花束みたいな恋をしたに学ぶ「花束みたいな恋」の意味

 テレビでは絶賛公開中とされているけど、SNSでは賛否が分かれているこの作品。気になって見てみたのだけど、見た私が抱いた感想は、

「恋愛指南書に書いてあることが、そのまま一つの再現VRになっているような作品だなぁ」

 というものだった。
 もちろんこう表現してしまうと、穿った見方をする自分に酔っている痛くて香ばしい奴のようだけども。
 でも言い換えれば『よくある男女の恋愛心理やすれ違いが表現されている』ということになる。だって既存の恋愛本によく書かれてあることばかり盛り込まれていたし。

 この作品でまず思ったのは主人公二人の容姿に触れていないこと。
 つまりどこにでもいる男女のラブストーリーなのだけど、どこにでもいる男女のラブストーリーでも「●●さん、美人だよね」とか「●●さん、可愛いよね」とか「●●くん、かっこいい」等の設定上相手の容姿に触れることはよくある。
 もちろん演じるのは俳優や女優なので容姿端麗だろうけど、そういう意味ではなく「作中でどういう設定か」という意味で、容姿には大して触れられていない。
 もしかしたら麦は絹を第一印象で可愛いと思っていたかもしれないけど、めちゃくちゃドタイプだったわけではないと思う。そういうわかりやすい表現がなかったから。

 その代りにあったのが「趣味(好きなこと)の共通点」だった。

 お互いの好きなことが同じというのは、距離を縮めるのにもっとも有効な手段である。まず話題に困らないし、互いの好きなものを肯定しあえる。
 警戒心が強かったり、奥手だったり、恋愛経験がなかったり、オタク気質の男性ほど「自分の好きなことを肯定される」と相手への警戒心が薄まるし、親密度があげやすい。
 作中の居酒屋で遭遇した麦と話したいと言っていた女性の方が絹よりも今時の女子大生で可愛かったのに、それでも絹を追いかけていったのは共通点による惹きつけの強さだろうなと思う。
 ごく一般的なマッチングアプリにいるような男であれば、可愛い方に食いつくか、両方頂いているだろうから。
 しかしそれをしないところに麦の性質が見え隠れする。
 絹は麦の言うことに興味を持って聞いているし、なんならガスタンクの映像も見に行く。ガスタンクに元々詳しいわけでも興味があったわけでもないのに。それこそこういう男性には、これが効くだろうなと思う。

 もちろん男性に媚びたくない! という人もいるだろうし、こんなことで舞い上がる男のレベルなんてたかが知れてる! と思う人もいるのだろうけど、私が見た時思ったのは、

 ああ、これなんだよな、私が今もっとも欲しいスキルは……だった。

 何故なら自分は容姿を武器に戦うような女でもなければ、若さを武器に出来るような年齢でもなく、尚且つ一般的にモテるような男性にも興味がないから。
 こんなもので落ちるような男性が好きなのか? と問われれば、こんなもので落ちるような男性でも私のタイプだったらそれでいい、なのである。

 上記で記載した通り「容姿や年齢で戦えない」と自覚している女性ほど、この作品の絹は参考になるものだと思う。
 ただそれは麦のような男性を相手にする場合なので、紳士的でモテるハイスペックな男性を求めているような女性であれば、絹を真似ても得られるものは少ないかもしれないけれど。

 趣味の共有が出来ると何がいいかといえば、それを理由に会う約束が出来るところにある。
 なんとなく会うようになって、なんとなく進んでいく、この二人の初期の関係がまさにそれである。

 後半の男女のすれ違いはよくある流れなので割愛するけれど、こうやって出会って、なんとなく距離が縮まっていき、惹かれあって、付き合って、なんとなくそのまま続いたり、結婚することは少なくはない。

 この二人が別れを決断出来たのは環境の変化と周囲の人の影響だろうなと思う。二人だけの世界がそのまま続いていたら、そのまま惰性で結婚していたのではないかとも思う。

 麦みたいなタイプは周囲に女性がいて、女性から積極的にアクションを起こせば浮気に発展することはあっても、自らアクションを起こすことは少なく、その為にわざわざ女性を探すことも少ないと考える。
 ただ今はマッチングアプリがあるので、もちろん手を出すこともあるのだけど、それでもこのタイプは「出会った人としか付き合うことは出来ない」のタイプで「付き合うために自ら出会っていく」タイプではないと思うから。

 一番近くにいる、一番自分を理解してくれる、一番居心地のいい女性と付き合う。そこに許容範囲の容姿は必要であっても、美女である必要はない。必要なのは彼の一番であること。

 一方で絹みたいなタイプは同性から見れば自分の彼氏や旦那の近くにはいて欲しくないタイプじゃないかなと思う。
 平凡で特別可愛いわけでもない普通っぽい子だけれど、ガスタンクを見に家に行くような女なのだから異性関係に関しては打算的に決まっている。
 もちろんその打算が天然の場合もあるので、それこそ特に避けたい女性だけれど、だからこそ不美人は見習うべきところはあると思う。

 手軽に買える花束は渡す時がピークで、時間が経てばすぐに枯れてしまうように、日常の中によくある出会いと別れが表現されている作品なんだろうなぁという感じだった。
 そもそも恋愛なんて自分が特別だと思っているだけで、そのストーリーは他人から見ればほとんどが平凡に過ぎないように、花も受け取る人によっては嬉しかったり、迷惑だったりする。
 すぐ枯れるのに貰っても困るという人もいれば、こういうの嬉しいよねって人もいる。そういう意味でも「花束みたいな恋」なのだろうなぁと、勝手に思ったところで、個人的な感想はここまでにしよう。

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