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人生初のいじめ事案への対応で学んだ、学校や加害者およびその保護者との対峙における、被害者側として抑えておくべきポイント


いじめ被害者は茹でガエルの状態

まずこれは被害者のみならず学校関係者や加害者の親にもわかっておいてほしいことなのだけど、友達関係から発生するいじめは本当に発覚しづらい
なぜかというと、被害者本人が「自分はいじめを受けている」ということを受け入れられるのに結構な時間がかかるからだ。

加害者側の親も、ともすれば学校や教育委員会も、被害者側が大袈裟に被害を騒いでいるのだと思いたがる。

被害者側からすれば、お前らに人の血は通っているのか?と言いたいところだが、それぞれの立場になったことを想像すると、ごく当然の心理、防衛反応だろうとも思う。

しかし、被害者は通常、大袈裟になど騒がない
なぜかというと、被害者自身がいじめを受けているということを受け入れるのは、とても難しいことだからだ。
街でばったり出会った不良に脅され金品を奪われたなら、即座に被害を自覚して警察に駆け込むだろう。
でも学校で起きるいじめは、友達関係のゆっくりとした綻びから始まることが多い。

大丈夫、これは友達同士のちょっと乱暴なコミュニケーションだ。
優しく接してくれることもあるから、大丈夫だ。
自分が過敏になってるだけだ。
自分は傷ついてなんかない。

何度も何度も頭をもたげるみじめな気持ちを打ち消して自分を安心させようとするのが被害者の心理だ。

そして、たとえば子供の体に残るアザや傷あと、持ち物への不自然な汚損や心無い落書きなどから「いじめの気配」を感じ取った親とてそれは同じことだ。
自分よりもずっと大切な子供が、いじめに遭っているかもしれないなんて想像だけでも心臓が凍りつくような思いがするものだ。
そんなわけないと思いたい心理がどうしても働く。
恐る恐る本人に確認したら、にこっと笑って、
「ああこれはそういう遊びをしていたんだよ、お互いにやりあったんだよ」
とでも言われたら、なんだ、よかった!と胸を撫で下ろしたくなる。


「おかしいな」は時間をかけて、何度も何度もやってくる。


さすがに子供の話にも不自然さを感じる。
どうしよう。
相手の親に聞いてみる?…いや、まだ事情もわからないのに、ちょっとハードルが高すぎる。
まずはいつも子供の様子を見てくれているクラスの担任に聞いてみよう。
それとなく様子を観察してもらえるよう、お願いしてみよう。

というのが、被害を受けているかもしれない子供を持つ親の、自然で一般的な思考ルートだと思う。
学校に対しても、はじめはソフトに入るだろう。

「どうも最近お友達との関係がおかしい気がするんです。でもうちも同じことを言ったりやったりしてるかもしれないし、単なる乱暴な遊びかもしれない。だから先生、ちょっと気を配って様子を見ていただけると嬉しいです」
なんて、うちの子かわいさのあまり過剰な被害を訴えるモンペ扱いを受けないよう、慎重に、控えめにお願いするだろう。

こういったことを何度か繰り返しながら、やがて被害者自身も、その保護者も、認めたくない被害を確信せざるを得ないところへと辿り着く
良心的な学校が真剣に動き出すのはこのあたりだ。

学校から報告を受けた加害者側の保護者は寝耳に水だ。
かわいい、大切な、愛すべき我が子が、あの子をいじめているだって?
冗談じゃない。そんなはずはない。
え、学校の聞き取りに対して、うちの子が加害を認めただって?
いや、仮にそうだとしても、うちの子が事情もなくそんなことをするわけがない

加害者の保護者はこう考えて、大切な我が子の事情を親身になって聞き取ろうとするだろう。
自分を信じようとする親を前に、加害者の子供はこう言う。

「その前に被害者くんが、こういうことを言ったから…」
「前に被害者くんがこんなことをしてとても嫌だった。だから…」

まともな保護者なら、「だからといってお前のやったことはいじめだ。もっと正々堂々と解決する方法があっただろう」などと諭すだろうか。
立派な親なら、「言い訳をするな」と言うだろうか。
脱線するが、残念ながら、うちのケースではそうではなかった。

被害者側が今まで長い時間をかけて調査した時間、労力の半分すらもかけず、我が子の言い分以外の何の証拠も持たずに、そのまま学校に訴えた。

「これは子供同士のいざこざに過ぎず、子供同士で解決すべきことなのに、被害者の親が大袈裟にいじめだと騒いで、うちの子を加害者に仕立て上げている。被害者の親に言ってくれ、元はと言えば被害者がうちに対してこんなことを言い、やったんだと」


話を戻すが、このようにいじめは発覚するまでにかなりの時間と労力と痛みを必要とする。
友達からいじめられていると認めるのは、被害者やその保護者にとって、とても辛いことだ。
いきなり「大袈裟に騒ぐ」はずもないということを、加害者側は想像できない

被害者側が被害の全容を把握できるまでにも結構な時間がかかる

被害者側が「これはいじめである」という辛い事実を受け入れてからも、被害の全容を把握できるようになるまでには思っているより時間がかかるものであることも知っておいてほしい。

理由は同じ。

子供は今まで一生懸命、「これはいじめじゃない」と思おうとしてきたのだから。
過去に遡り、あれも被害だった、これも被害だったと受け入れられるようになるまでには結構な時間が必要だ。

また、親側も、我が子がつらい思いをしたことをできるだけ直視したくない心理がどうしても働いてしまう。
人間の防衛反応だから、完全にこの心理を消し去ることは結構難しい。

