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私の夢


挨拶と自己紹介

初めて読まれる方へ、初めまして。これまで私の詩や散文を読んでくださっている方へ、いつもありがとうございます。今回は、創作ではなく自身の実生活の中で得た考えについて発信できたらと思っています。私としては初めてのブログらしい記事だと思います。読み続けて頂けると幸いです。

※ここから文体が常体になります。

2023年12月現在、私は地方公立中学校に通う3年生だ。自分の住む都道府県の中でも過疎化の進んでいる辺鄙な場所に住んでいる。特に去年(中学2年生の頃)は学校が辛かったのだが(理由は後ほど書く)、今は高校入学が近くなってきたので何とか明るく生きられている。読書と詩作と字を書くことと哲学が好き。

改めて宜しくお願い致します。

私の夢

私の夢は、少し前までは「誰もが生きやすい社会、学びたいことを学べる仕組みを作ること」という、ひどく漠然としたものだった(量子コンピュータの実用化に貢献することや習字の先生になることにも憧れていたのだが……)。しかしながら、この12月に入ってから、何に触発されたのか、それがくっきりとした像を結び始めたのだ。それは、

私立の学校を創立する

ことだ。具体的に説明しようと思う。

日本の現状の教育について考えていること

一般に論じられていること

「日本の教育は、レベルの低い人たちを一定の水準に引き上げることを目標としているから、レベルの高い人は窮屈なはずだ」
小学校の面談で中学受験を勧めてくださった先生はこのように話されていたし、中学校に上がってもこのような話を親や先生などにされることは多かった。私自身もその通りだと思う。実際、知っていることばかりを聴かなくてはならない授業が全くの時間の無駄だと思えて、生産性のない時間が生ぬるい空気の中をあまりにも悠長に流れる教室に居続けるのが中学2年生の頃は特に辛かった。(ここ辺りからやや脱線しますが、せっかく書いたので残しておきます。興味のない方は読み飛ばしてください。)それに加えて同級生や担任教師とも諍いのようなものがあり、自傷行為に走り、授業を抜け出して保健室に度々逃げ込んだのもこの時期だった。保健室で私は知人に貰った高校の理科の教科書を開いたり、自分のノートに行き場のないまま溢れ出す負の感情を書き殴ったり、本を開いたり、別室でカウンセリングを受けたりなどしていた。泣きながら勉強し、身が入らないこともあったが、少なくとも教室にいるよりは断然良かったし、私が私でいられる数少ない場所だった。保健室の先生に迷惑をかけることと出席日数や授業の欠課等を気にしていたため(小学生の頃から心に決めた高校があり、未来を完全に潰したくはなかった)、できるだけ教室に行くようには努力していたが、2日間連続で別室登校をしたことが一度あった。当時の教師が私のいる部屋に来て、1時間丸々責めていたのだが、私は正直彼女の言っていることの意味がまるで解らなかった。
教師「月曜から来るの?(その時は金曜だった)」
私「わかりません。」
教師「えっ? どうするの? (私を侮蔑した笑い)高校に行ってもそんなんじゃ困るよ。」
内心の私(その時にならないとわからない。きついから行っていないだけなのに、どうして自分を殺してまで意味のない教室に行く必要があるのか?)
私「教室がきついんです。知っていることを50分も続けて聞くのが辛いのです……(この続きも言おうとしたが遮られた)」
教師「高校の英語と数学終わってるんでしょ、じゃあ高校に行っても保健室に行くの? 毎時間?」
私「そうとは限らないと思います。私の行く高校は数学の進度が早いと聞いたので、問題演習の時間が多いと思うのです。自分のペースで問題集を進められると思います。」
教師「それってただの予測でしょ?」
私「そうですけど、」
教師「それに、あなたにはコミュニケーション能力が足りてないの。自分を外界からシャットアウトするんじゃなくて、少しは周りの友達と話したらどうなの? 授業だけが重要なんじゃないんだよ。」
……などという会話が勉強か読書をしようと思っていた1時間丸々続いた。もう気が滅入ってしまった。
内心の私(授業に出ても出なくても会話の量は実質変わらないし。同級生はどうでもいいことばかりコロコロ話題を変えて話すけれど実のある会話もできないし。私は自分の精神の成長が私を侮蔑するだけの奴らの雑音で歪んでいくのが嫌なのだ。この一時的な逃避は、自分のためにどうしても必要な避難なんだ。もうこの先生はわからないから適当に流しておこう。勝手に教育者気取りしていればいいんだ。教育の何たるかも、吹きこぼれの心も知らないで。でも、あと2か月で退職だから、この先生にそんなこと今更教えても仕方がないや。要らないことにエネルギーを使うのはもう辞めにして、とにかくこの先生の言葉が私の心にまで届かないようにしよう。)
この決断は正しかったかもしれないし、間違っていたかもしれない。究極的にはどちらでもないが...…。自分を守ることはできた。だがあの時にわかりあうことを諦めてしまったせいで、結局社会の趨勢に抗う絶好のチャンスを逃してしまった。それだけの気力が自分に残っていなかったのかもしれないが。しかし、自分が苦しんだ以上、この流れをいつかどこかで止めなければならないとはいつも感じてきた。

