テトリスエフェクト

『テトリス・エフェクト 世界を惑わせたゲーム』

担当編集者が語る!注目翻訳書 第7回
テトリス・エフェクト 世界を惑わせたゲーム
著: ダン・アッカーマン 、訳:小林啓倫
白揚社 2017年11月出版

冷戦終結間際の1989年2月、ある日本企業の密命を受けたアメリカ人実業家がモスクワに降り立った。その後を追うように、さらにふたりの西側諸国の人間がモスクワへと渡った。彼らの目的は、ソ連の秘密官僚組織が厳重に管理しているテクノロジーを、他のふたりを出し抜き奪取すること――

さながらスパイ小説のプロットを思わせる場面から、『テトリス・エフェクト』は始まります。本書は1984年にテトリスが誕生してから、89年にゲームボーイで世界的大ヒットを記録するまでを追ったノンフィクション。ソ連政府が守っていたテクノロジーとは、テトリスのことでした(もちろん、日本企業は任天堂です)。

特殊な事情が絡んでいた「テトリス」の誕生と伝播

テトリスは、ソ連のコンピューター科学者が仕事の合間につくったゲーム。当時、ソ連と西側諸国との間は鉄のカーテンによって人とモノの行き来が厳しく制限されており、コンピューター技術もカーテンの外と内とで10年近い開きがありました。外の世界ではコンピューターでカラーのグラフィクスが描かれていた時に、ソ連のコンピューターは真っ暗な画面に緑色の文字が表示できるだけ。

そんな状況がテトリスを生み出します。テトリスの作者は、西側諸国でビデオゲームが流行しているという噂を聞き、それを真似してパズルゲームをつくろうとします。けれども使えるコンピューターがその程度のものだったから、カッコなどの記号でパズルのピースを描き、余計なものを極力排除して、繰り返し遊びたいと思わせる要素だけを追求していきます。そうした制約があったおかげで、数十秒遊んだだけで全貌が見えてしまうほどのシンプルさでありながら、始めるとやめられなくなってしまうゲームが誕生したのです。

その中毒性のために、テトリスは人から人へ、フロッピーディスクを介して徐々にモスクワ中に広まっていきます。「おもしろいから、やってみ」とSNSで拡散されていくような状況が、冷戦下のソ連、当局の目を忍んで繰り広げられていました。でも、なかなか鉄のカーテンを越えることはできず、生まれてから2年ほどソ連の中だけでひそかに遊ばれていました。ところが、1枚のフロッピーがハンガリーに漏れ出たことで、事態が一気に動きはじめます。

テトリス・エフェクト』の売りは、ソ連生まれのゲームがどうやって鉄のカーテンを越えて外に飛び出したのか、その後どうやってゲームボーイで発売されるに至ったのかを、綿密な調査と取材に基づいて描いているところ。交渉相手がソ連の官僚だったり、ハンガリーを拠点とするソフトウェアのブローカーがライセンス取引をかき乱したりするので、展開がとにかくスリリング。結末はわかっているのにページをめくる手が止まらない……!という一冊です。

ノンフィクションなのにスパイ小説のようなおもしろさ

読み物としても楽しいうえに、ゲームやコンピューターの歴史が詰まった優れたノンフィクションですが、私はこの本を初めて読んだとき、別の魅力を感じてふるえました(そして、この本の日本語版を出したい!と思いました)。その魅力とは、80年代の世界にタイムスリップしたような感覚を味わえること。

79年生まれの私は、本書の物語が展開していた時は小学生でした。ファミコンでビデオゲームを知り、そのままゲームボーイへ進んだ世代。当時のぼくにとっては、テトリスは小さなモノクロ画面の中でくるくる回転するブロックでしかなく、プレイ順をめぐって兄弟とケンカをしたり、夏休み夜中に懐中電灯の明かりでこっそり遊んだりするという、画面のこちら側のものでした。でもこの本を読んだ今、あのとき夢中になって遊んだテトリスの、モノクロ画面のあちら側は、世界とつながっていたのだと知りました。

ソ連の研究者が開発し、ブローカーがそれをハンガリーで発見、イギリスへと運ぶ。イギリスとアメリカのソフトウェア会社がパソコンのソフトにして発売、それが任天堂の目に留まる……。1本のビデオゲームが、国境を越えてプレイした大人たちを次々に魅了し、騒動を巻き起こしつつもいろいろなルートから世界を席巻していく。世界情勢が密接にかかわっていた点も見逃せません。東西対立が続いていた時代。ほとんどの西側の人間が直接ソ連政府と交渉しようとはしないなか、単身ソ連へ乗り込んだ任天堂の雇った交渉人。観光ビザ片手に、どこにだれを訪ねて行けばいいのか、何の情報もないままモスクワの街をさまよい歩くという絶望的な状況から、巻き返しを図る。

テトリスは、ソ連、ハンガリー、イギリス、アメリカと、地球を半周以上する冒険の旅の末、はるばる日本の高知の田舎に住む小学生のゲームボーイにまで、5年もかけてやってきていたのです。なんて、ドラマチック! なんという、スペクタクル!

多くの人があの時代、ゲームに熱狂していました。けれどもおそらく当時、テトリスの生まれた背景が知れ渡ったとしても、これほどワクワクすることはなかったでしょう。「今の自分」という視点から見たときにはじめて、『テトリス・エフェクト』という冒険譚に没入していく感覚が味わえます。その感覚はまさに、タイムスリップ。自分たちがゲームに没頭していた80年代に行って、テトリスが生み出される現場を目撃したり、そのゲームをめぐって大人たちが繰り広げる大騒動をのぞき見しているような感覚です。

テトリスを通じて冷戦時代を追体験するスリル

最近はちょっとしたレトロゲームブームで、かつてのテレビゲームが遊べる復刻版のゲーム機が人気なのだそう。でもゲームをプレイすると懐かしさは感じられても、初めて遊んだあの時の新鮮な感覚は得られないはず。それは、そのゲームのことをすでによく知っているせいでもあるし、今の自分はもうあの時の自分には戻れないからでもあると思います。

でもこの本を読めば、今の自分で「あの時」に戻れます。それは、登場人物を通して当時を追体験すること。コンピューターに未来を見出し、ひたすらそれに食らいついていった者、ビデオゲームで一攫千金を狙いひとりで会社を立ち上げた者、パソコンブームに乗り、国境を越えてハードとソフトを売りさばいた者。いろいろな人物の視点から、80年代の熱気がいやというほど伝わってきて、コンピューターやビデオゲームにワクワクしたあの時の感覚がまざまざと甦ってきます。こんな体験は本だからこそ、よく知るテトリスの知らなかったエピソードだからこそ。レトロゲームをプレイするのでは味わえない世界が、そこにはあります。

30年も前の話です。でも、新鮮! いや、だからこそ新鮮! 30年の時間が経ったおかげで、ゲームボーイの画面のあちら側にあった物語が輝いて見えるのです。

執筆者:筧貴行(白揚社 編集部)


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