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魔王に恐れられる弟、脱腸を投げる父

「無人島に一冊だけ本を持っていくなら『歎異抄』だ」

そんな司馬遼太郎の言葉があると、新聞広告で知った。

私が無人島に持っていくなら、どの本にしよう。
心躍る一冊、つらいときに寄り添ってくれた一冊、ずっと読んでいたい一冊……。

これまで読んできたお気に入りの本を思い浮かべてみたけれど、「絶対にこの本!」と一つに絞ることは難しい。

そういや私、サークルの自己紹介欄の「無人島に持っていくなら何?」という質問に「図書館」って書いてたっけ。

そんで幹事長からの一言で「無人島に持っていくもので施設を答えるのはアリなのか」ってつっこまれていたわ。
一冊に絞ることなんて、諦めた方がいいのかもしれない。

そんな欲張りな私ではあるけれど、急にテロリストが私のワンルームに入ってきて「無人島に行くから今すぐ支度しろ!本の所持は一冊までしか認めん!」って銃を構えてきたら、とりあえず今は『フィンランドの昔話』をリュックに詰めてしまうような気がしている。

きっと簀巻き状態で無人島に向かう船のなかで冷静になって「なんでこの本選んじゃったんだろ私……」と後悔するに違いないけれど、ノリで持っていってしまいそうな雰囲気が、この本にはある。

そんなわけで『フィンランドの昔話』(P・ラウスマー 編、臼田甚五郎 監修、岩崎美術社)のご紹介、第三弾。

1.約束は破ってもわりとOK
2.地獄に行くハードルが低すぎる
3.悪魔と人間の境界が曖昧

そんな三つの特徴に分けて、第一弾は「ばあさんズは、棍棒を手に手に……」と題してズルしたり約束をやぶっても大丈夫なことについて4000字ほど、第二弾では「地獄へパシられる」と題して主人公たちの地獄に行くハードルの低さと地獄の怖くなさについて5000字ほど、ねっちりみっちり愛を書き連ねてきた。

↓ 第一弾、ばあさんズ。

↓ 第二弾、地獄行き。

正直言って、私自身その熱量と文章量に引いている
なんかもう、字数増加に比例して明らかに読者減ってるじゃん。
スクロールバーがもう、選ばれし者しか通さない長さになってるじゃん。
もうちょいさらっと、2〜3000字くらいに収めりゃいいのにとも思う。
そうわかっちゃいるけど、やめられない。

読んでくださっているみなさまにはこの場を借りて厚く感謝申し上げるとともに、4000、5000ときたから今回は6000字かもしれないごめんなさい、と先にお詫び申し上げておく。

だって今回書きたい話は、『フィンランドの昔話』のなかで一番心に残っている話なんだもの。

先に言っておくと、前回、前々回は「やっだー『フィンランドの昔話』ったら!ウ~ケ~る~」とニヤニヤしながら書いていたのだけれど、今回はちょっと血なまぐさくて、陰惨な話題も入る。

ぶっ飛び具合も飛び抜けているけれど、後味の悪さも飛び抜けているのだ。
それらをご覚悟のうえ、お進みいただければと思う。


そんなわけで本日は、「悪魔と人間の境界が曖昧」についてご紹介しよう。これは魔王が弱すぎるパターンと、人間が悪魔チックなパターンの二つある。

夕焼け・真夜中・夜明け

まずは、魔王が弱すぎる話から。
三兄弟で魔王を倒しに行く「夕焼け・真夜中・夜明け」という物語がある。

昔、王宮で育った三兄弟がいた。
彼らは魔王にさらわれた三人の姫を助けに行くべく、王宮を出る。
途中で彼らの伯父を名乗る人物が仲間に加わり、四人で冒険することになった。

ところが、そんな彼らの旅に突然暗雲がたちこめる。
魔王のもとへ行くためには、山の頂上に鉄鎖付きの鉄球を投げ上げ、それを登っていかなくてはならないのだ。

兄たちと伯父は鉄球を投げようとするが、重すぎてうまくいかない。
挑戦しようとする三男の夜明けを兄たちは「お前なんかには無理だよ」と止めたが、彼は見事、山の頂上に鉄球を届かせる。

