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食べ道楽 | やせる味覚の作り方

私が太ろうが痩せようが本当にどうでもいいことだとは思うけど、それにしたって深刻なレベルで太ってきて困っている。意志の力では抗えないほどの強い呪いのようなものが掛かっていて、私の体の外周を外へ外へと引っ張ってくるのだ。げに恐ろしき運命(さだめ)かな……!

"本当のデブ"の領域に片足を突っ込んで気がついたことが様々ある。例えば、肉の肥大化によって身体の思わぬ部分に谷が生まれ、ちょっと痛かったりするのだ。具体的には腹と胸の間とか、腹と脚の間、つまり鼠径部とか、そういう部分である。二つの肉の山が折り重なり、その間に生まれた肉の谷が波打ち始めるのだ。

まさか自分の人生においてゼロから谷を生むとは思ってもみなかった。インド人はゼロを発見したが、私も人体に谷を発見した。ナウシカも呆れる肉の谷だ。その谷にはお風呂上がりの度に汗が溜まる。ナウシカは波打ち際に住んでいて、度重なる浸水に迷惑している。なんでだろう。こんなはずじゃなかった。波打ち際ってもっとロマンティックなものじゃなかったのか?

私の身体は肉質が硬く、肉の捻じれが発生しやすい。体育座りをするとお腹の存在感が凄くてなかなかのストレスだし、単純に邪魔で鬱陶しい。ポコっと外せればいいのにそれもできない。触り心地も、ぽよぽよして気持ちいい♡ なんてこともなく、ただただ硬い肉の尾根。マウントレーニア、マッターホルン、まっこと憎き肉の尾根。そうそうたる山々と並べてみたけど全然良くない。百害あって一利なし!

そもそも私が太りだしたのは病気のせいである。が、そんなことを言い出すとどうでもよさが売りのエッセイが一気に深刻味を帯びるので、ここでは脇に置いておこう。もとい、脇腹の方に置いておこう。

病気だかなんだか知らないが、そんなこと言ったってこのまま右肩上がりの成長曲線を描いていたのでは本当にまずい。近頃は寝ても覚めても肉のことを考えてしまう。思考が肉のうねりに飲み込まれていく。私が私でなくなってしまう。

抗えない食欲のバグ、失われた満腹中枢、水のがぶ飲みだけモデル並み、むくみ倒した顔まわり、運動なんてもってのほか……。こんなライフスタイルでも痩せる術はないものだろうか。そんな時、本棚から一冊の本を発見した。『やせる味覚の作り方』だ。

この本では「濃い味付けやハイカロリーなお肉をおいしいと感じる味覚から、ヘルシーな味付けやお野菜をおいしいと感じる味覚へ変えていこう」という理論が展開されている。やり方はシンプルで、「食材を五感で味わうこと」。

思えばここ一年で味覚がすっかり変わってしまった。もともと野菜やヘルシーな料理が好きだったのに、こってりした味付けとかジャンキーなものを求めるようになっていた。お医者さんに「タンパク質を取ってね」と言われたので馬鹿正直に必死でお肉を食べまくっていたのもある。おまけにテレビでは豪華料理やらこってり料理の映像ばかり流れるし、美味しそうだと思わないわけがないし、いつの間にか影響を受けてしまっていたのだ。わかりやすい方へわかりやすい方へ、流れてしまっていた。

本の中では野菜がいかに美味しいかが語られている。野菜はもともと好きだし、美味しかったらなんでもいいのだ。どんどん野菜が食べたくなった。ていうか私、野菜の存在忘れてたな。野菜って美味しいよなぁ。野菜野菜、野菜が噛みたい……!

そうしてサラダやら煮物やら、素材の味を生かしたものを積極的に口にするようになった。テレビを観ながら食事を取るのもやめて(いつも寝室で一人で食べるから寂しくて観てしまうのだ)、味に集中することにした。集中! 集中! 集中!

食べながら、事細かに味を食レポしてみる。誰に伝えるわけでもないが、頭の中で「ほほう、この歯ごたえ!」「しみじみ美味しい…!」「春の味!」などと唱えてみるのだ。伝える相手はもしかすると自分なのかもしれない。自分の脳内へと直接語りかけていく。すると脳が喜び出す。まるでキャッチボールのようだ。味覚情報のラリーは続く。

この食レポ作戦は効果を発揮し、私の味覚はすぐに落ち着きを取り戻した。身体の方も元々「もうカロリーは結構」と信号を出していたのかもしれない。味覚を研ぎ澄ますと味に奥行きが増してくる。これは苦味があるなとか、微かな風味を感じるとか、ひそういう食材の基礎的なところに集中することができる。「味覚を洗練する」という行為自体も美食家っぽくて楽しいし、豊かな気持ちになる。

まるで『孤独のグルメ』だ。たった一人、目の前の料理に対峙して、黙々と味わう。人は孤独な時にこそ、本来の味覚を発揮できるものなのかもしれない。


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