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招待枠2名という仕組みに対する違和感を拭い去れない。

かつて情報というものが占有されている時代があった。
特定の情報を占有している者のみが力をもてた時代があった。
そして情報を占有すること自体が権力になり、その情報というものに多くのものがひれふした。

ヒエラルキーというのは情報を占有できるかどうかという権力構造だった気がする。
いじめや村八分もそうだよね。
コミュニティからの疎外化と、私たちつながってるよねーという仲間意識。
入れるものと入れないものの分別と、疎外と、差別化。

差別の構造もそうだった。
私は入れた、入れないという優越感と疎外感。
永遠に入れないものたち。
士農工商の下を作ってほっと安堵する心。

それを壊したのがインターネットだった。

今まで隠されていた情報が、インターネットによって、一気に誰でもがアクセスできるようになった。
いわゆる、蟹座時代から水瓶座時代への移行。
フラットで網の目状に広がるネットワーク。
三角形のヒエラルキーの構造ではなく。

インターネットが後押しした、この網の目状のネットワークの上では、それぞれの人がそれぞれの場所で主役になり、情報発信の主体になった。

それこそがインターネットやSNSの希望であったはずだが、なんだか招待制2枠と言っている新しい仕組みが、その希望に逆行しているように見えてしかたない。

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