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がんばることを、やめられない人へ

10月2日に、もう一冊本を出させてもらうことになった。
もともと編集者さんからいただいていたテーマは「自己受容」である。
さて、むずかしいテーマである。

「ありのままの自分を受容する」

というのは、なんでこんなに難しいのだろうね。

こちらの本です。


「短期間に2冊もなんてすごいですね」などと言っていただけることがあるが、単なるスケジュールミスである。
そんなつもりなんてなかったでござる。

両方の本の締切と、プロジェクトの詰めやらなんやらで、今年の7月は普通にとてもつらかった。
仕事でパツったのは、久しぶりで前職以来かもしれない。
(プライベートでパツることは少なくない)

いろんな人との約束で出来上がった大切な本だとおもっている。
縁あって、志をともにする先輩に監修についてもらい、なんとかカタチになって一安心している。


今回の本の内容は、個人的には先日出たこっちの本と「セット」だとおもっている。


なぜなら、「休む」という行為を難しくしている大きな理由に

「休んでいる自分のことがどうしても許せない」
「誰かの役に立てていない自分を認めることができない」

という信念があるからだ。

休むことの必要性は理屈ではわかっていても、どうしても許すことができない。
休むことや自分の手綱をゆるめることへの「おそれ」といってもいいかもしれない。

それの信念が「トラウマによるものだ」といったら、意外に思われるだろうか。


「ほんとうの私はダメなのだから、人の何倍も努力しないといけない」
「ほんとうの私は、評価されるべき人間ではない」
と、傍目からみると狂気的なほどの努力をしながら、それでも努力が足りないとおもっている。
疲れすぎてパフォーマンスが下がってくると、「周囲に迷惑をかける存在だ」「価値がない」とおもってしまう。

そんな感じで、「他人に求められていること」「誰かの役に立っていること」を自分の価値のよりどころにしている人が少なくない。


そうやって、「求められる人」「役に立つ」人になり、要求に応えていられる間は、自分に価値があると思っていられるけど、それができなくなると、生きる価値がないとおもってしまう。
根本にあるのは自らに対する「無価値感」だ。

こうした強固な信念レベルの自己無価値感は、ほとんどの場合、複雑なトラウマからくるものだ。性格の問題ではない。


「がんばることをやめられない」というのは、「がんばっていない自分を認めることができない」ということである。
調子がいいときは日常を回せていけるが、キャパシティが少なくなった時ほど、自己否定的な自分が出てくる。
自分の中に、他人のように自分を批判する「パート」がある。
ここに、自分の分裂が起こっている。

それがなぜ起こってきたのかを知ることは、とても大事なことだとおもう。
コントロールできないほどの自己否定的な感情には、ちゃんと理由があるんだ。


いきなり「ありのままの自分を受けいれましょう」なんてウルトラG難度の提案ではなく、「自己受容」をいくらか段階的なプロセスに落とし込んだつもりだ。
「自分を知る」ということにおいて、自分の中に「他者」がいるという視点はとても重要だとおもう。


帯の文やサブタイトルは編集者さんと喧々諤々で議論した。
完成に近づくに連れて、多く意見をくれて嬉しかった。
クリエイティブ・コンフリクトがあり、意見をしっかりと戦わせてできた作品という実感がある。

サブタイトルは紆余曲折したけど
「コントロールできない感情とトラウマの関係」になった。

帯の文章は

「たまに自分のことがわからなくなる人へ」
「そのつらさには理由がある」
「自己肯定感という言葉にもやっとくる人へ」

とかが挙がったけど、最終的には

「性格のせいだとおもって、あきらめていませんか」

になった。

シンプルかつ、本の機能と伝えたいことが表現できたかもしれない、とおもう。


さまざまなことが積み重なって、とっても想い入れがある本になった。
「これを書かなきゃいけないな」「この本を世に出さないといけないな」と思わせてくれた人との出会いや、いろんな約束があった。
(約束とはいっても、一方的なもののほうが多いかもしれない)
そして、大切な人たちの尽力があって、ようやく生まれたものだ。


水色の本とセットで、このやさしいグリーンの本も必要な人に手にとってもらえたらとってもうれしいです。
最近、緑色が好きなんだけど、さらに好きになりました。
(淡いグリーンって、風の妖精イメージがあるよね)


では、冒頭の「プロローグ」と「はじめに」をシェアします。
どうぞお読みください。


プロローグ

真面目だね、とよく言われる。
頼まれた仕事は断らないし、全力で応じる。
ありがたいことに、高く評価してもらえることも多い。
でも、「十分自分はがんばった」とか、「このくらいでいいか」とはどうしても思えない。

昔から仲の良い友達にも、仕事の接待のように接してしまうことがあってイヤになる。
自分のことはよくわからないし、自己開示を迫ってくる人は苦手だ。

息をするように相手の期待を察して、最適な言葉を選んで、相手が喜ぶように「寄せて」いる。
そうやって人と人の間で生まれるひずみを、必死に埋め続けている。

それは自分がやらなきゃいけないし、結局やりたいことでもあるのだと思う。

人からはよく「なんでそんなにがんばるの?」と聞かれたりする。
なんでだろう。自分でもよくわからない。
そもそもがんばっている自覚もない。
その問いに答えるとしたら、「それ以外の生き方をしたことがないから」だろうか。