子供から、あんなことをされた、こんなことをされたという話を聞くのは、保護者にとって本当に本当に辛い仕事となる。

子供が打ち明けてくれているのだからしっかりと向き合って聞いてあげないといけないと頭でわかっていても、「もういい十分だ、あとは任せろ」と切り上げてしまいたくなる。

実際に切り上げはせずとも、頭が、それ以上の状況を想像することを(自覚すらできないレベルで)拒絶しているために、しっかり話を聞けないということも正直、多々ある。

子供が今まで言葉ではなく体で訴えかけていたストレス症状を、「今にして思えば…」と思い出したり、いろんな状況証拠をいじめと結びつけて考えられるようになるのも、結構あとになってからだということも覚えておいてほしい。

学校は加害者親と何度も衝突をしたくない

前述した通り、被害状況はあとになってどんどん発覚するものなので、
被害者側がいじめ被害を学校に報告し、学校がそれに対して調査をして状況が明らかになり、加害者への指導と、その保護者への報告を行った…
という段階になって、また新たな被害状況が明らかになる、なんてことはザラにあるのだ。

加害者側の親が非常識な場合、「これはいじめなんかじゃない!むしろ被害者だ!」などとキレ散らかすわけで、学校側もそんな非常識親に対して「鎮まりたまえ!」とばかりに宥めすかし、なんとかうまいこと言ってひと段落つけたわけだ。

そのタイミングで新たな被害を訴えられても、もう無理!蒸し返したくない!あのモンペの相手はもうしたくない!勘弁してくれー!となるわけだ。

いやアホか、それが仕事だろう!と被害者側としては思うけれども、実際、なかなかここからまた学校を動かすのは至難の業。

教育委員会の教育支援課長にもこのように言われた。

「お母さん。起きてしまったことはもう変えられない。だから息子くんのために、この先のことを考えましょう。息子くんのために落ち込んではいられませんよお母さん。前を向いていきましょうよ!」

いや、まだ全容わかってないので、新たに被害が判明したらちゃんとお伝えしたいんですが…

「それはあれですよね、再調査してほしいっていうわけじゃないですよね??子供の記憶は時間が経つほど曖昧になるものですし、時間が経ってから調査は現実的に難しいですよお母さん。相手の親御さんも、あんまり刺激したらまたどんなふうになるかわかりませんし…」

おそるべき及び腰というのが率直な感想だ。

ではどう動くのがスマートだったのか

・加害者に攻撃を仕掛けるのは、被害状況が出揃ってから。

じゃないとあとで本当に悔しい思いをすることになる。
発覚するたび調査して、となると、加害者の親がモンペ気質な場合、その度にとんでもない大騒ぎになる。
また、1つや2つの被害状況だと、相手がモンペじゃなくても、重く受け止めてもらえない場合もある。
すべての被害状況が出揃ってからしか学校に報告できないの?と思われるかもしれないが、そんなことはなく、被害が発覚するたび学校に報告して良いと思う。
ただ、その際は「被害はおそらくまだこれで全部じゃない」ということは被害者側の親としては絶対に心に留めておくべきだし、学校に対してもそう伝えておくだけで、その後の対応が随分違っただろうと思う。


・被害状況の聴取は第三者に行なってもらうのが一番良い

前述の通り、親はどうしても苦しさから無意識に心の耳を閉ざしてしまう。
被害者・加害者に関わらず、冷静な聴取に最も適さないのが親だということはわかっておくべきだった。
いじめだという事実を受け入れたら、迅速にいじめ問題に詳しいカウンセラーや弁護士などと繋がり、子供への被害状況の聞き取りを依頼できるならそれに越したことはない。

経済的に厳しい場合は、学校カウンセラーがいるなら利用しても良いだろうし、学校が信頼できなかったり、学校カウンセラーが常駐していないという場合は、少し距離を置いて冷静に判断できそうな身内(たとえば子供にとっての叔父・叔母など)に依頼できるならそれでもいいかもしれない。

第三者に聞き取りを行なってもらうメリットはもうひとつある。

学校や加害者と対峙する中で、被害者の親は、「我が子が被害妄想的なのではないか?」「私は我が子可愛さのあまり、被害妄想的になっているんじゃないか?」と常に自問することになるからだ。
それはとても嫌な仕事だ。

傷ついた我が子の一番の味方でいてあげたいのに、加害者側からお前の子供は大袈裟だ!お前のほうこそ加害者だ!などと強く詰られる中で、
我が子が大袈裟に言ってるだけかもしれない、とか、うちの子は嘘を言っていないか?などと疑ってかかったり、場合によっては強めに問いたださなければならない場面も出てくる。これはとても傷つき、傷つける作業だ。

第三者による聴取だとそこが安全に行える上に、第三者から「これは重大ないじめである」という認定を得られることは、学校や相手と渡り合う際にとても協力な後ろ盾になる

私は弁護士とつながるのが結構遅く、学校や相手の親と渡り合ってボコボコに精神を凹まされてたあとになってようやく弁護士事務所2箇所に相談に行ったのだけど、2箇所ともから、
「これ決して軽いいじめなんかじゃないです」
と言われた。
「や、やっぱりそうなんだ…私、大袈裟なんかじゃなかったんだ…」と涙が出る程度には、メンタルが弱りきっていた。
もっと早く第三者にはっきり認定をいただいていたら、学校や加害者親と、もっと堂々と戦えたのにと本当に悔やんでいる。


生活の中で子供がぽろぽろと被害を打ち明けてくることもあるので、その際は、よしわかった!また詳しく聞いて記録をとってもらおうか、と告げ、また第三者による聴取の機会を作ってあげるのが良いと思う。


また次回の記事に続く予定です。



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