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“時間の正体”はどこまで明らかになったか(倉田幸信)

倉田幸信 「翻訳者の書斎から」第2回
"The Order of Time"(イタリア語原題:L'ordine del tempo
Carlo Rovelli 2018年5月出版
時間は存在しない
著:カルロ・ロヴェッリ 訳:冨永 星
NHK出版 2019年8月29日発売

時間っていったいなんだろう?
誰もが実感するように、大好きな人と過ごす楽しい時間はあっという間に過ぎ、退屈な授業や苦痛な時間は長く感じられる。子供時代は一日があんなに長かったのに、歳をとると一年があっという間に過ぎる。時計が刻む“時の流れ”は本当に絶対的な存在なのだろうか?
いや、そうではない。時間は相対的な存在であり、猛スピードで移動している人はじっとしている人より時の流れが遅くなる。高い山のてっぺんにいる人と平地にいる人では(受ける重力の大きさが違うから)、やはり時間の流れが違う。その差があまりにも小さいので我々の感覚では把握できないが、物理学者が実験で使う特殊な時計ではきちんとその差が計測できる。アインシュタインが発見したこの事実は、あまりにも我々の日常感覚と違うのでにわかには信じがたいが、数々の証拠から今ではそれは間違いのない事実とされている。

とはいえ、「時間の正体」は最先端の物理学でもまだよくわからないらしい。わからないなりに、その正体について薄皮をむくように迫ろうというのが本書"The Order of Time"だ。著者はイタリア人物理学者のカルロ・ロヴェッリ。前著『すごい物理学講義』(2017年)は最先端の物理学をきわめてわかりやすく解説し、世界的ベストセラーになった。『ホーキング、宇宙を語る』などで有名なスティーブン・ホーキング博士が亡くなった今、彼の後を継ぐ“現代物理学の語り部”とも見なされている。
そのロヴェッリの最新作は、時間の正体がどこまでわかってきたかをやさしく解説している。“やさしく”というのは、数式を使わずに概念だけで説明しているという意味だ(本書にはたったひとつの数式しか登場しないが、著者はひとつとはいえ数式を持ち出したことを読者に謝罪している)。それでもなお、本書が示す時間の姿はにわかには理解しがたい。

世界のすべては「モノ」ではなく「出来事」でできている

例えばロヴェッリは「今」という概念をひっくり返す。
過去と未来にはさまれた一瞬の「今」は全宇宙で共通だと我々は思い込んでいる。あなたがこの文章を読んでいる「今」、何百光年離れた別の天体では何が起きているだろうか? ──このような問いは意味をなさない。なぜなら「今」というのは「場所(空間)」に縛られた概念だからだ。換言すれば、「空間」と切り離された「時間」はない。「今」というのは局地的な存在であり、「全宇宙の今」というものはない。
例えばロヴェッリは、時間が過去から未来へと一方的に流れるように見えるのは、時間が本質的にそうであるからではなく、たんに我々の限られた知覚のせいでそう見えるだけに過ぎないのかもしれない、と指摘する。本当は地球と我々が動いているのに、我々からは星々が地球のまわりを回っているかのように見えるのと同じように。
例えばロヴェッリは、世界のすべては「モノ(thing)」ではなく「出来事(event)」でできている、という。もっともモノらしく見える石でさえ、その本質は長時間つづく出来事なのだという。少々長くなるが、その部分を以下に引用してみたい。本書の語り口がよく現れているからだ。

我々はこの世界が「モノ」からできていると考えることもできる。「物質」でもいいし「存在」でもいい、なんであれ「ある」ものからできていると。一方でこの世界は「出来事」からできているという考え方もできる。「発生」でもいいし「過程」でもいい、なんであれ「起きる」こと、長続きせず、常に変化し続け、永続しないことから世界はできていると──。物理学の最も基礎の部分で「時間の概念」の崩壊が起きているというのは、この二つの見方のうち前者が解体しているのだ。それは「時間を止めた静止状態」で世界を見るのではなく、世界を「はかなく一時的なもの」の集まりだと認識することである。(中略)
 モノと出来事の違いは、モノが永続するのに対し出来事は限られた時間しか存在しないことだ。モノの典型例は石である。「この石は、明日はどこにあるだろう」という疑問には意味がある。一方、キスは出来事だ。「このキスは、明日はどこにあるだろう」という疑問には意味がない。この世界は、石のようなモノが連なってできているのではなく、キスのような出来事が連なってできているのだ。("The Order of Time" 86〜87ページ)

「時間」という概念を叙情的に紐解く

このように、本書はなにかかっちりとした説を系統的に解説するようなつくりではない。むしろ著者が惹かれる「時間」という不思議で魅力的な存在について、個人的に、詩的に、情熱的に語っているかのような印象がある。
読者はその独白に付き合ううちに、「時間の正体」という高い山を一歩一歩踏みしめて頂上へ登るのではなく、難解な数式や物理の基礎理論をすっとばして、ヘリコプターで一気に山頂のさらに上空へと運んでもらえる。そこから見下ろしても「時間の正体」がはっきりわかるわけではないが、ふもとから見上げた姿とはまったく異なることだけは理解できる。

カルロ・ロヴェッリの専門は「ループ量子重力理論」という。おどろおどろしい名前だが、要するに人間よりはるかに大きな宇宙レベルの物理現象を説明できる一般相対性理論と、人間よりはるかに小さな素粒子レベルの物理現象を説明できる量子力学とを統一できる可能性を秘めた理論だ。もしその理論が完成して重力を量子論で記述できるようになれば、間違いなく人類の生み出した最大の英知になるだろう。そして間違いなく、それを理解できる一般人はいないだろう。そのような理論の最先端に、ロヴェッリという「物理の言葉」を「普通の言葉」に翻訳できる学者がいることは、我々一般人にとってなんと幸せなことだろう。

執筆者プロフィール:倉田幸信 Yukinobu Kurata
早稲田大学政治経済学部卒。朝日新聞記者、週刊ダイヤモンド記者、DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部を経て、2008年よりフリーランス翻訳者。


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