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今こそ、特別支援学級で実践したい各教科等を合わせた指導-Ⅰ 前提としての自立論-

植草学園大学名誉教授 全日本特別支援教育研究連盟理事長
名古屋 恒彦

1 「自立」の本質は支援の下での主体性
 今日、大切にされる主体性は、教育目標「自立」の本質をなすものであること、だからこそ、今日的な動向においても一層重視されるものであることを、以下考えていきます。
 一般に辞書的な意味での自立は、「他の援助や支配を受けず、自分の力で判断したり身を立てたりすること。ひとりだち。」(『広辞苑』第6版)というように、他の援助を受けないということや、「ひとりだち」ということが強調されています。もしこの意味で、特別支援教育の概念規定や学校教育法第72条における「自立」を理解したら、直ちに重大な問題が生じることになります。
 すなわち、特別支援学校はもとより特別支援教育で対象とする子どもたちには、他の援助を受けずに生活することが困難な子どもが少なくありません。まして「ひとりだち」とまで言われたら、それは多くの子どもにとって極めて困難になります。寝たきりの子どもたちも特別支援学校の大切な仲間です。辞書的な意味で「自立」をとらえるとしたら、特別支援学校では多くの子どもにその目標を達成できないことになってしまいます。
 ということは、ここで言われる「自立」は自ずと、障害の重いと言われる子どもにも達成できる目標として理解されるべきです。
 我が国の知的障害教育の実践現場では、他の援助を受けない「ひとりだち」という一般的な自立観の下、子どもを引っ張り、苦しめ、時には学校教育から排除さえしてきた苦い経験から、自立を一定の固定的な基準で考えるのではなく、本人の主体性という意思的側面を重視し、その実現を支える支援の存在を積極的に肯定する自立観を1970年代後半期以降、明確に打ち出してきています。そのような自立観に基づく自立概念は次のように説明されています。
 「適切な支援条件下で、自分の力と個性を最大限に発揮してなされる取り組み」
    このような自立観であれば、支援が行き届きさえすれば、どの年齢段階にも、あるいは障害の軽重や有無に関係なく、その人なりに実現することが可能です。
 この支援を適切に行き届かせることに、特別支援教育の役割があると見ます。
 
2 誰かがいてくれるからこそ「自立」
 さらに踏み込んで考えるならば、障害の有無に関係なく、すべての人にとって、本来自立とは、辞書で言われるような、他の援助を受けないという形では成立し得ないことにも気づかなければいけません。私たちは、過去においても、現在においても必ず誰かの支えを得ています。支えを得てこそ、自分らしくあれると言ってもよいのではないでしょうか。
 もし辞書的な意味での自立、他の援助を受けない「ひとりだち」が理想の人間像であるとするなら、理想の社会とは、人が互いに誰も当てにしない社会となります。誰をも必要とせず、自分だけで生きていく社会、そういう人たちの集まり、これはまことに孤独な社会、もはや社会とは言えない場になるのではないでしょうか。そんな社会が理想であるはずがありません。
 誰かを大切に思い、誰かを必要とし、互いに支え合う社会こそが理想の社会であり、そこで生き生きと生きる人たちこそ、真に自立した人たちであると考えたいのです。もちろん、正しく自身を内省すれば、誰かに支えられていない自己はあり得ないわけですから、自ずと私たちが目指すべき自立像、社会像は定まってきます。
 周囲から自分に最適な支えを得ながら、自分らしく生きていく姿にこそ、最も正確な意味での自立の姿があるのです。そしてそのような人たちが互いを必要とし合い、支え合う社会こそ理想の社会です。
 いつの日にか辞書にある自立の定義が修正されることを願います。
 
3 「支援はない方がよい」のか
 とはいえ、私たちは特別支援教育に携わりながらも、ついつい辞書的な意味での自立観にとらわれていないでしょうか。多様な障害の子どもたちを対象として含み込んだ特別支援教育が敢えて、その目標に(それはどの子にも達成すべき目標です)「自立」を謳っていることの意味を改めて心に留めておきたいと思います。
 今日、特別「支援」教育といわれているのですから、支援の必要性を否定する人はそう多くはいないと思います。それでも実践現場に出てみれば、「あの支援は早く外したい」「支援はない方がよい」という声は聞かれます。
 このような発言には、やはり支援があっては自立には不十分という価値観が介在しています。しかしすでに述べたように、真の自立には支援は不可欠ですし、支援は量の多少ではなく、その人にとって最も適切な形であることが望ましいわけです。子どもたちにだけ、支援を減らしていくことを求めるのは不当です。
 しかし、現実にはなくなっていく支援はあります。必要がなくなる、あるいはかえって邪魔になってくる支援というものはあるのです。子どもたちに支援が行き届けば、つまりできる状況が整えば、子どもができる子どもになります。そうしてできる力を存分に発揮していく過程で、自らの力を高めていきます。そうなるとこれまで必要であった支援は不要になってくる場合があるのです。支援でなく自身の力でできるようになるからです。そうなれば、その支援は外していってよいでしょう。要は、支援をなくすかどうかは、周囲の人間が「なくした方がよい」と思う筋のことではなく、支援を得ている本人が決めていけばよいことなのです。そう考えれば、ずっと継続していく支援があってももちろんよいのです。私たちの生活を支えているものの中にも、いつまでもあってほしいものとある段階になるともう必要がなくなるものがあります。それと同じことです。
 支援の必要性の有無を決めるのも本人自身であるということです。
 
