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[未亡人の十年]_006 葬儀所にいる<夫>に会いにゆく夕暮れに考えたこと。

ごきげんよう、ある未亡人です。
6話目をお届けします。

今回のわたくしは、葬儀所にいるはずの<夫>に会いにゆきます。

それでははじめます。

臨場感を大切にお届けしたいので、当時の記録からそのまま引用します。

<<ここまでのあらすじ>>

ある冬の日の朝。
突然、夫が逝去したというメールがわたしのホームページ宛てに届いた。

亡くなったのは昨日だという。
仕事場で徹夜の原稿書きをつづけていたわたしは、
驚きすぎてアタマがフリーズしてしまった。

同僚からの連絡で、夫はお風呂場で倒れているところを発見されたと知る。
どうしてわたしに連絡が来なかったのか、事情がまったくわからない。
どうやら愛人が最初に夫の死に気づいたようだ。
連絡を飛ばされたのはこのせいなのだろうか。

戸惑うなか、義妹と連絡がつき、夫の遺体が行政解剖されることを知る。
「来なくていい」と拒絶されたが、必死に頼み込んで葬儀所で落ち合うことに。
わたしはそこで<夫>に会えることになった。

不安がどっと押し寄せた。
報せが来なかったことで、わたしは皆から一日遅れをとっている。
さらに、訃報のショックで、気持ちが麻痺し、まるで追いつかない。

親友に連絡すると、まず、即死かどうかをきかれた。
「即死ではなかった場合、あなたは一生責められるでしょうね」
率直なことばだが、それはおそろしい予言のようだった。


<夫>のいる場所へ向かう

仕事場近くのカフェに、友人たちが駆けつけてくれたおかげで、わたしはすこしばかり人としての心地を取り戻すことができた。

わたし自身がまだ事情を把握していないため、友人たちの問いに答えることが出来なくて、情けなかった。

話の途中で何度も涙が出たり、
かとおもえばきゅうに落ち着いて現実的なことを話しだしたり。
はげしい感情の波が予測できないかたちでやってくる。

なぜだろう。
「遺体に会いたい」という切実さが、まるで湧き上がってこないのだ。
「すぐにでも<夫>のもとへ駆けつけたい」という気持ちにはならなかった。

既に、一日以上も前に亡くなっているという現実をどう扱っていいのか。
怖かった。

夫が前日に亡くなっていて、解剖される時点になってからわたしに連絡がきたという状況は、たしかにいきなりの衝撃ではあった。が、この現実味をうしなっているかんじは衝撃だけでは説明が出来ないタイプのものだった。

🦋

葬儀所へはC子が付き添ってくれることになった。
彼女はタクシーを手配し、ATMで現金をおろし、駅では券売機で切符を買うことまでしてくれて、テキパキと、きめこまやかな気遣いで寄り添ってくれた。

そうして、葬儀所へと向かうために平日の夕方の下り電車に乗り、C子とふたり並んで揺られた。

ふたりともにうつむいてしまい、目線を合わせることもなく、ぽつぽつととりとめのない話しをしたのを覚えている。

彼女はわたしの出版社時代の同期だった。

2週間、同じ書店に配属されて、販売実習を受けた。会社が発行している雑誌のロゴ入りエプロンを着けて、書店のカウンターに並んで立っていた。若かった。短大卒の彼女はそのときまだ20歳だった。

はじめに配属された部署も隣り合わせだった。わたしが会社を辞めたあと、なぜか小説を書くことをすすめつづけてくれたのは彼女だった。

「書店実習のときも一緒だったけど、まさかこんなときまで一緒にいるなんてね……」
しんみりとC子が言った。
「ほんとだね。ありがとう……」
ほんとに、まさかだよね。
全部夢だったらいいのに。そして、なんでわたしなんだろう。そうおもった。

