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<マティス展>東京都美術館:これでよいのか?人生最高傑作のヴァンス礼拝堂;デッサンの日本化、一発描きと抽象化への道(その1)

 今回、東京都美術館で開催されている「マティス展」を訪問しました。その結果、予想外の心の変化が待っていました。以下、展覧会での心の変化に従って書いてみます。


訪問前のマティスに対する思いと訪問の当初の狙い

 訪問前に私が考えた目的は単純です。ごく最近、私はヴラマンクに一喝された佐伯祐三の展覧会の記事を投稿しました。その中で、フォービズムの画家達が油彩で描く黒くて幅広の輪郭線佐伯祐三が油彩で描く輪郭線とは性質が違うことを紹介しました(下記)。

 その際、フォービズムの画家達、具体的にはヴラマンクマティス、ルオーの輪郭線の描写を網羅的に調べたのですが、マティスだけが、ヴラマンクルオーから受ける印象と違っているので、印刷物ではなく実物を見て確かめなくてはと思ったのです。図1に佐伯祐三展の記事に載せた比較例を示します。

図1 佐伯祐三展の記事で示したフォービズムの輪郭線

 結論を言えば、当初の目的を達したのですが、実は予想外の展開が待っていました。最初に今回の訪問で新たに気づいたいくつかの事実を述べ、最後の章で予想外の展開について詳しく紹介することにします。

私の展覧会の巡り方

 さて、実際に見た感想を述べる前に、私の展覧会場の巡り方をお話しします。人によって巡り方は様々だと思いますが、私は次のような巡り方をしています。

1.日本の企画特別展はいつも人で溢れています。特に入り口付近は説明文を読む人で滞っていますので、その場をすり抜けて次の作品から人だかりの背後から絵を覗いていきます。
2.しばらくすると人の層が薄くなってきますので、間隔があいた時に素早く後ろから潜り込んでその絵の前に立ちます。
3.展示しているすべての絵を近くで見ることをせず、問題意識を持った絵だけを近寄って見ます。もちろん、遠くからでも新たな発見や問題意識を持つ絵画を発見するので、その絵を覚えておきます。
4.そのようにして最後の部屋まで来ます。まず短時間で展覧会の全体像を把握するのです。その全体像を頭に入れ、今度は逆回りで、第1回目に近くで見ることが出来なかった絵や新たに問題意識を持った絵を時間をかけて見直します。
5.そのようにして、2回目で不十分なら、3回目と、それを繰り返すことで、新たな自分の感想が湧いてきたり、内容が深まったりと、結果的には時間についても、内容についてもストレスなく鑑賞することが出来ます。

第1回、第2回の巡回で分かった数々の意外な事実とは?

 マティス展でも上に述べた巡り方をしたのですが、第1回目、2回目の後、いくつもの私にとって予想外の事実を知ることになりました。

 まず、これまで私の頭の中にあったマティスの絵は、今回の展覧会で展示された絵で示すと次のようなものです。

図2 左から、《赤の大きな室内》、《黄色と青の室内》、《マグノリアのある静物》
出典:全て著者撮影

 すなわち、細目の黒の輪郭線で描かれた、形態の単純化が進んだ具象画で、マティス独特のカラフルな色遣いの絵です。

 このような絵を念頭に第一巡を見終わって、私は大変な思い違いをしていたことに気づきます。以下新たに知った事実を記します。

新たに知った意外な事実とは:

その1.実は絵は暗い(フォービズム時代)

 フォーヴィズム時代(1905年~)の絵は、思い込んでいたマティスの印象とは真逆だった。明るい色がある割には全体として暗い図3.参照)。
 理由は、太い黒の輪郭線黒ベタ塗りが必ずかなりの割合存在するためだ。それは、ヴラマンクや他のフォービズムの画家と同じであり、マティスフォーヴィズム共通の描き方をしており、確かにフォービズムの画家であることを改めて認識した。

