター] - サウジアラビアを訪問中の習近平国家主席は9日、中国・湾岸協力会議(GCC)首脳会議で演説を行い、石油・ガス貿易の人民元建て決済を推進する姿勢を表明した。人民元を国際通貨として確立させ、世界貿易における米ドルの支配的地位に揺さぶりをかけた格好


中国アラブ関係「新局面」、元建て取引推進で米揺さぶり 習氏© Thomson Reuters


習氏の訪問に際し、サウジの事実上の指導者であるムハンマド・ビン・サルマン皇太子はアラブ諸国との一連の「画期的な」首脳会議を開催した。西側各国とのこれまでの歴史的関係を超えたパートナーシップを模索する姿勢を示した。

この日の会談の冒頭、皇太子は「中国との関係が歴史的な新局面」入りすると表明。バイデン米大統領が7月にサウジを訪問した際の控えめな歓迎とは対照的だった。

人権問題やエネルギー政策、ロシアへの対応を巡り米国との関係が冷え込む中、サウジと中国はともに「内政不干渉の原則」に関する強いメッセージ発信した。

米国は中東地域での中国の影響力拡大に神経をとがらせている。

一方、サウジアラビアのファイサル外相は9日、サウジはどちらかの側につくことはせず、米中を含むすべての経済大国と協力すると語った。

サウジと中国は複数の戦略的・経済的パートナーシップ協定に署名した。アナリストによると、中国企業が技術やインフラ部門に進出しているものの、軸足は当面、エネルギー問題に置かれる見通し。

アラブ湾岸諸国研究所(ワシントン)の上級研究員、ロバート・モギルニッキ氏はロイターに対し「エネルギー関連が今後も関係の中心に据えられるだろう。またハイテク技術面でも協力が進み、米国からはおなじみの懸念が示されることになるだろう」と述べた。

今回の合意には中国の通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)との覚書が含まれている。中国企業の技術使用に伴う安全保障上のリスクについて米国と湾岸諸国が懸念しているにもかかわらず、サウジは国内都市でのクラウドコンピューティングおよびハイテク複合施設の建設についてファーウェイと合意した。

サウジと湾岸諸国は、中国との石油取引を制限し、石油輸出国機構(OPEC)加盟国とロシアなどの非加盟国で構成する「OPECプラス」の一員であるロシアとも関係を断つよう、米国からの圧力を受けてきた。世界秩序が二極化する中、経済と安全保障上の両方を視野に入れたかじ取りを迫られている。

こうした点を踏まえ、両国は共同声明で、世界石油市場の安定とエネルギー協力の重要性を再確認するほか、石油以外の面でも貿易の促進や原子力の平和的協力の強化に努めるとした。

習氏は、中国は今後も湾岸諸国から大量の石油を輸入し続け、液化天然ガスの輸入を拡大する方針を表明。石油・ガスの上流開発でも一段の協力を進めるパートナーだと述べた。

意識される伝統と「国権回収運動」


2013年10月10日 スピーカー
川島 真 (東京大学大学院 総合文化研究科 准教授)

時代は動いていますが、私はこれまで、中国の外交文書をひもといて研究するというスタイルを貫いてきました。まず、今日は10月10日、すなわち1911年10月10日の辛亥革命の記念日ですのでその頃の中国の外交がどのようなものであったかを見てみます。清王朝の最後の10年間を考えると、中国という言葉自体が曖昧で、現在のようには使われていない時代でした。

梁啓超という人物が、「中国史叙論」を書こうと考えたのは1901年です。その当時、彼は「わが国には国名がない」と言い出します。自分の国の歴史は「清史」ではない。つまり20を超える王朝の名前をすべて並べて「史」を付けるわけにはいかないわけです。では、自分の国の名前は何か――「支那」というのは外国人からみた呼び名であるし、「中華」はあまりにも偉そうである。「中国」ならばいいだろうということで、この頃、「中国」、「中国人」という言葉が定着し始めました。そして、辛亥革命後に出来上がった国家は「中華民国」、略せば「中国」になります。それから100年が経つわけです。

1912年1月1日、中国は近代国家としてスタートするわけですが、外交の面では文明国として享受すべき権利を享受すると述べています。つまり不平等条約を改正し、欧米と平等な国家を目指すということです。中国は主権を非常に重視し、これまで奪われてきたものを取り戻し、これ以上は奪われないようにすることを基本的な外交目標とします。

この「国権回収運動」においては、「中国が一体何を奪われたのか」がポイントとなります。何をどのように取り戻せばバランスシートがゼロになるのか、それがわからないのです。奪われ始めた頃、たとえばアヘン戦争のあった19世紀半ばには、明確な主権国家概念がなく、国境概念も明確ではないからです。当時までさかのぼるには無理があるにもかかわらず、中国はその頃から相当なものを外国に奪われていったという話をつくっていくわけです。その物語づくりは、清王朝末期から始まっていました。

