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5分でアランの『幸福論』#34 “アランが生きた第一次大戦を体感する1本の映画”

3月以降約1ヶ月にわたりアランの『幸福論』を連載してきた。
しかし肝心のアランという人物が何者なのか調べるのを忘れていた。
その人物の思想を深く考えるには、その人物の生涯も深く知らねばならない。
と思ってググってみたが・・・少ない!情報が少ない!
分かったことといえば、
・アランはペンネームでフランスの超偉大な高校哲学教師
(まさに実在した『ここは今から倫理です。』)
・もう中年なのに自ら志願して戦争の最前線に赴くガチのフィールドワーカー
(戦場の哲学者)
・政治家と激論をかわすバリバリの社会派
・プロポ(短文投稿。今でいうツイート?)の数は5000を超えるアウトプットの鬼
ざっとこんなところか。
これは本腰入れて調べないかんので、ひとまず彼が生きた時代について考察したい。


アランの生きた時代 1868〜1951

1868年といば日本では鳥羽伏見の戦い、いわゆる戊辰戦争が勃発した年だ。
黒船来航に端を発した尊皇攘夷運動により江戸幕府は終焉。
日本が内乱と文明開化にゆれる激動の時代が始まる。

アランが14歳、中二病適齢期を迎えた頃は1882年。
日本では板垣退助が遊説中に襲われ(板垣死すれど、自由は死せず!)、
スペインではサグラダ・ファミリアの建設が始まり、
ドイツ、オーストリア、イタリアの秘密軍事同盟“三国同盟”が締結。
第一次大戦のレールが敷かれた。

19世紀末から20世紀初頭といえば、
電信技術によって情報は即時的かつ広範囲に拡散され、
新聞によって市井の民も世界中の動き知れるようになった時代。
アランも10〜20代の多感な時期、30代の多忙な時期を、
戦争の足音を聞きつつ世相のきな臭さを敏感に感じながら、
「生きる」とは何かを考えていたのだろう。
そして1914年、第一次世界大戦が始まる。


第一次世界大戦とアラン

第一次世界大戦(WW1)は欧米では“Great War”(大戦争)と呼ばれる。
日本は、地中海で艦隊が戦ったり、
映画「バルトの学園」でお馴染みのドイツとのいざこざがあったり、
コロナ禍ではスペイン風邪の逸話などが話題になったが、
この戦争におけるその他のエピソードはあまり知られていない。
歴史の教科書でも“サラエボ事件”と“新兵器“に触れるぐらいで、
WW1はサラッと流される。
しかしアランを読む者にとって、この戦争は重要だろう。

アランは46歳でフランス軍人としてWW1に従軍する。
この年齢では徴兵免除だが、彼は戦争の現実を直視すべく
自ら志願し砲兵として前線に赴いた。
WW1はそれ以降の戦争のあり方を根本から変えるほど、
戦争の定義そのものに劇的な変化を与えた(その前に起こった日露戦争にてその萌芽は見られたので、日露を第0次大戦と捉える説もある)。
アラン自身も戦後、自らの戦時体験をいくつか発表しているし、
当然プロポのテーマでもある“幸福”に大きな影響を与えたとみるのが自然だ。

WW1の戦場とはどのようなものであったのか。
それを如実に体験できる 1本の映画がある。

映画「彼らは生きていた」で体験するWW1の戦場

数年前にいくつかのミニシアターで公開された本作。
偶然映画館で観ることができ、本当に良かったと思う。

「ロードオブザリング」で有名なピーター・ジャクソン監督の作品である本作は、
当時の戦場で実際に撮影された白黒映像をカラーに着色・再編集し、
従軍兵士のインタビュー音声と効果音を加えて完成させた力作である。
WW1当時、戦争勃発と時を合わせるように動画撮影の技術は、
カメラが戦場に持ち運べるまでに小型化するほど進化しており、
カメラマンはこぞって戦場の現実を撮影するために最前線へと従軍した。
(このあたりの背景はNHKスペシャル「映像の世紀」に詳しいので割愛する。
この番組も興味のある方はぜひ観てほしい)

