JPEGイメージ_7

女性たちの言葉から綴られる「小泉八雲」の肖像(新元良一)

「新元良一のアメリカ通信」第5回
The Sweetest Fruits
by Monique Truong(モニーク・トルーオン)2019年出版

日本古来の民話を海外に広く浸透させた文学者として、ラフカディオ・ハーンの名前は一般的に知られている。英語教師となって赴任した先の松江で、セツ夫人の力を借り完成したのが『怪談』だが、この作品を読んだ経験がなくても、「小泉八雲」という彼の日本名を聞けば、大抵の日本人は髭をたくわえた欧米人男性の顔を思い浮かべるだろう。
本作はそのラフカディオ・ハーンが、出生地のヨーロッパから、ジャーナリスト時代のアメリカを経て、日本にたどり着くまで、全編に登場する長編小説である。だが、稀代のストーリー・テラーが主人公の物語、と期待して読むとそれに応えられない結果となる。
ただしそれは、モニーク・トルーオンが書いた本作『The Sweetest Fruits』が、見劣りするわけでは決してない。著名な文学者をヒーローとして扱わないことで、新しい魅力が備わる物語になったと見るべきだ。

ハーンにまつわる3人の女性たち

小説の語り手は、常に異文化社会に身を置き、それによって自身の人格や人生を形成していったハーンにまつわる、3人の女性たちだ。生き別れになった母、最初に結婚したアメリカ人女性、そして日本で出会い2番目の妻となったセツ。ハーンと出会い、ふれあい、さらには別離などを経験した彼女たちの言葉は、本作をありきたりな偉人伝に終わらせず、1世紀以上前の時代設定ながら、現代性を強く感じる物語に仕立てている。
最初に登場する母ローザはギリシアの島で生まれ育ち、アイルランド出身で後にハーンの父となる医師と知り合う。自身の母を亡くし、厳格な父を中心とした家族でローザは育つが、父は兄たちだけを優遇し、満足な教育すら受けさせてもらえない。
男性優位の環境から逃れられる術がないと、自身の人生を諦めていたローザにとって、外国人医師との結婚は運命からの離脱そのものであった。しかし晴れて家庭を持ったものの、苦難は彼女から消え去ることはなく、ハーンの兄であった長男を病で失い、夫もまた仕事を口実に、家族を顧みない状態が続いた。
そして大事に育ててきたラフカディオまで、跡取りを求めていた夫の叔母に奪われてしまう。母と子がいつか再会できることを願い、我が子と暮らしてきたアイルランドを離れ、祖国ギリシアに戻る途上で、道連れとなる女性に息子への思いを打ち明けるのだが、この「誰かに語りかける」ことによって物語を進めるスタイルは、ハーンのアメリカ、そして日本時代に出会った女性たちの章にも引き継がれる。

それぞれの文化圏で生き抜く彼女たちの「意志」

成人してアメリカへ渡り、地方新聞の記者となったハーンは、独身寮のようなところに身を置き、他の居住者たちと共同生活を始める。アレシアはその寮で、料理から洗濯まで、彼ら居住者の身の回りの世話を仕事としている。
母のローザやセツのときもそうだが、ここでもその境遇を語り進めていきながら、アレシアの内面やアイデンティティに深く入り込んでいく。アレシアの場合、ユニークな話し言葉や社会から冷遇される状況により、彼女が当時酷い差別を受けた黒人女性であることがやがて読者に明らかにされる。最初の妻が黒人というのは歴史的事実であるにもかかわらず、読み進めるうちに、彼女の出自がある種驚きを持って判明されるのは、作者トルーオンのストーリーテリングの力の成せる業だろう。
では、そのストーリーテリングの本質が何かと言えば、いずれの文化圏、あるいは社会の中であっても、生き抜こうとする意志を持った人の声と位置づけできる。
物語で3番目に登場するセツについても同様に、彼女の声が言葉となる。それは、単に彼女の語り方の問題ではない。江戸から明治へと時代が変わり、社会のあり方も大きく変わろうとする中で、西洋から来た男性と知り合う、松江で没落していった名家の娘が発する言葉は、思慮深くて慎ましく、さらには気丈なセツという人そのものを表現する。
男性上位の境遇が、ハーンの母ローザの若き日々をなぞるかのようだが、言うまでもなく、セツには彼女自身の生涯がある。伴侶のハーンに先立たれ、残された子どもたちとの暮らしの中で、夫がいた頃の生活を回想するセツだが、これと同時に、彼の影にいた別の女性の存在に心を痛める様子が切実に伝わる。

女性たちの「声」が、今に続く「連帯」をもたらす

現代性を強く感じる物語、と先に書いた。19世紀の史実を元に作られた小説であるのに「現代性」が際立つのは、3人の女性の人生が綴られる状況が、SNSなどを通じ、名もなき人々の営みが知れ渡る今の時代と重なるからだ。
そしてハーンにまつわる3人の、一度も出会うことのなかった女性たちの声を巧みに繰り出しながら、彼女たちの間に一種独特なつながりをもたらしている。
小説の中で最初の妻アレシアが、話し相手の新聞記者から、ハーンが日本へ赴き、そこで再婚したことを知らされる場面がある。後妻となったセツに何か言いたいことがあるか、と記者に聞かれたアレシアは、次の言葉を残している。

「じゃあ、正直にお話しますよ。寄り添った女たちがあなたの前にもいた、そう伝えてあげたいですね。ここシンシナティでも、そんな方たちがいたでしょう。ニューオリンズでもあの人は、何人かの方とおつきあいがあったはずです。でもね、その方たちのストーリーは、その方たちのストーリーじゃないでしょうか。あなたのストーリーがあなたのストーリーであるように。わたしは、あなたや他の方の人生から、あの人を取り上げるつもりはないんです。ただ、あの人はわたしのものだった、そう言いたいだけなんです。」(拙訳)

アレシアの“声”には、嫉妬や怒りがほとんどない。愛した男には、様々な局面を共にくぐり抜けた自分以外の女性が複数いる。そんな事実を知りながらも、互いに敬意を払うことで、ハーンの周りにいて生き残った女性たちが、自らの共同体を形成するような強い連帯を感じさせる。

執筆者プロフィール:新元良一 Riyo Niimoto

1959年神戸市生まれ。84年に米ニューヨークに渡り、22年間暮らす。帰国後、京都造形芸術大で専任教員を務め、2016年末に再び活動拠点をニューヨークに移した。主な著作に「あの空を探して」「One author, One book」。


よろしければサポートをお願いいたします!世界の良書をひきつづき、みなさまにご紹介できるよう、執筆や編集、権利料などに大切に使わせていただきます。