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最終回 朝日新聞を再び考える

アメリカの占領政策が企図したことが日本に浸透し、維持されるように“ご奉仕”しているのが現在のマスコミということになります。改めて朝日新聞を素材にそれがどのようになされたか。180度転換したそがたを論説を見る事で考えていきましょう。

まず、昭和20年8月15日付の『一億相哭の秋』と題する社説です。

(前略)畏くも、万邦共栄の大方針の下、帝国の自在と東亜の安定とを、庶幾しつつ、陸海将兵の勇戦、百僚有司の励精、一億衆庶の奉公、いずれも最善を尽せるもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、(略)終に我が民族の滅亡をすら招来する虞あるのみならず、人類の文明をも破却すべき虞すら感ぜられる。されば億兆の赤子、皇祖皇宗の神霊を併せ思わせられた結果、終に政府をしてポツダム宣言に応ぜしめたとの有難き御言葉を拝しては、億兆一心、凛として声なく、唯々光輝ある君国当面の悲運のために相懐いて哭するの情に堪えないものがある。(略)如何に困苦の時が続こうとも、嶮岨の途が続こうとも断じてこれを意とすべきではない。挙国一致。国体の護持を計り、神州不滅を信ずると共に、内に潜熱を蔵しつつ冷静以て事に当たるならば、苦難の彼方に洋々たる前途が開け行くのである。加うるに、被抑圧民族の解放、搾取なく隷従なき民族国家再建を目指した大東亜宣言の真髄も、また我国軍独自の特攻隊精神の発揮も、ともに大東亜戦争の経過中における栄誉ある収穫というべきであり、これらの精神こそは大戦の結末の如何にかかわらず双つながら、永遠に特筆せらるべき我が国民性の美果としなければならない。(略)君国の直面する新事態について同胞相哭し、そして大君と天地神明とに対する申訳なさで一ぱいである。(略)我が民族の優秀を信じ、豊なる希望を未来に繋ぎながら、誓って宸襟を安んじ奉らんとの決意を今ここにまた新たに堅くせんとするものである。

非常に難しい文章ですね。良く読むと意味がわかってきます。
今の朝日新聞からすると信じられないような素晴らしい内容です。
しかし、早くも1ヶ月後には180度転換してしまいます。
9月22日の社説『戦争の責任果たして如何』では、このように変化しています。
満州事変や支那事変以後の日本の国策を挙げ、『遂に国民を大戦争の渦中に投じた我国指導者こそ、この際、十分に糾明せられて然るべきであろう』。
GHQの方針『戦争責任の追及』に従い始めているのがわかりますね。

それから、戦後の朝日の歴史で有名なのは11月7日の第一面に載った『国民と共に立たん』という宣言にはこう書かれてます。

支那事変勃発以来、大東亜戦争終結にいたるまで、朝日新聞の果たしたる重要なる役割にかんがみ、我等ここに責任を国民の前に明らかにするとともに、新たなる機構と陣営とをもって、新日本建設に全力を傾倒せんことを期するものである。今回村山社長、上野取締役会長以下全重役、および編集総長、同局長、論説両主幹がある総辞職するに至ったのは、開戦より戦争中を通じ、幾多の制約があったとはいえ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たし得ず、またこの制約打破に微力、ついに敗戦にいたり、国民をして事態の進展に無知なるまま今日の窮境に陥らしめた罪を天下に謝せんがためである。今後の朝日新聞は、全従業員の総意を基調として運営さるべく、常に国民とともに立ち、その声を声とするであろう、いまは狂瀾怒濤の秋、日本民主主義の確立途上来るべき諸々の困難に対し、朝日新聞はあくまで国民の機関たることをここに宣言するものである。

うーむ、誠に立派な覚悟といえば、そうかもしれませんが、ではここで朝日のいう『国民』とはいったいいかがなものか。
実はこの宣言とともに『新聞の新たなる使命』と題する社説も掲げられました。
そこにはこう書かれています。

新聞全従業員が国民の一翼、しかも新聞という特殊な職場を守る勤労者であることを自覚し、国民の声は直ちに新聞従業員の声はであるとの立場を堅持する。指導せんとするものであるのか・・

続けて朝日は、国民とは『支配者層と判別区別せられたる国民でなければならない。それは一言にしていえば、工場に、職場に、農山村に働く国民』であって、『新聞の担うべき究極の使命は、働く国民の間から生まれるべき日本民主主義戦線の機関たることでなければならない』と宣します。
ここに『支配者層と判然区別せられたる 国民』という階級闘争史観がはっきり打ち出されているのがわかります。

朝日新聞は戦後、親ソ派、親中派が入り交じりながら歴史を織りなしたと以前申し上げましたが、この『国民と共に立たん』という宣言を書いたのは後に論説主幹となって朝日の左翼論調を主導した森恭三という人物です。
この森という人は中国のあの文化大革命を毛沢東思想による『道徳的人間改造』の試みだと称賛、『毛沢東万歳』という立場を明らかにしたばかりか、自らを共産主義者だと明言してはばからかった人です。

つまり、こういう人物の書いた宣言が、朝日新聞にとって戦後の原点と位置づけられているのです。

戦後の朝日新聞はGHQに抗う瞬間があるあったのですが、その後、すぐに日本を二度と米国の脅威たらしめない、国家として腑抜けの起てない状態にし続けると同時に、共産主義にも奉仕する機関だったといえるのではないかと思います。

したがって、彼らには愛すべき、守るべき『日本』がないのです。愛国心が無い。
そして反日であると同時にGHQの意向に寄り添い、共産主義に寄り添うという考えが、戦後のスタート時点で朝日をはじめとするメディアに渦巻いていて、そうした種が芽吹き、70年かけて大きな大木になり、今現在私たちの言語空間を覆っているということなのです。

なぜ日本のマスコミが反日なのか、なんとなくご理解いただけたと思います。

次回からは戦前の日本と戦後の日本は断ち切られています。そこらへんを深掘りしていきたいと思います。

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