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徒然なる……

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日々の思考の整理。
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#ライフスタイル

飲み過ぎて具合の悪い朝の光景から

最寄り駅に朝まで開いている飲み屋があるらしい。 どこなのかそこから出てきているのをみたことはないので「らしい」としかいえないのだが出勤途中付近の道路でよろけていたり動けなくなっていたり挙げ句救急車が到着している様子を見かける。 飲食店の閉店時間が例のヤツで規制がかかっていたときはこんなことはなかったが、今は若い人たちがこんな状態になっている。 通勤中日々かなりの頻度で見ているので、あぁまたかと思うのだが多分彼らは学生ではなかろうか。 例のヤツで学校はリモートになってしまった。

思想は永遠に…

ここのところ疲れている…らしい。 「らしい」と言うのは自分のことは気がつきにくいから多分そうなんじゃないか?と思っている。 「こころとからだは繋がっている」と深く思っている私にとってからだの疲れはこころの疲れでもある。 実際こうして書きたいことがありいくつもメモ書きにポチポチと残せど実際にnoteにアップするまでに至らないメモ書きの山が本当に山になってしまった。 いつもなら書き出せば言葉はとこからか紡がれ取りあえずアップ出来るまでにはなるのだが、近頃は言葉が出てこない

人間の尊厳ってないとどんな感じなのだろう?

未成年者が家出をしSNSで出会った相手に殺されたり監禁されたりという事件をよく見るようになった。 これだけ沢山の事件があるとなるとSNSで見ず知らずの人に繋がる人は減るのじゃないかと思うが後を絶たない。 次男と 10代と言ったってどこの誰か知らない人についていくリスクを考えたら家にいた方がいいと思わないんだろうか? と話したのだが 僕らはさ、何ひとつ不足なく暮らしていられるからそんな風に考えるけど、自分ちが嫌だって人が多いからこういう事件が起きるんだろうし後を絶たな

依存症の家族がいる場合

私の習う国際カウンセラー協会の講座の中で「セルフヒーリング」というのがある。その続編を習っていた時に面白いお題があったのでリトライしてアップすることにした。 「愛情とはどんなものか?」というのが根底にあるので読みながらどんな風に考えるか一緒に考えて読み進めて貰えば幸いです。 今回は「パチンコ依存症の家族と一緒にいるがどうやったらパチンコをやめてくれますか?」という課題でした。 先生は依存症者の気持ちになると分かりやすいよ、とおっしゃってました。 まず、私の考えは 依存

多忙です…

何だが日々多忙だ。 定時で帰宅したいのに出来ない。出来ないので疲れるから通勤電車で起きていられなくて眠ってしまう。 おかげでnoteの街を訪ねることもままならない。 そして今こうしてPCに向かっている間も眠くて仕方がない。 本当は今日New Coor Noter賞に応募して良かったという話を書こうとしたけれど無理みたいだ。 それについては改めて書くとして、読みに行く時間睡魔に負けて見られないのでごめんなさい。頑張って数人のところにたどり着き読みながら途中で眠ってしまうこ

神無月になりました。

今日から10月。 本当は毎日記事のアップをしたらどうなるんだろう?と思っているので継続して書きたいのだが時間がないのでストックもない。 だいたい帰宅してPCに向かうのが夜の11時半すぎなのでそれから30分で仕上げるのがほとんどなんだがまぁ間に合わない。アップの時間が0:00をちょい超えるともう「2日連続!」とかに変わってしまって脱力する。 だからと言って写真を撮ってあるわけでもないし、ポエマーでもないのでちょろりと人が覗いていいと思ってくれるものもない訳でこうして文字を

老いるということ

実家の母が首の骨を折ったと言う。 てっきり入院したかと思ったら骨折というのは自然と骨がくっつくまでじっとしているしか方法がないということで家で過している。 妹たちがいるのでそれほど心配はないものの妹たちは日中働いているため母は少し動くのだと思う。 せめて休日は側にいて動かない様にしてあげたいと実家に行った。 妹たちが用事で外出した後は年老いた両親が各々の部屋で過しているのだが80代になるとTVを相手にすることぐらいしかない。 父は糖尿病が進みほとんど目がみえないし、母