図3 左から、《金魚鉢のある室内》、《コリウールのフランス窓》
出典:東京都美術館マティス展HP:https://matisse2023.exhibit.jp/highlight/

 今回展示されていない他のフォービズム時代の絵も比べないと断定はできませんが、おそらく太い輪郭線黒ベタ塗りはあるでしょうから、それほどこの結論は変わらないと思います。

その2.輪郭線と黒ベタ塗りへの執着がすごい

 その後、輪郭線細くなる、あるいは輪郭線描かない場合も出てくるなど画風が変わっていく。輪郭線無い場合も出てくるが、絵の一部に輪郭線は残る。最後にはまたしっかりとした輪郭線が復活する。
 また特筆すべきは黒ベタ塗りである。それは油彩はもちろん、切り絵ではさらに顕著になり、晩年まで続く
 このへの<こだわり>はかなり強く、マティスの特徴とされるカラフルな他の色は筆跡が丸見え塗り方なのに、は必ず漆黒に塗っており、その塗り方の違いからもこだわりが伺える(図3.図4.図5.)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              

 これまで印刷の絵では華やかな色彩に騙されて、黒以外の色は均一に塗られていると思い込んでいましたが、実物は筆跡だらけの一見すると雑な塗り方に感じます。ただそれは決して悪いことではなく、筆の動きからむしろマティスの色塗りの心の動きが伝わってきます。

図4 切り絵
出典:全て筆者撮影
図5 切り絵と上祭服(案)
上:《イカロス》:切り絵
下の左:上祭服(正面)案 切り絵
下の右:上祭服(背面)案 切り絵
出典:チラシおよび東京都美術館マティス展HP:https://matisse2023.exhibit.jp/highlight/

その3.なんと「墨」でドローイングしていた!

●油彩における黒い輪郭線は、当然だが水墨のようには行かず、のびのびとした線はほとんどない。しかし、同時代の他の西欧の画家達と違い、のびやかな線を引こうとした努力が見える。事実、作品《後ろ姿の裸婦》の大きな裸婦の線描では「」を使っているなど、墨以外にも線描用の各種画材を検討しており、のびのびとした線を描くことに成功している。このことからマティスが東洋の画家と同様に筆で一気に線を引こうとしていたことが分かった。

 ちなみに下に示す表1に、今回展示された作品の中で、を使った作品リストを示します。その数は7点にも及びます。
 また図6の左の作品、《オレンジのあるヌード》では切り絵ドローイングを組み合わせた面白い作品ですが、高さが1m55cmもあるのです。ですから、その人物のドローイングは巨大で、線のストロークについつい見入ってしまいます。

表1 墨を用いた線描の展示作品リスト
図6 《オレンジのあるヌード》と、ヴァンス礼拝堂ファサード円形装飾《聖母子》(デッサン)
出典:公式インスタグラム https://www.instagram.com/p/CrDsTbQv7CR/
東京都美術館マティス展HP:https://matisse2023.exhibit.jp/highlight/

その4.デッサンの展示はうれしい誤算、そしてその変化に注目。ジャポニスムがついに無意識化したのでは

●予想外に多数のデッサンが展示されていた。マティスといえばカラフル油彩ばかりが強調されるが、西洋の画家にとってデッサンは基礎中の基礎、マティスの初期から後年のデッサンの変化を見ることが出来たのは大きな成果だった。「線スケッチ」を描いている私にとってうれしい誤算である。
 そして、初期写実的陰影を描いた素描から、晩年の、簡素化された素描への変化を見るうちにあることが気になった。
 「印象派以降、マティスだけでなく西欧の画家の素描が、修業時代は陰影を描く写実的な素描から始まるが、その後は単純化し、デフォルメすることになぜなるのか?」

