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民主主義からの脱却、日本社会の真実を語る

1.民主主義と資本主義は相容れない

まず、読者の認識の誤りを正そう。

世間一般では、民主主義と資本主義は相互に補完的に機能していると考えられているかもしれないが、これは大嘘だ。

民主主義と資本主義は相互に相容れない、これがこの世界の原則なのだ。

これは、社会における民主主義の度合いが強まると資本主義の度合いが弱まり、資本主義の度合いが強まると民主主義の度合いが弱まる、そういう傾向があるということを述べている。

以下、その構造について考えてみる。

2.企業のあり方を対比してみる

例として会社組織のあり方を対比して考えてみよう。

一つは従業員全員で合議制をとる、極めて民主的な会社だ。

全ての意思決定は全従業員での多数決で行われる。

それに対して、一人の経営の天才がトップダウンで意思決定を行う、中央集権的な会社も考える。

さて、どちらが収益力があり、つまり会社として競争力が高くなるかと言うと、明らかに後者である。

もし、社会全体の会社組織の構成割合がどちらか片方のタイプに偏った場合、そこには経済的に大きな差異が生じることが理解できるだろう。

これは、会社や企業、経済の話だけではない。

政治や社会全体の問題解決能力についても同様のことが言えるのだ。

3.競争力と適材適所

この社会間の競争力の差異の原因になっているのは、人材の最適化の度合いである。

人間の持つ問題解決能力は必ずしも平等ではない。

組織の意思決定に優れた人間もいれば、それが苦手な人間もいる。

そして、意思決定に優れた人間は、社会的に見ればごく少数なのだ。

そして、そういった人材が社会において適切なポストを占めることによって、社会の競争力は担保される。

4.富と権力の集中が競争力を生む

国際経済の比較において、アメリカは競争力があり、日本は競争力がない。

この競争力の差は社会の構造の違いに起因している。

アメリカは日本と比べて富と権力の一極集中が進んでいる。

逆に言うと、日本は富と権力が分散している、民主化されていると言って良い。

アメリカ社会は、一見して民主選挙によって、国民の自由意志によって国の舵取りがコントロールされているように見えるが、その実、社会の方向性を決めてきたのは一部のエスタブリッシュメントと呼ばれる既得権益層だ。

そして、選挙結果がどちらに転んでも、結果的にその一部の権力者の意向によって方向付けされるような仕組みが出来上がっている。

この、エスタブリッシュメントに対する庶民の反乱がトランプ旋風だったわけだが、仮にトランプが大統領の座に居座り続けたとするなら、アメリカの競争力は確実に低下を余儀なくされただろう。

ここで確かに言えるのは、このアメリカのエスタブリッシュメントは社会の舵取り、意思決定に関して極めて優秀だと言うことだ。

彼らの優秀さを支えているのは、アメリカ社会の構造的な競争率の高さだ。

そして、彼ら一部の勢力に富と権力が集中しているその事実が、アメリカ社会そのものの競争力の源泉になっているのである。

結論として、アメリカという国は、民主主義国家というよりは資本主義国家としての側面が極めて強いと言える。

5.民主主義が日本の競争力低下の原因

対して、日本を見てみよう。

日本はアメリカに比べて比較的富と権力は公平に分配されている。

これは、社会として民主的であり、言い換えれば、既得権益層の裾野が広いということでもある。

この社会構造が日本の人材の最適化を妨げると同時に、その経済効率と競争力を低下させる原因となっている。

そして、その構造を極端に推し進めた概念が、成田悠輔氏の提唱する「22世紀の民主主義」である。

簡単に説明すると、これはビッグデータとAIを活用することで、日本国民の群集心理を政治の意思決定に反映させようという試みである。

つまり、日本国民の行動からより正確な世論を読み取り政策に反映させるということである。

これは一見すると極めて民主的で素晴らしいことのように見えるが、その実、政治のパフォーマンスとして最悪の結果を生む。

なぜなら、大衆は基本的に日本の政治問題を解決に導くような意思決定力、問題解決能力を持ち得ないからだ。

大衆の満足度や幸福度を基準にAIやアルゴリズムにより補正したところで、大衆はそもそも最善の結果を予測することも認識することもできないのであるから、その補正には限度がある。

つまり、大衆の心理、世論の政治への反映率が高くなるほど、社会として問題解決能力、競争力が低下する。

そういう意味において、「22世紀の民主主義」は衆愚政治の極みと言える。

6.民主主義から資本主義へ

現代日本の抱える問題の本質は、その民主性の高さ、既得権益の大きさにある。

これは日本社会の競争力を大きく低下させ、社会としての生産性も低下させている。

これを解決するには、より社会全体での人材の適材適所を図る必要があり、それを考慮した社会構造への転換を図る必要があるだろう。

それは、つまり、民主主義社会から資本主義社会への転換を意味する。

日本は行き過ぎた資本主義によって貧しくなったわけではないのだ。

行き過ぎた民主主義によって貧しくなったのだ。

それは日本とアメリカを比較すれば明らかであり、まず、その認識を改めることが問題解決への第一歩となるだろう。

この記事が、その一助となることを期待する。


追記

お隣の中国について、共同富裕を謳った習近平は指導者として無能だということになる。
そして、先富論を唱えた鄧小平とその後継であった江沢民、胡錦濤は優秀だったということである。

今後、中国の国際競争力の低下は避けられない。

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