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ひとり会議

今後noteの記事をどうしていくか、コーカイ日記が100を超えたので少し考えようと思う。と初めは思っていたのだが、体調を崩したことをきっかけに自分の人生全体を考えようと思い直す。

まず、ひとりで生きていくのは難しい。病気になると毎回思うのだが、気が弱くなるし誰かに頼りたくなる。側に誰かいてくれるだけで頼もしい。だけど今後今の家族はなくなるので、僕は別の家族もしくはそれに類似の共同体を形成しないといけない。そうしたものを作らずひとりで生きるのならセルフマネージメント、リスクマネージメント能力を鍛えないとすぐに潰れてしまうだろう。だけどそれも限界がある気がする。ひとりで生きている先輩たちはどうしているのだろう。また僕は人に頼ることが悪いこととは思わない。他者に依存しないのではなく、他者に正しく依存できるようになることが自立なのだと、どこがで読んだ気がする。信田さよこさんあたりが言っていそうだけど出典は定かではない。聞き流してくれ。

noteの件に戻れば、コーカイ日記は日付を跨いだりしつつも続けられている。これはこのままいこう。一方、航海日誌は読書記録兼勉強記録として始めたものの14で頓挫している。実際そんなに読んでも学んでもいないのでしかたないのだが、思惑としては記録して公開すればモチベーションになって勉強するのではないかと思ったのだがそんなことはなかった。ぼくはどこまでいってもぼくだ。頓挫したものは消さずに残しておく。いつか復活するかもしれないし、頓挫したことそのものが記録だから。続かない読書記録より実際にやっているゲームやその配信の記録をしていく方がいいかも知れない。実際結構やってるんだし、活動を振り返るには良いのではないか。詩と俳句はどうしようかな。俳句は俳句未満という題でアイディアの書付なんかを上げるのもいいかと思っているが、どうだろ。詩は少し読んで勉強してから書きたいという気持ちがある。ノリで適当に書いているだけだと結局どれも似たり寄ったりになって面白くない。感情任せの勢の詩も良いけど、もっと理論的に構築するすることも考えたいと思う。どうだろう、そんな感じで手を打とうか。

いつもカッコつけようとして失敗するからもう気取らずに、全部、ダメなとこも、曝け出しちゃえばいい。ぼくが一回きりの人生をいかに無駄に過ごしているか可視化することは今後の人生をより無駄に過ごすために有意義ではないか。

文フリの原稿書くために埋まったノートPCを掘り起こすか迷いながら。了。

イトマキエイ千広

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