4 「子ども主体」の具体化
 自立の本質が適切な支援の下で発揮される主体性にあるとすれば、主体性の実現、子ども主体の活動の実現は、教育目標「自立」の実現と同義です。主体性の確保は、教育における目標に必ず含意されていくものです。
 授業の具体目標は様々ですが、自立を目指す教育である以上はどのような授業であっても、子ども主体の活動が実現していなければいけないということになります。子ども主体の活動の実現は、それほど重いものなのです。
 自立も子ども主体の活動も、将来のどこかで実現できればよいという目標ではなく、今日の、今の、この授業で実現されているべき教育目標です。今がその子にとって存分に打ち込める、やりがいと手応えのある学校生活になっていてこそ、教育目標としての自立も子ども主体も意味を成すものなのです。
 しかし、その一方で、「子ども主体」とか「主体性」という言葉は、きれいな言葉であるがゆえにすっと頭の中に入ってきますが、意味不明の場合があります。単なるスローガンになってしまっている場合です。
 そこで、これらの概念をさらに具体化していく必要があります。
 では、子どもの自立した生活、子ども主体の生活とは、具体的には、どのような生活でしょうか。それは次の3点に要約されます。
 ①確かな目当て・見通しをもち、仲間とテーマを共有できる生活
 ②一人ひとりが、自分の力で活動し、仲間とともに取り組める生活
 ③存分に活動し、大きな満足感・成就感を分かち合える生活
 つまり、生活に明確なテーマがあり、そのテーマに沿った活動に確かに取り組め、それをやり遂げた満足感・成就感をもてる、こういう生活が子どもが自立した生活、子ども主体の生活であり、いわば質の高い生活であるわけです。私たちの私生活での質の高い生活というのも、この3条件を満たしているものではないでしょうか。
 ただし、この3点は、「子どもがこの条件に従って生活しないといけない」というように、子どもに対してこうあるようにと求めるものではなく、教師が、「子どもの生活がこうであれるように努力しなければならない」という、教師側のできる状況づくりの条件です。
 
5 仲間と共に子ども主体はある
 なお、これら3点にはいずれも「仲間と」「分かち合える」といった文言が加えられていることには、留意が必要です。
 一人ひとりがてんでんばらばらに主体的であればよいということではなく、仲間と共に、という学校生活の(ひいては社会生活の)良さを大事にしていくことが強調されています。
 主体性ということと集団性・社会性ないし協働性ということは、概念としてはとりあえず別物です。しかし、この教育の歴史を振り返ると、障害のある子どもたちの学校教育における主体性の確保の歩みは、学校という集団や社会からの排除を解消していく過程であったとみることができます。初期においてはそもそも学校に行くことができなかった、当然学校で主体的に活動できるはずがありません。時代が下って学校にはいられるようになった、しかし、他の子どもたちの学習活動から置き去りにされている、つまり学校に物理的にはいられても、自分らしさを発揮する機会を奪われていたわけです。そこで、特別な教育が構想され、学校において真に仲間として教育に参加できるようになったわけです。それは学校という場で、主体性を発揮できるようになったことと同義であり、こう考えれば、主体性と集団性・社会性ないし協働性は、この教育においては一元的に考えられなければならないものと言えます。
 この点でも、「仲間と共に主体的に取り組める生活づくり」の大切さを、しっかりと心にとどめていきたいと思います。

特別支援学校高等部の授業研究会に参加する本学の学生たち
名古屋 恒彦
植草学園大学名誉教授 全日本特別支援教育研究連盟理事長 

千葉大学教育学部卒業 千葉大学教育学研究科修了 博士(学校教育学 兵庫教育大学)
千葉大学教育学部附属養護学校教諭、植草学園短期大学講師、岩手大学講師、同助教授、
同准教授、同教授、植草学園大学教授を歴任
主な著書:『知的障害教育における「個別最適な学び」と「協働的な学び」』(東洋館出版社.2022年)、『「各教科等を合わせた指導」Q&A (確かな力が育つ知的障害教育)』(東洋館出版社.2022年)、『「各教科等を合わせた指導」と教科の考え方: 知的障害教育現場での疑問や懸念にこたえる』(教育出版.2022年)、『「各教科等を合わせた指導」エッセンシャルブックー子ども主体の学校生活と確かな学びを実現する「リアルの教育学」』(ジアース教育新社.2019年)等

植草学園大学・植草学園短期大学 特別支援教育研究センター
障害者支援を学ぶことは、すべての支援の本質を学ぶことです。千葉市若葉区小倉町にキャンパスをもつ植草学園大学・植草学園短期大学は、一人ひとりの人間性を大切にした教育を通じて、自立心と思いやりの心を育むことにより,誰をも優しく包み込む共生社会を実現する拠点となることを学園のビジョンとしています。特別支援教育研究センターは、そのビジョンを推進するため、平成26年度に創設され、「発達障害に関する教職員育成プログラム開発事業」(文部科学省)の指定を受けるなど、様々な事業を重ねてきています。現在も公開講座を含む研修会やニュースレターの発行なども行っています。                                     tokushiken@uekusa.ac.jp

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