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「近所で有名な放置子」だったあの子のお話

今日も今日とてフィクションを混ぜつつ語ります。日によって文体が変わるの自分でも面白いな。

この話にでてきた「お姉ちゃん」の話。

私たちは今日もNPOの運営するカフェ…という名の避難所で楽しくおしゃべりをしていた。

内容はというと、どうやって福祉につながったかとか、どんな種類の暴力を受けてきたとか、ODした時の感想とか。あ、ちなみに私はODしてませんでしたが。あとは、リストカットの話とか。どこの支援団体がどうとか、児相で保護されるとどうなるかとか。

…物騒過ぎないか。これ恋バナと同じノリで話してんの我ながら恐ろしいな。

まあしょうがない、そういう場所だし。それに、それを臆面もなく話せる相手がいるのは、なんか嬉しいのである。

学校でそれを話せる相手はいないわけだしね?

で、話していたうちの1人が、こんなことを言ったのだ。

「私、小さい頃から近所でも有名な放置子だったんだよね」

と。



彼女は、きっと努力家で一生懸命な人だ。少なくとも私にはそう見えた。

そして、「生きていく上で使用する知識」の偏り方が半端ではない人だった。

「若者の支援団体」と一口に言っても、いろいろな団体がある。そして、各団体が支援する対象は大きく違っている。性別、障がいの有無、経済状況etc…。自分が支援対象ではないと判断されると、結構あっさりと突っぱねられてしまう。うーん、辛い。

「宵ちゃんだったらここがいいかもね」

と数々の団体を挙げ、私に提案してくれたのが彼女だった。福祉の勉強も頑張っていた。2人で課題に追われていたのが懐かしい。

だが、時に彼女はこんなことを言う。

「手羽先って、何?」

…え?と変な声を出してしまった。手羽先食べたことないの?と聞くと、

「わからない、多分ないんじゃない?」

と返事が返ってきた。そっか、としか言えなかった。


多分、普段食べる食べ物について教えてもらったことがなかったのだろう。

彼女が自分を「放置子」だと称したのを知っていたから、さほど驚きはしなかったけど。

ほの暗い感情が胸に広がった。




「放置子」という存在が生まれてしまう確率を0にすることは、きっとできないのだろう。悲しいことだけど。

私が何よりも悲しいと感じているのは、彼女が放置子であったことではない。

彼女が「近所で有名な」放置子であったことだ。

有名だったのだろう?
彼女自身が、自分の名がこのような形で知れ渡っていることに気づいてしまうぐらいには。

もう一度言う。
有名だったのだろう?

彼女が被害を受けていたのは少なく見積もっても10年は超えるのだ。

何故、彼女に助けが来なかった?

だって、有名だったのだろう?
近所の人も、学校も、誰かが声を上げられぬ彼女の代わりに声を上げようとは思わなかったのか。それとも、誰かがあげてくれたSOSが、きちんと届かなかったのか。

当事者でもない私が今更文句を言っても何にもならないんだけども。
それは知っているのだけども。

結局、彼女は、自分の力で逃げた。逃げた先できちんと保護してもらえたから、よかったのだ。そうじゃないパターンだって、いくらでもあるのだ。



無関心と無知っていうのが、一番、恐ろしい。
じわじわと人の命を奪ってしまうものだから。




私も、ずるい。私は彼女を助けられるわけじゃないくせに、こうやって彼女の周りの人間に今更勝手に文句を言っている。

それでも、この文章を書くことで、固めたい覚悟があるのだ。

誰かのSOSに気づく観察力と、適切な対応(それは私自身が潰れてしまわないようにすることも含め)ができるようになるための知識と判断力。

それを、身につけたい。第2のあの子を生まぬように。


これを彼女が聞いたら、きっと「まずは宵ちゃんが楽に過ごせる方が大事だよ?」って苦笑されるかも。

それはそうなんだけどね。

でもね。ちょっと、私も頑張りたいんだ。

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