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唯一無二のマスターピース


早いもので、この動画がYouTube上でアップされてから10年以上経過している。

にも関わらず特有の古臭さを感じる事なく、わずか5分間に凝縮されたコレを目で見て耳で聴いて感じ取るたびに、常に心に真新しさを取り込んでいく気にさせてくれる。

静と動が混ざり合った青いテレキャスターの音に、まるでお天気雨みたいな音の広がりを魅せるnordという名の赤いシンセサイザー。

そして何より、瞳を閉じてもただただ惹かれる田中氏のボーカル。

寒色系の材質で構成されて無機質さが漂うスタジオの中には、ヴィンテージっぽさがない…というよりも音色の少なさに寂しさを感じさせる余裕もなく、一つ一つの音に重厚さや艶を帯びている。

それに加え、ほのかに照らしたり反射する光が相まって、歌詞通り「唯一のマスターピース」にふさわしい空間を創り出している。


今日も今日とてリピートが止まらない。


年に一度は必ず、定期的にこの動画を訪れている。

心に穴が開いた時や、もしくは祈りを捧げるように天を仰ぐように身構える時に。

普段からソファやカーペットに横たわっている感覚でなければ、
一周して誰もいないプールに浮いている感覚でも言い表せない。

願わくば一生このまま、その場所から流れる音に包まれながらずっと浸っていたい気分だ。けれど、そろそろ前を向いて歩きだなければならない。

泳ぎ疲れて、
傷を負って、
立ち止まって、
救いを求めて、
泣きじゃくって、

そしてまた夢を見る。

その繰り返しの中に、自分が生かされ続けている。

声色で伝えることや言葉で伝えること、皆それぞれ同じようで同じじゃない。

それと同様で「マスターピース」だと謳っても、感じ方や捉え方はそれぞれ異なる。

当然のことだ。もしも皆考え方が全く一緒なら、人間味において一つの面白さを感じることができない。

「多種多様」が浸透してきていながら不思議なもので現代に生きる人々の中には、数ある答えを「正解」という一つしかない枠に囲い込もうとしている。

その盤面にキッチリと列を整えつつ並べるようにして、ある種の美しさを見出そうとしている者もいるであろう。

それを正しくないとは100パーセント言い切れないし、たった一つの冴えたやり方として成り立っていることだから、あながち間違ってはいない。

けれどあたかも最初から決まっているなどと、最もらしい理由で持って押し付けるのは道徳的にいかがなものかと考えてしまう。

視界いっぱいに広がる真新しい未来が、夜が明けた時に待っているからこそ、たとえ自分の立ち位置や姿勢そのものが定まらなくても、その場に止まることなくずっと泳ぎ続けていたい。

…なんてことを思っていられたら、どれだけ素敵でいてかつ面白いことだろうと考えるのだ。

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