 初期のデッサンは撮影できなかったので、変化後のデッサンを図7に示します。

図7 マティスのデッサン
出典:全て著者撮影
図8 マティスのデッサン
出典:全ての著者撮影
図9 マティスのデッサン
出典:全て著者撮影

 初期は写実的陰影を付けた古典的な素描ですが、最終的には、図9で示す単純化した線の、形がデフォルメされた素描に変化します。
 研究熱心マティスらしく、一旦単純化した素描を、図7図8に示すように、さらに陰影を付ける試みを行っています。

 私が注目したいのは、図9の素描が、即興的に、迷いなく一気に描かれている、まさに一筆描きのような線描であることです。
 これは同時代のピカソ素描共通する描き方です。(本来ならば、この場所でピカソの素描を示したいのですが、フリー画像が得られません。X(旧ツイッター)に、素描画像を見つけましたが、場所を大きくとるので、本記事の末尾に年代順に示します。余裕があればお確かめください。)

 さて、西洋画家素描の変化については、すでにnoteの記事でゴッホ素描を紹介しました。

 その記事の中で、ゴッホ油彩と素描との関係について私の考えを述べたのですが、さらに素描の線描変化とジャポニスムとの関係についても話題にとりあげました。ゴッホ日本の画家の線の一気にのびのびとした線を引く描き方を目指しながら、結局はできなかったというゴッホ自身の言葉についても紹介しています。

 それ以来、西洋画家の美術展や書籍では必ず素描版画を含む)に目を通すことにしています。その結果をnote記事で紹介してきましたが、以下に画家別にまとめます(元の記事を読みたい方は、(元記事)にリンクを貼りますので元記事に飛んでいただきたく)。

(1)ゴッホ:
●ゴッホは日本の絵画を目指した。素描は葦ペンによるペン画に変化し日本の素描様式になった。すなわち「必要最小限の線で形を描く、陰影を描かない、葦ペンで線に速度感や表情を出す、余白が増えて画面が明るい」。しかし晩年、油彩の筆のストロークを表すためか、樹木や畑、草原の描き込みが強くなり、線だらけの複雑な画面になる。(元記事1)(元記事2)
(2)ヴァロットン:
ジャポニスムや他の作家の影響はあるがモチーフは独自で、線描の活かし方は独創的である。木版画を始めて東洋の線に近づき、単純化引き算していく過程で黒の面を活かした。元記事1)(元記事2)(元記事3)(元記事4
(3)エゴン・シーレ:
生き生きとした線で定評の裸体画だけでなく、鉛筆による風景画は迷いのない動きで線が引かれリズムがある。まるで日本絵画の「余白」をとるような空間を空けている。元記事
(4)アンディー・ウォーホル
●現代アートの先端作家にも関わらず、制作にはデッサンを基本に置いている。素描は意外にも障壁画の金地への線描、北斎の波の模写、生け花を描いた一連のペン画など日本の影響を受けている。元記事

 今回、マティス素描を見、またその線描の変化を見ましたが、その変化は「陰影無し、即興性、一気に描く、デフォルメ、抽象化・・」と日本の絵画、特に水墨表現の特徴そのものです。
 そして現代絵画の抽象表現につながるマティスピカソの素描のデフォルメぶりは、日本人にとっては白隠仙厓禅画池大雅与謝蕪村文人画のようで馴染み深いものに映ります。

 西洋絵画に影響を及ぼしたジャポニスムは、一般に油彩を中心に語られることが多いのですが、私は「線スケッチ」の立場上、素描に焦点を当てて見てきました。上でまとめまた画家達の素描の変化をあわせて見ると、印象派以後たかだか数十年の間にマティスピカソ線の単純化形態のデフォルメに達し、その後の現代絵画への道につながることを思うと、改めてそのきっかけを作った日本絵画の影響に感慨が湧きます。

 おそらく、日本の絵画を直に見て影響を受けたのは印象派後期印象派の画家まででしょう。
 その後は、専門家あるいは評論家など、外からみれば日本絵画の影響を指摘することはできても、画家自身は意識していなかったと思います。マティスが分類されるフォーヴィズムについてもそれが云えます。