鎖を登った夜明けは自分に続いて登るように兄たちに叫んだが、彼らは「俺たちには行けないよう!」と叫び離脱してしまった。

まさかの、突然の一人ぼっちである。

いやいや、普通は兄が一人ずつ行って倒せなくて最後に末の弟が頑張る話なんじゃないの?というツッコミはとりあえずおいておいて、先に進もう。

一人で現れた夜明けのもとに、馬に乗った三つ頭の魔王がやってくる。
恐怖で倒れた馬に向かって、魔王は非常に説明的な発破をかける。

「この野郎、何が恐いんだ畜生め、わしはいろんな国を歩きまわったけれど(まさかの徒歩移動?)一度だって失敗した事はないぞ、わしは、夜明けとかなんとかいう奴の事が少し恐いだけで、他には誰も恐くはないんだぞ。渡り鳥や、犬どもがわしをやっつけにあの野郎をここへ送ってきたのでもあるまいに!」

本文より

ちょ、夜明けのこと名指しで怖がってんじゃん。
兄たちからは非力だと思われているらしい夜明けだが、なぜか魔王からは「少し」怖がられているらしい。
そんな怯える魔王のもとへ、当の夜明けが躍り出る。

夜明けが「さあ、戦いだ。お前の邪な心から鉄の如く固い固い戦場を吹き出してみよ!」と叫ぶと、魔王は「お前の清い心から吹き出すがいいぞ、ここにはすでに戦いのための鉄の橋がちゃんとある!」と怒鳴る。

そのものものしい宣言の次の行が、これである。

夜明けは魔王の頭を三つ共切り落とし死体を川に投げ捨てて、先へと進みました」

本文より

まさかのバトルシーン丸ごとカット。

そんなこと、あります?

次の六つ頭、そしてラスボスの九つ頭の魔王もわずか一行で倒し、夜明けは三人のお姫様を救出する。

この六つ頭の魔王も、九つ頭の魔王も、三つ頭の魔王とまったく同じセリフで夜明けを怖がるのがちょっとかわいい。

無事に山まで戻ってきて鉄球からお姫様たちを降ろした夜明けだったが、彼が下りようとした瞬間に伯父が鉄球を降ろしてしまった

伯父の裏切りに憤った夜明けは、人の助けを借りて下山する。
そして久しぶりに王宮に戻った彼は、姫と伯父の結婚式に乗り込んで伯父を殺し、姫と結婚式を挙げました。
めでたしめでたし。

めでたいんか、これ?

明らかに魔王退治よりも伯父との確執の方が見ごたえ抜群なのだけれど。
魔王より怖い、血縁同士の争い。

ていうか兄たちの影が薄すぎるんですけど……。
お姫様も魔王も兄弟も、みんな3人なのは何か理由があるのかと思いきや、何もない。
よくある話としては上の兄と上の姫、二番目の兄と二番目の姫、弟と三番目の姫がそれぞれ恋人同士で〜、とか。
弟と三番目の姫は性格がいいけど他の人たちはそうでもなくて〜、とか。

そんな予感をガン無視して、夜明けは一人で魔王を3人とも倒し、姫の一人と結婚し、兄たちはそっと存在感を消す。
うーん、ふーん。

早々に兄二人が諦めてしまう展開も、三人の魔王以上に伯父の姑息さが際立っているのも、なんともいえない。

夜明けが結婚式という晴れの舞台で伯父を殺してたぶん血まみれの手で姫と結婚式を挙げるのも、ヤバ怖すぎて震える。

もし私が姫の立場だったら好きじゃない人との結婚もいやだけれど、いくら命の恩人でもどんなに頼もしくても、血なまぐさい夫はいやだ。
気に入らないことしたら自分もあっさり殺されるんだろうな、と密かに怯えてしまう。
そして魔王が三人とも死滅したいま、夫がなんの職に就くのかが不安でならない。

