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フクシマからの報告 2020年春    JR常磐線開通に合わせて       レッドゾーン道路だけ封鎖解除     9年間無人の街を前にマスコミは無関心

 昨年の12月20日、こんな報道が流れた。

「政府は、帰還困難区域である福島県富岡町のJR常磐線・夜ノ森(よのもり)駅周辺の避難指示を、来年3月10日に解除する方針を決めた」
 時事通信の記事は「帰還困難区域の避難指示が解除されるのは初めて」と誇らしげに言う。

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Google マップより。右上隅が福島第一原発。直線距離で6〜7キロ)

これは現場に行って、この目で確かめなければならない。私はそう思った。

「帰還困難区域」とは、福島第一原発直近の汚染の一番ひどい地域に政府が与えた名前である。政府の定義では、2011年末時点で年間被曝量が50ミリシーベルト(1時間あたり5.7マイクロシーベルト)を超えていた区域を意味する。大熊町、双葉町、富岡町など、原発から数キロの町、約24000人の住民がその対象に該当する。

 コロナウイルス報道で登場した用語でいえば「レッドゾーン」(汚染地帯。立入禁止区域)ということになる。

 事故直後に住民すべてが強制避難を強いられただけではない。かつて強制避難になった、原発を中心に半径20キロの区域が次々に避難を解除されるなか、このレッドゾーンだけは、9年を経た今も、住民は自分の家に帰れない。商店や学校も無人のままである。「帰還困難」という名称が「もう帰るのはあきらめなさい」と政府が言っているように聞こえる。

 私は、このレッドゾーンの境界まで何度も取材に来た。富岡町の中心部を、レッドゾーンとグリーン・ゾーン(安全地帯。立ち入り可能区域)の境界がぶった切っていた。一本の道路をはさんで、片方がグリーン・ゾーンで人が出歩き、もう片方はレッドゾーンのままである。無人で民家や商店が朽ち果てている。クリニックやモール、美容院やカラオケ屋が目に前にあるのに、入れない。業を煮やして、レッドゾーンの上にドローンを飛ばして街の様子を空撮したこともある。

 境界にはガードレールと金網しかない。放射性物質は風に乗って両側を行き来している。こんな規制に、一体なんの意味があるのか。官僚が機械的に地図の上に線を引いただけ、という印象を私は受ける。グロテスクな光景が広がっていた。9年間、ずっと同じなのだ。

 一部だけとはいえ、そのレッドゾーンの立入禁止を解除するという。9年間、無人のままになっている街は、一体いまどんな様子なのか。これまで、入りたくても入れなかったエリアである。自分の目で確かめたいと思った。

 そんなわけで、2020年3月10日朝5時、私はその福島県富岡町のレッドゾーンのゲート前にいた。空はまだ暗い。冷たい雨がざあざあと落ちてくる。6時にゲートが開く。9年間眠り続けた街に、人が入れるようになるのだ。

 そしてゲートが開いた。それから私が見たものは、想像をはるかに超えていた。ひどかった。本当にひどかった。ショックでめまいがした。

 何がそんなにひどかったのか、要点を先に述べておく。

1)レッドゾーンを解除されたのはJR夜ノ森駅にアクセスする「道路」だけだった。
2)両側の民家や商店は立入禁止のままだった。朽ち果てた街が広がっていた。
3)しかしマスコミは関心を払わなかった。
4)午前6時の解除に合わせて町長の取材用セレモニーがあった。マスコミの取材の関心はこちらだった。
5)封鎖解除されたゾーンに入ったとたんに線量が0.2から0.5〜0,6マイクロシーベルトに跳ね上がった。夜ノ森駅もそこにある。
6)翌日3月11日午前2時46分、震災発生の時間を知らせるサイレンが鳴っても、黙祷するマスコミはいなかった。

 以下、現地で撮影した写真や地図・図表など約100枚とともに報告する(特記のない限り写真は2020年3月10日、福島県富岡町夜ノ森で筆者撮影)。


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