 実際、美術史的にはジャポニスムに対する西欧の関心は1920年代終焉したとされています。
 ただ私は思うにそれは表面的なもので、日本絵画の特徴はすでに十分咀嚼されて、画家達にとってはもはや当たり前の時代に入ったのではないでしょうか。

 それよりも今回の美術展を見て、その後の西欧絵画のさらなる大変化を起こしたマティスピカソの絵画、そのもととなる素描がどれだけ当時の社会に受け入れられたのか、そこに関心を持つようになりました。マティスが自らが最高傑作とする「ヴァンス礼拝堂」の作品群の章でその点を考えてみたいと思います。

その5.馬鹿にしていた切り絵。実はすごかったその発想、鋏による切断面は線描そのもの

 さてマティス切り絵ですが、すでに節その2で黒ベタ塗りに関して切り絵を紹介しました。

 そこで紹介した作品とは別に、マティスの切り絵の記念碑的作品Jazz」も展示されていたのです。

 実は、正直に言えば、油彩や素描に比べて切り絵の作品は期待していませんでした。なぜなら、筆のストロークが見えるわけでもなく、彩色の質感があるわけでもないので、いわばグラフィック的な作品と思っていたのです。

 ところが、マティス一連の素描を見て、また切り絵の展示室に入る前に、大きな鋏を持つ椅子に座ったマチスと、切りとった残りの紙床一面に散乱する、天井の高さまである大きな写真を見て、私は瞬時に悟りました。

 あっ。 切り絵の切断面は、線描なのだ。マティスは鋏を筆のかわりにして素描を描くように切断している!

 このように考えると、特に大型の切り絵の作品がまったく印象が違って見えてきました。切断面だけを意識してみると、その即興性自由に切り取られた曲線が、水墨画から受ける印象と重なるのです。だからこそ、色彩が生きてくるのだと。すなわち、切断面あっての色彩だと。

 この見方は、切り絵の作品に対し色彩を重視する一般の見方とは異なる気がします。しかし、線スケッチの立場からはそう思うのです。線の魅力あっての色彩だと。

 まさに直感でそう思ったのですが、私としてはそれが必然だと思われました。
 ですから、なんとかそれを裏付けるものを見たいと調べたところ、マティス自身が自分の言葉で次のように言っているとの記事を見つけました。

「切り紙絵では色彩の中でデッサンすることができる

【徹底解説】アンリ・マティスの人生と作品に迫る
https://euphoric-arts.com/art-2/henri-emile-benoit-matisse/

 もし、これが本当ならば、私が直感したことは正しかったといえるとでしょう。

 しかし私の直感を裏付けるには、もう一つ大事なことがあります。それは、マティス下書きなしに、しかも即興的に鋏を動かしているかどうかです。そうでなければ切断面素描の線描と同じとは言えないからです。

 実は、昨日までまったく手がかりを得ることが出来ませんでした。ところがなんと!突然何の前触れもなく、you tubeお勧めに、内容がそのものずばりの英国BBCのドキュメンタリー番組が現れたのです(下に示します)。

 残念ながら日本語の字幕はありませんが(英語はあり)、映像だけでも十分楽しめます。
 私にとって重要なことに、生前マティス下書きの線がない巨大な紙を、鋏をすばやく動かして切断している姿の動画がふんだんに示されていたので、完全に裏付けをとることが出来ました(ノイズを消したクリアな映像に修正されていたのもうれしい)。

 なお、この動画では、撮影禁止で通常見ることが出来ないヴァンス礼拝堂内部も写されています。記事その2で改めて紹介いたします。

記事 その2に続きます。(内容は以下を予定しています)

2巡目の最後に最大の予想外の事実が待っていた!
●マティス自身が人生最高傑作というヴァンス礼拝堂、本当に最高傑作か?

(参考)ピカソの素描の年代順による変化

1)1896年

2)1904年

1920年

1923年

1944-1953年


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