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仏教ってなに?

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世の中で、良く分からないものの代名詞と言っても過言では無い物の一つが仏教であると言えます。 専門家による解説本も多数出ていますが、どれも分かったようで分からないものが多いようです… もっと読む
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動物倫理及び環境倫理の背景思想としての仏教の可能性

動物倫理及び環境倫理の背景思想としての仏教の可能性

         <ENGLISH>

 今回は、仏教が今後の人類社会に対して果たしうる役割について考察した学術論文をアップする事にします。論文なのでちょっと長いですが、お時間のある時にでもじっくり読んで頂ければ幸甚です。

目  次

序 章

第1章:欧米で生まれた「動物倫理」と「動物福祉」政策の世界的な広がり

第2章:同時期に生まれた「環境倫理」とその課題

第3章:仏教における不殺生戒と

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仏教ってなに? 応用編ー10

仏教ってなに? 応用編ー10

六波羅蜜

 六波羅蜜とは大乗仏教の菩薩が極めるべき修行課題とも言えるものです。
  六波羅蜜の波羅蜜とはパーリ語のPāramī パーラミー、サンスクリット語のPāramitāのパーラミターの音訳で、意味は完成・完全・彼岸に至るという意味です。ということで、六波羅蜜とは六つの完成という意味ですが、その六つとは何かというと、

1.布施(Dāna ダーナ)=与える事、分け与える事、物惜しみしない事

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仏教ってなに? 応用編ー9

仏教ってなに? 応用編ー9

唯識
 先に「空」のお話を致しましたが、釈尊が遺された教えをその後の弟子たちが整理分類して行く中で、森羅万象の基本的構成要素のいくつかは実在すると考えるようになりました。
 しかし、そのような実在論は釈尊の中道と無我の教えに反するとして、般若経典類を編纂した人達やその思想を集大成した龍樹らが、それらの実在論を徹底的に否定して行きました。
 そして、全ては「空」であるとしました。それは先の応用編6で

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仏教ってなに? 応用編ー8

仏教ってなに? 応用編ー8

刹那滅

 先にもご説明致しましたように、釈尊の教えは弟子達よって整理・分類・研究され様々な解釈が生まれその解釈をめぐって大論争が続けられて来ました。
 その中で、大乗仏教が登場する以前からあった刹那滅と言う考え方があります。この刹那と言うのは1秒の75分の1ぐらいの長さ(1/60秒又は1/65秒という説もあります)だとされていますが、刹那滅と言うのは、あらゆるものは、この1/75秒おきに消滅して

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仏教ってなに? 応用編ー7

仏教ってなに? 応用編ー7

苦の起源と菩薩行の必然

 ここで、先に進む前に、もう一度基本的な事をもう少しだけ突っ込んで確認しておきたいと思います。先の応用編5-3で少しだけ触れましたが、何故、宮沢賢治が本当の意味での釈尊の思想を深く理解していたと思うかについての説明もしておきたいとも思います。
 また、応用編3と4でちょっと触れましたが、何故、仏陀になるには菩薩行が必要で、それにはとんでもなく長い期間が必要になるのかについ

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仏教ってなに? 応用編ー6-2

仏教ってなに? 応用編ー6-2

「空理・空論」ではない「空」の話 - 2

 では、「空」とは一体どのようなものの見方なのかを、ここで改めて詳しく見てみたいと思います。先程の例は、「椅子」であったり人間であったり、様々な要素が複雑に組み合わされたものでしたので、それらの組み合わせが概念であるというのは分かるが、もっと基本的な要素自体は実在するのではないかと思われる方もいるかもしれません。
 では、「水」というものを例に挙げて考え

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仏教ってなに? 応用編ー6-1

仏教ってなに? 応用編ー6-1

「空理・空論」ではない「空」の話

 これまでは、主に初期仏教以来の釈尊の教えを中心に見てきましたが、後の大乗仏教興隆の時代になると般若経典類を中心に「空」という言葉がよく使われるようになりました。
 よく、中身のないわけのわからない話を「空理・空論」と言いますが、昔から「空」の話は良くわからないものの代表格のように思われて来たようです。
 ここでは、この良くわからない「空」の話をできるだけ「机上

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仏教ってなに? 応用編ー5-2

仏教ってなに? 応用編ー5-2

勘違いか?でっち上げか?

