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『犯免狂子』 要約(約3000字)


「悪夢」

夜、仰向けで目を瞑っていると突然、感覚つきの映像が脳裏をかすめることがある。

昔は「またあの悪夢か」と思っていると、嫌なことを提案してくる挑発的な声がしつこく語りかけてきた。

私はその映像と共にかき消そうと、ひつじを一匹づつ数えてみたりした。

両親の寝息に気づいて、ようやく寝落ちするパターンは物心つく頃からあった。

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豊かで機能不全

「海外」で生まれ育ち、物理的には恵まれた面も少なくなかった。

でも母の過保護・過干渉・罵倒・体罰なども日常茶飯事。

「自由の国」で暮らしてることが皮肉なほど退屈で息苦しく、神経がすり減る日々だった。

21歳。転機が訪れた。

私が強要されてきた「日本人像」は砂上の楼閣だ。

諭してくれたのはニューヨークタイムズのベストセラー。

邦題は『ザ・レイプ・オブ・南京:第二次世界大戦の忘れられたホロコースト』。

大日本帝国の軍人が侵略したアジア諸国で、幼児から老婆まで輪姦して市民を大虐殺。

731部隊が生きた人間に人体実験をして細菌兵器の開発をしていたことなど、戦争犯罪の詳細を初めて知った。

しかも冷戦の中、アメリカとの裏取引で大半の軍人が免罪になり、日本の医療業界などの高い地位に天下りするなどとして現代に至っている。

衝撃的なのに、妙に腑に落ちることが多すぎた。

祖国の加害者としての歴史と、免罪と忘却とタブー化が現代にどのような影響を及ぼしているのかを掘り起こすことを、一日系国際人の使命とさえ感じた。

急遽、東京にある大学への進学に向けて舵をとるなか、母が反対しなかったのは意外だった。

渡航先が彼女の母国であり、進学が目的で、滞在先が父方の両親宅という安心材料が揃っていたからだろう。

晴れて、実家という名の牢獄から脱出する念願も一石二鳥で叶ったのだが、地球の反対側まできたとて、私の意思を否定する母の基本姿勢は変わらず、電話やメールなどでの攻撃は続いた。

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母みたいなDV女の私

25歳。私の彼氏に対する日常的なDV加害が始まり、母みたいに豹変してしまう自分に困惑し、自己嫌悪に陥るも怒りの衝動を止められず、自分の異常に気づきはじめた。

当初は、女性ホルモンが生理周期によって変動する関係で気分が落ち込む月経前不快気分障害(PMDD)が原因だと勘違いしていた。

そのため婦人科にいき、伝えた疑惑通りPMDDと誤診した男性医師から、目当てだった低容量ピルYAZを処方してもらった。

「副作用はない」と医師は言い切ったものの、私は低容量ピルの副作用による死亡リスクについて知っていた。

男性医師の自信と無知には驚いたが適当に聞き流した。怒りの感情をコントロールするために、背に腹は変えられないと腹を括っていたから。

数年後、酷い偏頭痛が数ヶ月続いた。

YAZを服用し急死する女性が続出していると伝えるニュースを偶然見つけ、自分の症状と酷似していたので、自己判断で辞めたら頭痛はすぐに消えた。

当時は海外の大手メディア会社の新規事業の発足チームの一員としてヘッドハントされ、社会的には成功していたはずなのに、後悔しかないことに向き合わされた。

このままでは死んでも死にきれないと思い、自然治癒力を促す代替医療に趣をおいた生活習慣の改善や、潜在意識に働きかける精神治療を積極的に始めた。

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封印された父への怒り

34歳。過保護・過干渉な母親に悩んできた田房永子氏のコミックエッセイ『キレる私をやめたい〜夫をグーで殴る妻をやめるまで〜』で、ゲシュタルトセラピーという心理療法を知り、ワークショップに参加してみた。

「……下腹部に違和感があり、目が覚めると真っ暗闇で、父の手が下着の中で動いていた。気持ち悪かったけど、寝ぼけているのかと思い、寝返りを打つように母の方を向いて手を振り払おうとしたら、手が私の下着の後ろを掴んだので、怖くなって、でもお母さんを起こしたらいけない気がして、なるべく早く、でもなるべく静かに両親のベッドからどうにか抜け出して、近くのトイレに駆け込み、レバーを下ろし、流れる水の音の大きさに焦りながら、家族みんながこの音に起こされてしまわないようにと願いながら、自分のベッドに入って眠りにつこうとした。でも翌朝『お父さんにめごめごしてもらったんだって?よかったねぇ』と母に優しく言われながらギュッと抱き寄せられて、混乱して、声が出なかった……。」