魔王が恐れる力の持ち主が就く仕事なんて、勇者以外に思いつかない。

木こりや農夫見習いになったとして、上司だってやりにくいことこの上ないだろうし。

「めでたしめでたし」のその後の幸せな暮らしを想像するのが、なんとも難しい話である。

シニペウカロ家

けれど、この話以上にその後の生活が想像しにくい物語がある。
その名も、「シニペウカロ家」。

これは悪魔チックな父親から逃走する少女が主人公なのだけれど、読んでいる途中も、読み終わったときも、気持ちの置いてきぼり感が尋常でない物語である。

あるところにおじいさんとおばあさんがいて、おばあさんは女の子を産んだ。
ところがその数年後、おばあさんは二人を残して死んでしまう。

「お爺さんや、私が死んでしまったらあんたは一人になる。でも、シニペウカロ家以外の人とは結婚しないで下さいよ
それが彼女の遺言だった。

とんだ遺言である。

ところがおじいさんはおばあさんの遺言を守って、あろうことか自分の娘と結婚しようとする。

いやいや、そんな手近なところで済ませようとするんじゃないよ。
せめておばあさんの姉とか妹とか従姉妹とか、もうちょっと年の近い人がいるでしょうよ。

けれど、おじいさんの決意は変わらなかったらしい。

やがて美しく成長した娘はその事実を知り、おじいさん(父親)からの逃亡を図る。
彼女がサウナからそっと逃げ出し走っていると、それに気づいたおじいさんは猛然と追ってきた。

彼女が彼に火打ち石の小さなものを投げると、火打ち石の山ができる。
ところが彼は、鶴嘴と鋤を持ってきて山を掘りぬいてしまう。
今度はブラシを投げると、ができた。
彼は、また鶴嘴と鋤を持ってきて森を切り倒してしまう。
またしても迫りくるおじいさんに娘が束子を投げると、火の河が現れる。
さすがの彼も、渡ることも飛び越えることもできない。

三枚のお札やイザナギ・イザナミに通じる、変化する小物が頼もしい。

ところがその後の展開が、すごい。

「もう捕まえられないことをさとったお父さん(注:おじいさん)は、脱腸を引きちぎって放り投げると、娘の首にからみついてしまいます。脱腸は、少女が話そうとするとすぐ口まねをして、話をこんがらかせてしまうのです」

本文より

脱腸を、投げる。

脱腸が、口まねをする。

困惑しているのは、私だけでしょうか。

そもそもおじいさんが脱腸なんて、ここで初めて明らかになった事実である。

そんなさも最終兵器みたいな勢いで脱腸をちぎられても……と思いっきりぽかんとしてしまった。

しかも娘の首に巻き付いた脱腸は、しゃべるのである。

それまで娘と結婚したがる変態であること以外に目立った特徴はなかったはずの彼だけれど、実は魔王の血筋を引いていたりするのだろうか。

とりあえず、先に進もう。

やがて娘の美しさに目を留めた若者が、しゃべらない彼女を妻にする。
そこへ意地悪ばばあが現れて、「こうすればしゃべるかもしれないよ」と若者の耳に過酷な仕事を吹き込んだり、彼女の産んだ赤ん坊を殺すように仕向けたりする

おいおいおい、ばばあどっからきたんだ。
そして、なんていうことを言いやがるんだ。

脱腸じじいの手下か何かかと思ったけれど、最後まで読んでも彼女の素性は明かされない。

実はこの手の老婆は、この本の別の話にも出てくる。
あの仲よし夫婦を別れさせることができたら新しい靴をやろう」と悪魔に持ちかけられたばあさんが夫と妻それぞれに変なことを吹き込み別れさせ、悪魔がドン引き、という話も本書の終盤に収められている。

そういう意地悪なお節介を焼く人物は、案外そのへんにごろごろいるのかもしれない。
それはさておき、物語に戻ろう。

老婆の口車に乗った若者は、娘に大仕事をさせ、赤ん坊を殺してみたが、娘がしゃべることはなかった。

老婆に気を取られている場合ではなかった。

もう若者のヤバさに絶句である。
なにコイツ、ただのDV野郎じゃん。早く逃げた方がいい。

ていうか娘さん、たとえ話がこんがらがろうがなんだろうが、そこは止めてほしかった。
全力でジェスチャーするなり逃げるなり、しゃべれなくてもなんとかする術はあるでしょうに……。
そんなやり切れなさに気が滅入ってくるが、物語は止まらない。

