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何のために卓上調味料がある、という話。

「甘ぇだのしょっぺぇだの、いちいち聞いてられるかっての!てめぇで何とかしろ、何のために卓上調味料があると思ってんだ!」
 
酔っぱらった父がそう管を巻いていたのは、私が高校生の頃だ。

父は調理師だった。企業に所属していたが、今にして思えば客先常駐のような形だったのだと思う。勤務先は数年おきに代わり、当時はある企業の社員食堂だった。
元々小さなレストランで毎日ステーキやハンバーグを焼いていた父にとって、「企業の福利厚生を目的とした食堂で、栄養士さんの指示を受けて作る、数百人のための料理」は、理想の料理とは程遠かったのだろう。「いくら健康に良くったってよ、あんな原価でナントカのレモン煮だのばっかり、どう作ったって旨くなるわけあんめが!」などと、栄養士さんの指示するメニューへの文句を毎日のように言っていた。

しかし文句を言いながらも、父は多分、一生懸命だった。数年をかけて徐々に文句が和らいでいき、やがて『俺が担当するようになってから食堂の売り上げが上がった』と父が誇らしげに話すようになった頃、再び勤務先が変わり、また新しい職場と栄養士さんへの文句が始まる。そんな日々を、父はずっと繰り返していた。
 
「何のために卓上調味料がある」は、父がサラリーマン調理師となって10年ほどたった頃、3度目あたりの『栄養士さんと仲良くなってきた』フェーズで飛び出した言葉だ。きっと、栄養士さんの指示通りの味付けにしたのに、食堂の利用者に文句を言われたとか、そういう経緯があったのだろう。
調理師としてその発言はどうなのか、と思わないこともない。だが、その一言には父のこれまでの苦労と、調理師としての諦め――悟りのようなものと、それでも仕事を全うしようとする、企業人としてのひたむきさが詰まっているような気がした。
 
「食う奴が食いたいようにして食うのが一番良いんだ。『誰にでも一番旨い料理』なんてもんはねぇんだから」
 
父はよくそんなことも言って、レトルトのカレーにも、スーパーの総菜のポテトサラダにも、とんかつソースをドバドバかけて食べていた。流石にそれは健康に良くないんじゃないかな、と思ったが、「『誰にでも一番旨い料理』なんてもんはねぇ」という父の言葉には、どこか誠実な重みがあった。
 
その父が亡くなって、4年。
料理があまり得意でない私が台所で味付けに迷う時、酔っぱらった父の声を思い出すと、ささやかな勇気が湧いてくる。
 
――うん、良いや。お父さんもああ言ってたもんね。
 
今一つ自信のない料理も、色んな調味料と一緒にテーブルに並べてしまえばいい。
どうせ『誰にでも一番旨い料理なんてもんはねぇ』し、『何のために卓上調味料があると思ってんだ』なのだ。プロが言っていたのだから、間違いない。
 
足りない自信の分だけ調味料やタレを並べて、私は今日も「ご飯できたよー!」と叫んでいる。


某所への応募用に書いて、見事に落ちたものですが、1200字に収めるのにめちゃめちゃ苦労したので供養がてらに。
短く書くって難しい……!!

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