1924年、孫文はこのように語っています。「500年前から2000年以上前の時期、その間の1000年以上、中国は世界で最も強い国家であった。(略)中国のかつての強さはぬきんでており、いわば一強であった。(略)当時の弱小民族と国家は、みな中国を上邦として崇めていた。そして中国に朝貢し、自らを藩属と位置づけるように求めた」――つまり孫文は、武力を用いて植民地とする帝国主義よりも、朝貢のほうがいいと言っています。さらにこのとき、孫文は日本に対し「覇道(帝国主義)ではなく王道の国になれ」と語り、その王道の例として朝貢を挙げているのです。

革命外交の時代

中国は1949~1959年の10年間、当時のソ連と緊密な関係にありました。1920年前後に米国と近い時期がありましたが、これほどではなかったと思います。それでも、国権回収と主権重視は継続していたと考えられます。中ソの対立は、最近では1959年が起源といわれていますが、当時中国がソ連に対して原爆を開発するためのサンプル提供を求めたところ、その見返りとして、中国沿岸部における無線電信の自由な利用権および中ソ連合潜水艦部隊の結成を要求されました。事実上、ソ連が中国の主権を侵害するということになります。これに対し、毛沢東が"No"を突き付け、中ソ対立が始まっていくわけです。

現在の中国外交をみる上で重要なことは、主権を重視することと同時にある鄧小平以来の路線です。鄧小平は1978~79年辺りに登場してくるわけですが、改革開放といった政策はその前の華国鋒がつくったものです。鄧小平は社会主義市場経済をうたい、西側の国々とも付き合うようになります。そして日中平和友好条約締結後、日本は1979年に対中ODA開始を決定しました。円借款は中国にとって、ドルにもポンドにも換えられる素晴らしい外貨の塊です。こうして中国は、日本に依存した経済発展を遂げていきます。

1980年代、すでに鄧小平は対日政策について「歴史を強調せよ」という指示を出しています。80年代に入ると、中国は経済について日本に学んでいくことになるが、それ一辺倒では若者が歴史を忘れてしまう。だからこそ中国は歴史を強調するのだと言い始めます。江沢民ではなく、鄧小平が「歴史と経済の両輪」をつくったのです。ご存知のように、現在の日本には経済カードがありません。歴史一辺倒の状態といえます。

「韜光養晦・有所作為」

その鄧小平に起きた試練が、1989年6月4日に起きた天安門事件です。一般的に、この事件は中国政府を孤立に追い込んだといわれています。その際、鄧小平は「韜光養晦(とうこうようかい)・有所作為(ゆうしょさくい)」という言葉をいったと伝えられています。この方針は、言葉の上では、以後の中国外交を規定するものになっていきます。

ただ、この天安門事件後の状況について、西側の対中包囲だけで捉えることはできません。実は西側の包囲網の下で、中国は後の周辺外交の基礎となるような外交を展開していたのです。天安門事件後の数年間で、中国は東アジアの台湾承認国を相次いで北京承認に切り替えることに成功しました。韓国、シンガポール、ブルネイなどです。またソ連崩壊に伴って成立した中央アジアの国々と、早々に国交を結んでいます。周辺外交の最低限の基礎は、まずは国交樹立です。今から振り返ると90年代前半には、台湾承認国を北京承認に切り替え、メコンをめぐる開発を共同で行い、そして上海協力機構をつくるといった周辺国との足固めを着々と進めたことになります。

その頃のスローガンが「韜光養晦・有所作為」です。日本語では、「能ある鷹は爪を隠す」と訳す人もいますが、自分の能力はあまり見せず、取れるべきものを最低限取っていくという趣旨です。経済を重視し、主権や安全保障の面ではあまり自己主張をせず、粛々と発展に向かうという中国の外交政策に見合ったスローガンであると評価されます。

「外交は発展に従属する」という言葉があります。あくまでも対外政策は経済発展のためにある、という意味です。1990年代に中国は、ロシアあるいは中央アジアとの領土問題の解決を相次いで成し遂げました。ときには、ある部分の領土を相手国に明け渡してまでも調整をしています。

「和諧社会」と2006年の調整

江沢民政権は鄧小平路線を継承して、経済優位の対外関係を築いてきました。胡錦濤政権は、その江沢民政権の発展重視によって生じた諸問題、すなわち格差問題や環境問題などに取り組んでいく姿勢を示しました。これは対外政策の面では、胡錦濤が意図するしないに関わらず、経済発展のために対外協調をしなければならない、という路線に修正が加えられていく可能性があることを示していました。そして、胡錦濤政権は内政に於いて、格差問題などに逆に苦しめられ、次第に社会主義的な路線を重視する保守派の台頭を招きます。この背景には、当初の予想よりも早く経済発展目標が実現したということがありました。

胡錦濤は2005年、外交政策の新たなスローガンである「和諧世界」を国連などで盛んに提起しました。中国は世界の秩序において脅威になることなく、ともに発展していくのだという平和的なイメージを打ち出したわけです。これは中国の国際社会における消極性を意味するものではありません。グローバル・ガバナンス領域において力を強めるといった平和的な発展を目指すスローガンが掲げられ、実際にWHO等さまざまな国際組織においても、多くの中国人リーダーが生まれました。この路線は、対外協調と、中国の国際的地位の向上という2つの路線を組み合わせたものでした。

しかし、中国の経済発展が想定よりも早く実現する中で、インターネット等でさまざまな外交をめぐる議論が巻き起こります。これ以上発展を重視し、我慢して穏健に振る舞う必要があるのかという疑問が各方面から出てくる状況がありました。発展重視の外交への疑義が呈されたわけです。2006年には、中国政府の外交をめぐる語り口に変化が現れます。同年8月、胡錦濤は共産党中央外事工作会議において「国家主権、安全を重視する」など、いわば外交において当然のことを述べているのです。これは、「発展だけではいかん」というグループに対する配慮と思われます。

2008年は日中首脳会談がもっとも多く行われ、昨今の日中関係における黄金の1年となりました。共同声明では、「戦略的互恵関係の実質化」がうたわれています。

中国外交の積極化?