「あのね……もしご両親になにか言われたら、わたしがおふたりの関係性をちゃんと説明しようと思って、差し出がましいかもしれないけど付いてきたの」
C子は言った。
「ふたりは夫婦だっただけじゃなく作家と編集者の関係でもあったわけだから。それって世間の常識やご両親の理解を超えているんじゃないかっておもう。仕事場が自宅とは別のところにあることとか……」
「ありがとう……」
たどり着く前から疲弊しており、ありきたりの感謝しか、出てこない。
C子がいてくれてほんとうに心強い。「夫婦の関係性について説明する」なんて、そのときのわたしにはとうてい思い至らないような項目だった。

「わたし、ほんとうにおふたりのこと、いい関係だと思って見てたから。なにか言われたら、いま言った通りに伝えるからね!」
C子は励ますように力強く言った。

・・・いい関係なんかじゃないんだよ、実際は。
こころのなかでつぶやく。

わたしたちは彼女に話していない問題を抱えていた。
夫の「病気」のことや、わたしが仕事場を外に持つまでにいたる夫婦の黒歴史。
夫婦のことは夫婦にしかわからないとおもっていたから、
わたしは家庭でおきたことを一切、誰にも話したことがなかった。

C子に「いい関係」などと素敵な捉えかたをしてもらっていることに違和感があったけれど、せっかく同行してもらっているし、彼女の意気込みをくじくのもなんだし、いまは告白しないことにした。

そのとき、ふと、おもった。これからもし夫への批判を口にすれば、もれなく<死んだ人の悪口>になってしまうのだろうか……。

涙がまたどっとあふれてきた。ほとんど発作的に涙が出てきてしまう。C子との会話も自然と涙を拭きながら途切れ途切れになったが、わたしはこの時点でようやく「泣く自分」に慣れてきていた。

泣くと体力が奪われる。
力なく目をやった先の窓の向こう側に、すっかり暗くなった空がある。
季節は冬なのに、寒さをまったくかんじない。
すべての感覚がにぶくなり、絶縁体のなかに閉じ込められているようだった。
そのとき自分がどんなコートを羽織っていたか、まるでおもいだせない。

なぜか唐突に、韓流ドラマの『冬のソナタ』のエピソードがこころをよぎった。
「冬ソナのチェ・ジウはすごいな……」
話すでもなく、わたしはつぶやいていた。
「愛する人の遺体も確認しないで、よく彼の死を受け入れられたよね……」

ヒロインのユジン(チェ・ジウ)は、高校生のとき、ボーイフレンドだったチュンサン(ペ・ヨンジュン)の死を突然知らされる。
が、そのときの彼女には、彼の遺体と対面する機会が与えられなかった。

ヒロインは仲よしグループの数人と集まって、亡くなった彼の名を叫び、花束を捧げながら追悼するという、自分たちなりの別れというか、「弔い」のようなものをおこなったのだ。

フィクション世界で起きたエピソードとはいえ、そのときのわたしはヒロインに深く同情した。

チェ・ジウに同情。こんなときに冬ソナとは。
葬儀所へと向かいながら、わたしはまだ夫の死因すら把握していない。

電車は東京を離れ、速度を増していく。
移動する振動に、夫との思い出が刺激された。
この路線に乗り、何度もいっしょに彼の実家に行った。

せつなかった。
まだ、具体的に<かなしい>とわかるような心持ちではなかった。

きゅうに、ご両親の疲労が心配になってきた。
義父母は70歳を過ぎているご高齢である。
おふたりともに生まれつき身体がかなり弱い。
新幹線で2時間の、わたしの実家に挨拶にも来れなかったほど、身体が弱い。

わたしよりも一日早く彼の死を知ったぶん、お疲れも溜まっているだろう。
過剰に溺愛し、老後の頼りにとばかりおもっていた息子を喪い、どんなにかショックを受けておられるだろう。

来なくていいと言われたけれど、実際、わたしを抜きにして、夫の身の回りのことなど、果たして彼らが知り得るだろうか。

連絡をすべき夫の友人たちにも、まだ連絡はしていないだろうとおもわれた。
ぽつぽつと現実的なことが胸をよぎっては、不安がつのっていく。

その電車に乗っている30分だけが、不安のパレードをゆるされた時間だった。
やがて電車が到着し、ホームに降り立つと、わたしはひどく弱気になった。



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