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【場面緘黙症】病院で診断される(小学校入学直後)

ピカピカの1年生への付き添い

ピカピカのランドセルを背負い、新品の文房具を持って、これから始まる新しい日々にわくわく…はしていませんでした。
そもそも、ランドセルも背負わなかったのです。片手でランドセルの持ち手をつかみ、ピカピカのランドセルをアスファルトにズリズリと擦り付けながら前に進むスタイルでした。仕方なく親が代わりにランドセルを持ちました。

教室に入らない

校門まで付き添い、「ではいってらっしゃい」と言ってみました。しかし本人は離れません。仕方なく靴箱まで行き、「さあ行っておいで」と背中を押します。
それでも行きません。
しばらくの間、本人が前に一歩踏み出すのを待ちましたが、一向に一歩を踏み出しませんでした。
本人には、靴箱の向こうが地獄の入り口にでも見えるのではないでしょうか。これでもかというほどに、怯えて 親の服を掴んで離さないのです。

息子は行こうとしているけど、行けないようでした。足がすくんで前に進めないといった様子です。
ただ、小学校の教室に入るだけのこと。健常の人間には全く取るに足らないことが、息子にとってはまるで「崖っぷちに立ってこれからバンジージャンプを飛ぶ」程の緊張感であるようでした。

放課後まで付き添い

教室の前まで結局付いて行き、ようやく入室。やっと帰れると私は手を振るが、帰ることは許されません。
帰ろうとすると一緒に帰ろうとするし、親が帰ろうとしないか常に教室の中から私が廊下にいることをチラチラ確認をしていました。

勿論何度か帰ろうとしました。丁寧に説明し、なるべく安心させつつそっと離れたり、「もう仕事あるから」と強引に帰ろうとしたりもしました。
その度に息子は、親が帰ろうとしていることを察し、廊下で暴れてモノを投げ泣き叫びました。

そうなると、それを鎮めなければならなくなります。結果的に親は帰ることを諦め、廊下で見守るしかありませんでした。
授業が終わるまで、廊下で、ずっと待っていなくてはならない。そんな日々が入学直後から3週間は続きました。

私はフルタイムで働いており、放課後まで何もせず待つわけにもいかないことから、パソコンを持ち込み廊下で仕事をしていました。リモートワークが可能な仕事且つ時代でなければ、退職するしかなかったと思います。この点は、時代に助けられました。

病院(児童精神科)へ行き、診断される

小学校への適応が著しくうまくいかなかったことをきっかけに、ついに病院へ行くこととしました。
3歳の頃に場面緘黙症の可能性を指摘され早3年が経っていました。

病院に行き、精神科医の先生と、臨床心理士さんに経緯や普段の行動を話しました。息子は勿論、先生とも心理士さんとも一言も話しません。

情報が少ない中ではありましたが、一連の話を私や心理士さんから聞いた先生は「場面緘黙症で間違いないでしょう」と仰いました。
一方で、息子が心理士さんと全く対話ができないため、詳細の検査はできませんでした。

一先ず、「場面緘黙症」という名称で診断をしていただけたことは、親である私にとっては安心材料でした。
この診断をもって、学校の先生とも対策を話し合うことができるし、「ただの甘やかし」と誹りを受けることは一定防げると思ったからです。

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