ある日、娘はスープを作る。
彼女が味見をしていると脱腸は、「こちとらにも味見をさせろ」と言った。
「御自分でお取りなさいな、私だって自分で食べたのよ」と彼女が言うと、脱腸は鍋のふちへと飛び移った(!?)。娘は沸騰している鍋の中へすばやく脱腸を押し込んで、ぐつぐつ煮てしまいました。おしまい。

終わってしまった……。

脱腸が首から取れて、ついに父親の支配から抜け出せたのはよかったとは思うけれど、娘がその後幸せに暮らせたのかどうかは書かれていない。

ヤバいお父さんから逃げのびられたことはよかったけれど、そのうちヤバい夫からも逃げ出したくなる日がくるような予感もある。

だってこの夫、いとも簡単に意地悪ばばあの言葉に従ってしまうのである。
ほんとにこの娘のこと好きなんか?と首根っこを揺すって詰問したくなってしまう。
もしも私が彼女の立場だったら、脱腸をやっつけたあと夫のもとも去るだろう。

だってもう自由にしゃべれるし。
波乱万丈の人生にも慣れっこですし。
そして父親からの脱出劇やしゃべる脱腸の怪異譚をネタにひと儲けして、ひっそりと静かに暮らすのだ。

と書きながら、ひょっとしてこの話自体が娘が書いた体験談だったりするのだろうか?と思った。
どうかそうであってほしい。

けれど、みすみす子どもを殺される娘にも、そこはかとないうすら寒さを感じてしまう。
たとえ脱腸退治に必要な段階だったとしても、なんとかしてよと思わずにはいられないのだ。
だって敵は、おいしそうなスープの香りで惑わせられる雑魚なのだ
ならもっと早く、スープを作ってくれればよかったのに。

もちろん日本昔話もグリム童話も話によってはかなり血なまぐさく残酷な話もあるから、この話だけが特別ひどいとは言えないのだけれど。

変な遺言を残したおばあさんも、娘と結婚しようと死にものぐるいで追ってくるおじいさんも、突如現れる意地悪ばばあも、ばばあの誘いに乗ってしまう若者も、そして若者が子どもを殺すのを無言で見ていた娘も。

登場人物全員が、どこか不気味な物語だった。


意思を持ち、人語を話すという点で登場人物に加えていいのならば、脱腸はこの物語における最も不気味な登場人物(?)だろう。

そもそも物語に脱腸が出てくる話って、世界にどのくらいあるのだろうか。
少なくとも私はこの物語以外に読んだことはない。
そもそも物語においてだけではなく、日常生活で耳にしたことすらほぼないかもしれない。

初めて見たとき、私は脱腸が何かわからなかった。
漢字から「腸が、出てる…?」と見当をつけたものの、それが「そけいヘルニア」であることやどんなふうに身体からはみ出しているのかは、まったく知らなかった。

ところがこの物語では当然のように脱腸は登場し、そして、しゃべる。
しかも、お腹まで減る。
そして味見をするために、鍋に飛び移るという。
意外とアクティブだ。
そして奴は、煮られて、死ぬ。

もともとはおじいさんの身体の一部だったものが独立して自我を持ち、動く。
一度インパクトを食らってしまえば、もうおしまい。しゃべる脱腸は、私の頭の片隅にちゃっかりと居着いてしまった。
娘は脱腸を煮殺して脱腸から逃れたけれど、私がこの脱腸から逃れることは、たぶんできないだろう。

嫌な人から離れようとしているとき。
人に意地悪を言われたとき。
脱腸と診断されたとき。
はたまたおしゃれなレストランで、スープを飲んでいるとき。

ふとした拍子に、脱腸は自分の存在を私に思い出させるだろう。
たとえ、私が無人島にいても。

「ここならヤバい人間にも脱腸にも絡まれることはない。あぁ、よかった……」

無人島への一冊にこの本を選んでいようがいなかろうが、そうホッと気を緩める日が来そうな予感が、少しだけある。

***

『フィンランドの昔話』
P・ラウスマー 編、臼田甚五郎 監修
岩崎美術社、1973年 刊(『民芸民俗双書』60巻)

書誌情報

(6251字)←これでもかと推し尽くして、さすがに満足。

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