 バラモン教の梵我一如の思想と釈尊の無我の思想の違いを一言で表現すれば、梵我一如においての目覚める前の自分というものは「勘違い」の自分であって、本来、大海そのものである自分を波の1つとして「勘違いする」ところから迷いの状態が始まっており、その勘違いの誤りに気付いて、本当の自分は波ではなくて大海そのものだったのだと目覚めれば迷いの状態は終わるわけです。つまり、梵我一如の思

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仏教ってなに? 応用編ー5-2

仏教ってなに? 応用編ー5-2

無我か?非我か?-2

迷いの主体は何か?

 先に述べた故中村元東大名誉教授は「仏陀が否定された我と言うのは、わがものと思い込んだものであり、常住不変の実体であり、常住不変の自己の本質といったものであります。」『非我あるいは無我が、いまひとつはっきりしないのは、あれはアートマンではない、これもアートマンではないと否定的に説かれていて、これがアートマンであると肯定的、断定的に説きあかされないところ

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仏教ってなに? 応用編ー5−1

仏教ってなに? 応用編ー5−1

無我か?非我か?

 先に、基礎編8の所で無我と非我の微妙ですが本質的な違いについて少しだけ触れましたが、ここでは、その事についてちょっと詳しく見て行きたいと思います。
 釈尊が説かれたのは無我だったのか、非我だったのかと言う問題です。
 釈尊は、インドの言葉でいうと anātman(元の言葉のパーリー語ではanattā)を説かれました。anātman の最初のanは否定を意味する接頭辞なのですが

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仏教ってなに? 応用編ー4−2     (悟りの境地は光の境地)

仏教ってなに? 応用編ー4−2   (悟りの境地は光の境地)

光そのものにも喩えられる如来という境地

 それは、正に先の基礎編10でご説明したとおり「自分と言う視点を設定せずに、どの一点にも留まらない完全なる中道の心境になれれば、光そのもののように時間も空間も無い、あらゆる相対的な視点を超えた境地に到達できるのかもしれません。そういう境地こそが釈尊が到達された境地なのかもしれません。」「釈尊の悟りが、光そのものの状態のように時間も空間もない境地なのであれば

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仏教ってなに? 応用編ー4−1       (如来ってなに?)

仏教ってなに? 応用編ー4−1  (如来ってなに?)

自分の無力さを徹底的に自覚する事によって、自分を脱却する道

 先に見てきたような阿羅漢の道も菩薩の道も相当の覚悟と信念を必要とする道であり、誰にでも出来るとは言いがたい面があります。
 そこで、後の時代になると、これは仏教だけの話ではなく、世界的な広がりを見せた宗教的な潮流なのですが、人々を救済しようという大いなる意志を持った超越的な存在に、自分の全てをお任せして救って頂こうという信仰形態が興隆

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仏教ってなに? 応用編ー3            (菩薩ってなに?)

仏教ってなに? 応用編ー3  (菩薩ってなに?)

菩薩

 先にご説明した阿羅漢のように、自分の修行に専念して出来るだけ早く涅槃に入ろうとするのは、基本的には自分という妄想から脱却するための一番直接的な方法であると言えます。だからこそ、釈尊も最初から弟子になった人々にそういう方法を教えられたのだと思います。また、基本的に自分という存在が本当のものごとのあり方を知らない無知により妄想されたものであるならば、その自分と対比して妄想されるに至った多くの

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仏教ってなに? 応用編ー2            (阿羅漢ってなに?)

仏教ってなに? 応用編ー2  (阿羅漢ってなに?)

阿羅漢
-自分に関する執着を根絶やしにする道-

 先の基礎編でもご説明致しましたように、釈尊は、自分を脱却する道として、先ずは最初に5人の旧友達に中道、四諦、八正道、五蘊無我(それぞれの意味については基礎編7と8をご参照ください)を実践方法を示しながら説かれました。それは、自分と言うものが本来実体の無い妄想に基づくもので、その実体の無い自分と言う妄想を核として、それが執着する様々なものを身に纏い

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