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そりゃ、緊張するよね、面接だもの。そりゃ、必死になるよね、辞めたいくらいの環境なんだもの。(#転職を余儀なくされる書店員の赤裸々)

転職サイトを利用していると、求人に応募するハードルはずいぶん下がったなあと思う。

やれやる気が起きないだの、書いてあること全部嘘っぱちに見えるだの言い訳して2カ月もログインをサボった人間とは思えない感慨であるが、実際Web履歴書を登録しておけば、志望動機だけ作成して、ぽちっとな、で選考に参加できちゃうのだ。


締め切りに追われ、泣きながら企業オリジナルのエントリーシートを手書きした新卒就活はなんだったのか、むなしさすら覚える。


流れに乗って、気になっていた企業の求人に応募した。実績不足の予感はするが『気になる』ボタンを押したら『応募歓迎』のメッセージが届いたので、日曜の朝、志望動機を書いてサクッと送った。


ふう、これで「転職するする詐欺」から卒業できた。達成感に浮かされ、普段しない散歩などしてみる。小学生の頃の通学路を歩いてみたら、田んぼがごっそり住宅地に変わっている。まるで旅行にでも来たようで落ち着かないが、校舎だけは見慣れたままでなつかしさがこみ上げる。帰りにスーパーで軽く買い物をして、帰宅。シャワーを浴びて、ぼふんとベッドに沈んだ瞬間、枕の空気と一緒に、身体を満たしていた爽快感が抜けていく。

明日には書類選考の合否が出るんじゃないか。


不安になって、前回の転職時のメール履歴を確認する。合格の場合、応募から1~3日で面接の案内が届いている。求人が締め切られる前にと勢いで応募してしまったが、その先のステージをまったく考えていなかった。いや、でも、落ちてるかもしれないし。


翌日、バックヤードでこっそりスマホを確認すると、案の定『書類選考通過のご案内』のメール。開くと面接の希望日時を送るように指示がある。

嬉しいはずなのに、困惑で手が震える。当日は履歴書と職務経歴書の提出とテストがあるらしい。以前、転職活動の際に作成した履歴書と職務経歴書はあるが、職種が違うからアピールポイントも変わる。大幅に書き換えが必要だろう。って、結局紙の書類がいるんかーい。Web履歴書はなんやったんや。テストの対策も必要だけど、肝心なのは面接の印象だ。オーソドックスな質疑応答は想定しておかなければ。ってか、そもそも履いていけるような靴がない。髪もプリンだが、結び方でそれなりに見えるか。証明写真も撮らなきゃ。しっかり準備をするなら、面接日はちょっと先にしたい。でも、あんまり遅い日程を提示して「こいつやる気ないんちゃうか」と思われるのは困る!!


コンマ数秒で膨大な課題と不安が脳内に産み落とされ渦巻いた。

応募までのステップはフラットになったが、本来そこで求められるはずだった諸々の手間は後ろにずれ込み、面接までのハードルがめちゃんこ高くなっている。


そこからの1週間は怒涛のように過ぎた。インボイス制度導入でしっちゃかめっちゃかの職場で閉店まで働き、家に帰ってから提出書類を作成、テキストでテスト対策。通期時間は志望動機や経歴、自己PRなどをつぶやいて面接の練習、隙間を縫って靴を買い、証明写真を撮りにいった。


職場環境が荒れれば荒れるほど「なんとしてもここから抜け出さなきゃ」と転職活動の準備にのめり込む。

時間と労力を割くほどに「ここまでやったんだから受からなきゃ」というプレッシャーに押しつぶされる。

はて、そんなに本気で行きたかった会社だろうかと駅から家まで歩いていると我に返る。求人を見ただけ。『気になる』程度の気持ちだったはずだ。スマホとにらめっこしているだけでは分からないから、面接で見極めるのだ。こんなに冷静さを欠いていては、またミスマッチを起こすかもしれない。

不安をぬぐうためには頑張らなきゃいけないのに、頑張ることが別の恐れを連れてくる。がんじがらめでなにをしていても「今これをしている場合じゃない」気になって、あれもこれも中途半端で、自分を責めて。



「そりゃ、面接ですから、舞い上がったり、浮かれたりもしますよ」


面接の前日、心療内科の診察で先生はあっけらかんと答えてカルテをめくった。

「人間、いつでも100%冷静なんてことはありません。どこか浮ついたり、興奮したりしているものです」


言われてみれば当たり前のことなのだが、まとわりついていた糸はするするとほどけて落ちた。

ああ、そうか、準備不足だから緊張してるわけじゃない。自分が軽率だから不安になっているわけじゃない。

面接だから緊張するし、人生がかかっているから不安になる。

当たり前なのだ。


帰り道、志望動機の暗唱の代わりに、先生の真似をしてつぶやいてみる。


「そりゃ、緊張するよね、面接だもの」
「そりゃ、必死になるよね、これだけ頑張ったんだもの」
「そりゃ、しんどいよね、辞めたいくらいの環境なんだもの」


繰り返していると、感情がまるごとすとんと自分の中に落ちていく。緊張、不安、辛さ……負の感情はどれもぼやんと膨大で、全体を捉えるのは難しい。その曖昧さに紛れて、ネガティブの原因を自分に向けていたのだと思う。


それを「そりゃ、○○だよね」の構文に当てはめて「だって××だもの」と当たり前の理由をくっつけてみると、自分への毒々しいとげがぺいっと剥がて、素の感情だけが残る。ただそこにあるだけになる。緊張の重さや不安の茫洋さが変わるわけではないけれど、傷つけられないとわかると少し楽になる。


電車を降りた瞬間、澄んだ青空が目に飛び込んできた。颯爽と歩く人たちに紛れてホームから改札までの間、用意した志望動機を口ずさんでみる。いつもならすらすら言えるのに、なんどかつまずいて変な言い回しになってしまった。

しかたない、そりゃ、当日だもの。

マスクの中で小さく笑うと、秋の冷たい風が前髪に絡んで火照った額を撫でていく。



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