違った子どもに違ったニーズ、教室はあまりにも狭すぎる

申し訳ない。少々脱線してしまった。まあ、こういった経験から、日本の教育を変えたいと思ってきたのだ。以前よく注意されていたのだが、授業中に問題集を解いたり本を読んだりして何が悪いのか? 「内職」が自分にとって最も効率のいいことなら叱られる必要もないはずではないか? 狭い教室に何十人もそれぞれ違う興味と能力を持った子どもたちを詰め込んで、全ての子どもが実のある学びをできる訳がない。私は哲学エッセイを書いて哲学グランプリというものに今年の夏応募したのだが、そういったことのほうが授業より楽しいと感じる。ここでする詩作もそうだ。しかし、学校で詩作や哲学論文の書き方を教えてくれるわけではない。将来科学者になる子ども、考古学者になる子ども、小説家になる子ども、通訳になる子ども、それぞれに適した教育は違っている。現状の教育ではそれが十分に達成できているとは言えない。

資本主義を目標とした教育

現状の教育は、無機質な「タスク」を文句を言わずに淡々とこなす人間を育てるのには適している。資本主義社会での労働者を大量生産しているようだ。ただ、これからの時代、機械やAIにとってかわられる仕事にほとんど意味はなくなってくるだろう。それに、資本主義は厳しい価格競争を生み、成功する者が少なくなる。そんな社会はどこかで確実に破綻してしまう。人間が争い合わずに生きていける社会と全く反対の方向に動いていってしまうのだ。私は人々が争い合うのではなく、それぞれの得意な分野を共有しあい、手を取り合って生きていく社会を理想とする。だからこそ、個人個人がそれぞれのポテンシャルを最大限に高める教育が必要なのだ。

モンテッソーリ教育とは

さて、そんなことを思っている私だったが、父から先日「モンテッソーリ教育」というものを教えてもらった。詳しくは調べて頂きたいのだが、簡単に言えば、子どもを「観察」し、個人個人の興味・関心に合った主体的な学びを提供することだ。教室という単位ではなく、一人ひとりの単位で教育を考えているところが自分の理想の教育と共通していると考えた。このような教育を普及させたいと思った。調べてみると、この教育方針を掲げるのは幼稚園或いは保育園が圧倒的に多く、小中学校は関東以外にはあまりみられない。私の住む地方にも、幼稚園や保育園は多くあるが、小中学校はないようだった。優れた幼稚園に通っても、一般の小学校・中学校に行ってしまうのはとても勿体ないと思った。そこで、私は決意した。

私はこの地方に個人を尊重する教育方針の私立小中一貫校を設立する。願わくば、自らの故郷であるこの町に。

どうして過疎化の進む町に建てようと思ったのか。その理由は、まず、自然の精神に与える影響は大きいと考えるからだ。養老孟司の本を読んでいただければと思うのだが、私は自然豊かなこの町に生まれ育って本当によかったと思っている。人生の中でも特に重要な幼年期に、高層の建物ばかりが立ち並ぶ中、常に排気ガスを吸っていては、やはり心身への影響が心配だ。
二つ目の理由は、この街を活性化させなければならないからだ。若年人口が地方から都市部へと移動して、過疎・過密が加速していることは軽視すべきでない大きな問題であり、地方でも都市でも数々の弊害が引き起こされている。多い人口を狙って多くの企業は都市部に集中する。しかし、こういったことがさらに過疎過密の問題に拍車をかけているのではないだろうか。日本の教育が変わらないのも、過疎過密が深刻化するのも、趨勢に逆らおうとせず、いつまでも傾向に流されているからだ。勿論そうではない人もいる。しかし社会の流れに抗おうとしない人が大半を占めている。ここに問題がある。問題が起こっているのだから、中2のあの時の私のように「仕方ない」と闘うことを放棄し、その中で安全な方策をとるのではなく、問題の根本をあくまでも解決しなければならない。海外大進学を夢見る私が、それでも日本に最終的に戻ってきたいのも、そうした理由が背景にある。負の連鎖について、誰かが「断ち切ろう」と声を上げ民衆を主導していかないといけない。その誰かに私はなりたい。

今のところ考える具体案

父が「いきなり経営から始めるのではなく、一度そういった学校に勤務してノウハウを身に付けた後に、設立した学校の校長になれば自分の思うような経営ができるだろう」と言っていた。また、あるモンテッソーリ教育の機関に問い合わせ、幸運にもレスポンスがあったのだが、それによると、モンテッソーリ教育の学校は文部科学省の認める「一条校」ではないので、一般の教員免許が不要なようだ。但し、AMI(国際モンテッソーリ協会)のDiploma資格をとる必要があるということだった。モンテッソーリスクールを開くために. 国からの許可や認可を取ることは必要ないらしい。「2,3年アシスタントとして教室に入って仕事を覚え、その上でヨーロッパへ資格を取りに(1年)行く」ことを勧められた。

この町は小学校の統合や旅館等がなくなることが予想されるため、空いた建物を有効活用したい。

学校経営については、個人指導を原則とした指導、5教科・9教科或いは文系理系に縛られない多様な学問の中から選べるようにすること、外国語は発音と自然さを重視し生の教材を積極的に活用すること、実体験の中から考えながら学ぶこと、寮も可能であればつけること、美術館、博物館など希望する者には行く機会を与えること、制服を定めず服装を自由にすること(あるいは制服を着るか着ないかは個人の判断に任せること)、登校時間は遅めにすることなどを考えている。アドバイスや提案がある方は是非コメントいただきたい。

この夢に向かってひたすらに邁進したいと思う。脱線ばかりしていたが、この記事が皆さんの心に響くことを願っている。お読みいただきありがとうございました。

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