いつでも思考する大切さ

「しあわせでいる」「不満がない」ということは いいことずくめにみえるけれどそうではない。 なんでそんな風に感じるかといえば、今が満たされていると思考力が落ちる自分がいるから。 苦しかったり、悲しかったりすると人は考える。 どの様に考えるかは人によって様々なので、そこは逃げる考え方より 現状を良い方向に向かえたり、みえる方法を思考できる力があるといいと思うのだけど。 満たされているのは幸福だしそれはとてもいいことなのだけど思考力が落ちてしまうのだけは勘弁して欲しいと自身

惑う(サラリーマン人生が終わったら何をしようか?という話)

とても素敵なイラストなので本文ごと紹介兼ねて貼らせていただく。(どうも近頃はおやすみなさっている様子…) 50代にして惑う。 今さらなにをか?このnote界隈にいるのは私なんかよりもっとずっと若い人たちが多数。 おばちゃん、いったい半世紀も生きて何を惑う?もう十分生きてきたろう。青い人たちはそう思うだろう。せいぜい 終活か? ……終活については我が親の世代を見ていて少し先だと思ってしまう。 私が惑っているのは今の職場を終わった後まだ何か出来るのじゃないかと思わせる

嘘をつき続ける人生は嫌いです。

note内の友のひとりmoonさんのnoteを読んでいて思い出した。 moonさんはコメントをくれるけど私の方からはコメント出来ないのでこちらに書きたい。 夢野久作の「少女地獄」を思い出した。 作品の主人公ユリ子は可憐な美少女。 周囲からの評判も良く誰もが彼女が嘘をついていると思わない。 だけどだんだんとほころびが見てえ…と言う話なのだけど、私は嘘が嫌いだ。 嘘をひとつつく。すると次の嘘をついてそれをごまかそうとする。嘘は雪だるま式につくことになるだろう。(moonさ

なぜ自分軸を持つのが大切なのか

いやぁ、息子の話に疲れを感じる。 周囲に振り回されブレていると何でも人のせいにする。 起きた結果が不満に思うことならそれはみんな あなたが言ったから となる。 いやいや、どう言ったからって最終決めて行動したのは誰? 人間は自分以外どうにもできないのだ。 その行動をとったのは、自分にとって良いと思ったからだろう。 結果が芳しくない・イメージした方向にないからと あなたがこうしろと言ったからというのは 自分に対しての責任が無さすぎる。 芳しくない結果ならどう

人生の猶予期間

あっという間に9月が来た。 経理系の仕事をしていると月の初めは前月の処理をする。 これから5日間は8月の日付で伝票入力をする。 現実でも前月の処理期間があって覚え間違えや意見の相違、タイミングの違いなんかを振替や金額訂正の様に変更が効いたらいいのになと思ったりする。 人生に数日猶予期間があってもし戻って直しができるとするといったいどこを直したらいいのだろうか? 私は考えてもあり過ぎて逆に出てこない。 結局のところ起きてしまった事実は変更したところでまたどこかで自分が

ふと懐かしい人々を思い出す。

サン・テジュクベリの「星の王子さま」が好きだ。 「星の王子さま」好きは沢山いると思うが私が特に好きなのがきつねとのシーン。 「大切なものは目にみえない」ってとても有名な台詞があるが、きつねが王子さまと別れる時にいった言葉。王子さまはきつねに絆について学ぶ。 同じようなきつねが沢山いるなかで、自分が王子さまにとっての「特別なきつね」になったことに別れの痛みを味わいながらもきつねは喜ぶ。 絆を作るのは大変なことだときつねは知っていて折角培った信頼関係が会えなくなることで薄れ