という訳がわからなすぎる「ただの悪夢かもしれない話」をした。

涙と鼻水を滝のように垂れ流しながら。

「では、お父さんへの怒りを言葉にしてみて」とセラピストから言われ、戸惑った。

私は、この話が仮に事実であった場合、助けてくれなかった母に対する怒りに取り組みたかったから、想定外の指示に言葉が詰まった。

仕方なく、仮に事実だった場合の父に「怒り」の言葉を発してみた。

でも私自身が発声しているはずのに、自分の声ではないような感覚があり「無理やり言わされている感」が心地悪かった。

ワークショップ終了後、私は慌ててセラピストに「でも、私は虐待を受けたとは思ってないんです」と伝えた。

セラピストはなにかを言ったが、その前に一瞬だけ目が点になって絶句したのが印象的だった。

その一瞬の反応で、自分が何かおかしなことを言ったのかもしれないと思った。

予想外な展開ではあったが、参加前よりも、帰り道の足元が軽く感じた。

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両親と対峙

翌々月、精神科医を初めて受診し「解離性障害」と診断された。

翌年、過去で一番理想に近い場所にいたのも裏腹に精神状態がどん底をついた。

人生の物語を根っこから変えないと、何も変わらないと悟り、死より恐れていたことをした:両親と対峙。

結果、動揺しながら責任逃れする両親と絶交。

更に私は弟に同類の加害をしていた事も自覚し、謝罪。

弟は許すと言ってくれたが、加害の破壊力を認められるようになった私は自分を許せない。

「浮気」の肯定

躁鬱状態の時に出会った男から裏切りや猥褻をされたのに、好意を感じ、彼氏に伝えたうえで、男と海外出張。

早い段階からDVを受けるも、コロナ禍になり海外租界を共にした。

男にレイプされたことを彼氏に相談したら、別れを告げられ困惑するも、コロナで日本に帰るのも困難で、関係が双方で悪化。

ようやく日本に帰国し、DV男をブロックできたが、常に身の危険を感じている。

彼氏との関係は辛うじて続いているが、彼氏の心を深く傷つけてしまったことがやるせないのと、同時にそこまで怒るほど私を好きでいてくれたのか?と思うと後悔し、でも本気で好きだったら「浮気してもいいよ」なんて言わなかっただろうと考えたり、結果的に彼の態度が失礼になっているので、お互いのためにも別れた方がいいのだろうと思うが、15年以上の付き合いなのでまだ勇気がない。

別れを告げられて困惑したのは「浮気」をすることで、私の彼氏への不満を軽減し、関係を改善できるかもと思っていた部分があるからだ。

DV男に裏切りと猥褻をされたことで、解離性障害と強迫的性行動症が発症し「好き」「浮気を通じて、彼氏との関係を改善してる」と思っていた。

私はもともと一途な性格で、浮気は絶対してほしくないし、浮気がしたかったわけでもないが、浮気を「概念として」肯定しようとする自分が昔からいた。

それは父からされた猥褻言動が母への浮気行為だと捉えることができたから。

浮気が肯定できれば、私が父にされたことも肯定、少なくとも矮小化できるかも知れないという思考回路だった。

あらゆるセラピーを経て、父と対峙・絶交した後も、自分に起きた性的被害を認めるのが難しい人格が潜在意識にまだ存在していたことに本人としても驚く。

こんなにもコントロールが難しく、大切な人の心を傷つけてしまう自分は早めに死んだ方がいいと思う。

更なる被害を最小限にとどめるためにも。

私は安楽死の準備をしつつ、子供の人権が尊重される社会のヒントになるよう己の経験をこうして綴っている。

子どもに「愛」という名で性的なことをし、孤独や支配欲を満たすことはどのように罪なのか、イメージしていただけただろうか。

どうか私みたいな人生を送りませんように。

完全版は随時更新中:
『犯免狂子』子どもに「愛」という名で性的なことをし孤独と支配欲を満たすのはどのように罪なのか

目次
「悪夢」
恵まれた機能不全
脱獄後の足枷
母みたいなDV女の私
封印された父への怒り
愛妻家の性的逸脱行動
解離性障害
両親と対峙
「浮気」の肯定

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