「色がつくだけで、歴史はここまで自分事になるのか」
映画館で本作をみた私は衝撃を受けた。
まるで自分が若きイギリスの一兵卒となって仲間と共に興奮しながら戦場へ趣き、
その悲惨さと共に戦友、そして自らの心を失っていく悲しみを
戦場で実際に体験したような感覚になった。

WW1を扱った作品は「西部戦線以上なし」「戦火の馬」、
全編ワンカット撮影(のように編集している)が話題となった「1917 命をかけた伝令」など数多くあるが、「彼らは生きていた」ほどに前線兵士の興奮と恐怖、
その息遣いを感じる作品を私はまだ知らない。(WW1を扱った別作品「ジョニーは戦場へ行った」は本作とは異なる視点から戦争に対する圧倒的な恐怖と怒りを感じる作品であったのでこちらもオススメだが、この話は別の機会に譲る)
それは“実際“の映像が生み出す唯一無二の力だろう。

ちなみに、ピター・ジャクソン監督が本作を作った経緯は、
彼の祖父がイギリス兵としてWW1に従軍していたからだという。
そして彼の監督した「ロードオブザリング」の原作者、J・R・R・トールキンも
イギリス将校としてWW1参戦。激戦地であるソンムの戦いを生き抜いてる。

トールキンが生涯に渡り創作に対し異様なまでの情熱を注いだ理由の1つに、
彼と戦友との逸話がある。
彼は学生時代、仲間と共に文筆クラブを作り積極的に活動していたが、
その仲間は皆WW1に参戦、数名が戦場で命を落としてしまう。
トールキンは戦士した盟友から
「もし僕が戦死したら、僕の分まで書き続けて欲しい」
と手紙をもらっていた。

「ロードオブザリング」で主人公フロドと旅をする“サム“というキャラクターがいる。
サムは最初は頼りないものの心優しく非常に勇敢なキャラクターとして大活躍するが、
このキャラ設定はトールキンと共に戦った英国兵士そのものを表しているという。

WW1に参戦した英国兵と「ロードオブサリング」のサム

閑話休題。
アランの幸福論を読む時、
あの戦争を生身で体験し潜り抜けてきたという前提を知ることで,
「幸福だから笑うのではない。笑うから幸福なのだ」
という彼の言葉は、サラリと受け流せない重みを伴う。

言葉は中身よりも誰が言ったかが大事、とよく言うがそれは
「言葉とは、背景とセットで噛み締めて初めてその深みを味わえるもの」
ということと同義なのだろうか。


戦争の世紀を生きたアラン

アランは1951年に83歳でこの世を去る。
その数年前には第二次世界大戦によって、彼の祖国フランスは再び戦禍にさらされた。
1939年戦争勃発の年、彼は71歳。
パリが独軍によって占領された時、
ノルマンディーの海岸に連合軍が上陸した時、
ヒトラーの自殺により独軍が降伏した時、
彼はどのような思いでプロポを書いていたのだろうか。

本連載の原著である日経BP社の『幸福論』には、
各章の表紙にそのプロポが書かれた年月日が記載してある。
次回の投稿からは「いつ書かれたのか」も加味しながら彼の思想を考察したいと思う。

アランの生きた時代を考える、と言いつつ、
今回は私自身が興味のある“戦争の歴史“にいくぶんフォーカスしすぎて書いてしまった感が否めない。。。
なるべく多面的視点でアランを考察することで彼の思想を立体的に把握したいので、
もし読者の皆さんの中で「こういう切り口があるのでは?」など、
お気づきの点や気になる点があれば、以後コメント欄でぜひとも教えてほしいと思う。

では今日はこの辺で。
次回は通常投稿に戻る。

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