2008年12月8日、中国が戦後初めて公船を尖閣の領海内に侵入させたことが、なぜ日本ではあまり強調されないのか、疑問に思っています。同年半ばには、東シナ海の共同開発をめぐるさまざまな取り決めがあったはずですそれがほぼ全部、事実上の白紙撤回になってしまったわけです。その間に何があったのかは明確でありませんが、現象をみていくと、この辺りで外交路線に変化があったものと思われます。つまり、2006年に中国で外交の語り口に変化が生まれ、2008年の半ばか後半までに、さまざまな路線の調整があり、2008年末には「主権」や「安全」を前面に出すような外交路線へと転換したのではないか、ということです。

そして2009年7月に北京で開催された第11回駐外使節会議では、「積極参与応対国際金融危機衝撃(国際的な金融危機の衝撃に対する処理に積極的に参加していく)」、「積極開展多辺外交(多元的外交を積極的に展開する)」など「積極」を多用する演説を、胡錦涛は行いました。

2010年末に王逸舟が盛んに言っていたのは、「経済力にふさわしい外交を」中国は行うということです。また「新たな地域主義」、つまり地域のことは地域で決めるべきであり、米国が入ってくる必要はないということを明確に述べる記事が書かれるようになります。かなり緊張した状況は、東シナ海、南シナ海をめぐる外交の変化と一致していました。

この当時も中国は、金融、エネルギー、気候変化などのグローバル・ガバナンスの各領域で何もしないとは言っていません。国際的な枠組みに対しては、つねに協調的な姿勢をみせています。中国は、現在の国際秩序に対する挑戦者か貢献者かという二分法ではなく、自らにとって有利なものには加わり、不利なものがあれば是正する側に回ります。問題は、主権や安全保障を強調する面と、安定的な秩序をつくっていくという面をどのように折り合わせていくのかということですが、地域においても、世界においても、なかなか答えは見出せていないようです。

習近平政権への宿題

習近平政権は、基本的に胡錦濤政権における多くの宿題を背負っています。ただし胡政権とは決定的な違いがあります。まだ副主席であった胡が国家指導者就任前に公式訪米した際、米国メディアは彼のことを"Who is Hu?"と揶揄しました。胡錦濤など、誰も知らなかったわけです。しかし習近平が訪米した際は、次期のトップとして厚遇され、ただちに米中首脳会談が行われます。このようなことは、胡錦濤時代にはなかったことです。明らかに中国の国力が増しており、ただ米中が会談を行うというだけで周辺国がざわめきます。G2論をかつて温家宝総理は否定しましたが、習近平政権は事実上のパワーを認めつつあります。

習政権は、中国を「発展途上国の大国」と位置付けています。そしてグローバル・ガバナンスにおいても相応の責任を負うが、経済力の増大に伴って、中国が国際社会で発揮すべき作用も大きくなる、つまり大国としての振る舞いは、経済力に応じるという方針はここでも受け継がれています。これは世界第2の経済大国として、役割を果たしていくといっているわけです。こうした言葉は、胡錦濤政権後期に現れてきています。

本年8月2日の中国とASEAN諸国との対話における発言にあるように、中国は自らが大国であること、また勢力を増していることを明確に容認しています。ただし最近は、中国国内において利益主体が多元化し、外交政策を一本化できないなどの大きな問題も抱え、難しい局面にあります。

国権回収の面では世界第2の経済大国として目標を達成しつつあるものの、中国は奪われたものを奪い返すといった物語からは卒業できていない状態にあります。しかしその一方で、国際社会における役割を果たすという新たなイメージも築きつつあります。この両者の調整が難しい中で、日本は「奪い返す」という方向に絡め取られています。それをどのように解決し、後者にうまく持っていけるかが歴史的な課題といえます。

参考文献・参考資料

習近平氏、アラブ諸国に積極外交を展開「内政不干渉守る」 米を牽制 (msn.com)

[深層NEWS]中国の外交姿勢は「孤立しつつある」…国内の雰囲気「自由な発想なくなる」 : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

中国の政治経済の変容をどう見るか(3)強硬な外交姿勢 (recordchina.co.jp)

RIETI - 中国の外交 ―歴史と現在―

中国のほほえみ外交、米は肘鉄 貿易戦争のリスク - WSJ

中国アラブ関係「新局面」、元建て取引推進で米揺さぶり 習氏 (msn.com)

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