やさしいアドバイスの言葉はたくさん耳にする。
「失敗してもいいよ」とか、「もっとサボったほうがいいよ」とか。
「たまには自分を褒めてあげよう」。
「もっとやりたいことをやりなよ」。

理屈はわかる。
でも、自分にそんな生き方は許されるはずもないとどこかで思ってしまう。
そもそも、「やりたいこと」というか、「自分」というものがないように感じる。

「自分らしく」生きていたり、感情を思いきり発露していたり、ときにワガママを通していたりする人を見ると、心がざわつくけど、どこかうらやましくもある。


最近よく聞くようになった「自己肯定感」という言葉。
たぶん私に関係があるんだろうけど、どこか他人事のように感じる。
その言葉自体が何か迫ってくるような感じがして、あまり好きではない。

自己肯定感が低いからといって、どうしろっていうのか。
そんな簡単じゃないよ。


でも、時々思うことがある。
自分は何をやっているんだろう。
この道のりはどこまで続くんだろうか。
こうやって、「だれかのために」走り続けることで、私の人生は終わっていくのだろうか。
それよりだったらいっそのこと、どこかキリのいいところで
幕を引いてもらっても、かまわないような気もする。
ある種の魚は泳ぎを止めると、
酸素を取り込めずに死んでしまうらしい。
私も同じようなものかもしれない。
動き続ける苦しさはあるけれど、
止まることはもっと苦しい。
もし止まってしまったら、
もっと根本的な何かを、失ってしまう気がする。
それがこわい。

私は一体いつからこんな気持ちを持っているんだろう。
きっと私は、自分が壊れてしまうまで、この道から下りられないだろうな。
いや、壊れてしまっても、下りることなんて許されないかもしれない。

それでも。
もし他に違う生き方が、
もっと苦しくないやり方があるのなら、
だれか私に、そっと教えてくれませんか。


はじめに

この本を手に取っていただき、ありがとうございます。
私は都内で心療内科医をしている、鈴木裕介と申します。

プロローグで紹介したのは、過去に出会ったFさんのお話です。
とても気配りができて、周囲から人柄や仕事やも評価されている方でした。

お話を聞いているとき、僕は「人生の手綱」という言葉を思い浮かべていました。
自分の人生を自分で決めているという感覚。それは、人生のコントロール感と言い換えてもいいかもしれません。

自分の人生で何を大事にするか。
何をやって、何をやらないか。
やるとしたら、いつやるか。どんなスピード感でやっていくか。

それらを自分で決められることは、健やかに生きる上でとても大事なことで
す。しかし残念ながら、さまざまな理由によってそれを困難だと感じている方が多いことも事実です。

がんばりたくないのに、がんばりすぎてしまう。
自分を抑えてまで、周りの期待に応えようとしてしまう。
そんな方に向けて、以前『NOを言える人になる』という本を書きました。

人生の手綱を自分で握ることができる、つまり他人の期待に応えるばかりではなく、自分の望みを自分で満たせるようになると、人生はより豊かなものになります。
だから、自分と他人の境界線を意識して、その境界線を不当に超えようと(ラインオーバー)してくる人とは距離を取りましょう。
そうお伝えしたその本は『我慢して生きるほど人生は長くない』という本にリメイクして、とても多くの方に読んでいただきました。
本の中では、相手からの不当な要求を「お断り」する方法や、自分の希望を伝える力を育てる方法などを心理療法の考え方を交えて紹介しました。

一方、日々診療を続ける中で、ある疑問を感じるようになってきました。
それは、「こうした内容だけでは冒頭のFさんのような方には届かないのではないか」ということです。

彼女のように「がんばることをやめられない」と話す別の方は、ご自身の生き方をこんなふうに表現していました。

「競走馬のように全力疾走するがんばる『わたし』がいて、仕事も生活も全部その子がすごい勢いで引っぱってくれる感じ。
自分が動けるギリギリまでやらないと、その子に許されない気がする。
本当の『私』は、その子の勢いに振り落とされないように、必死でしがみついているんです。苦しいけど、こわくて止まれない。
止まってしまったらもう終わりで、何もかも失ってしまう気がするんです」


彼女の言うがんばる「わたし」には、理性や理屈ではとても抑えつけられないような強大で動物的なパワーがある印象を受けます。
この本はそんな本来の「私」とは異なる「わたし」の存在に困惑し、苦しんでいる方に届けたいと思って書きはじめました。

はじめに申し上げておきたいのは、これからお話しする内容は、「今すぐメンタルを整える方法」や「気軽にできるストレス解消法」などのティップス集ではない、ということです。

この本の役割は「フラグを立てること」だと考えています。
あなたが、自分と仲良くなれない「根本的な理由」は何か。
制御できない「わたし」とは、何者なのか。それを知ってもらうことで、自分との付き合い方を変えるきっかけになるかもしれない。
新しい視野を持つことができるかもしれない。
そういう願いにも似た気持ちで書きました。


とはいえ、そんなシリアスになりすぎる必要はありません。
そこそこマニアックな話もしていますが、なるべく平易な言葉でお伝えできるよう努めたつもりです。
何か役に立ちそうなことはあるかな〜、くらいの気楽な気持ちでページをめくってみてください。



いつも読んでくれてありがとうございます。 文章を読んでもらって、サポートをいただけることは本当に嬉しいです。