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組織という乗り物に乗る君を

 アメフトやったことないの人々が、ここぞとばかりに持論を展開していますね。私は何も言えません。相撲もアメフトも一回もやったことないので、想像に想像を上塗りして、正義を語る。それこそ、スポーツマンへの敬意を欠いた野次ではないでしょうか。

 組織に属す。チーム、学校、会社に。私は会社として、個人として、先輩後輩、旧知の人に対して、これらごちゃ混ぜの界隈に対して、様々な立ち位置で言動することが最近多くなってきました。

 乗り物という比喩で表現されることも多い企業やチームなどの組織。恐らく、vehicle(四駆)という色々な成果物の集合というビジネスコラムなどからの影響かと思われます。https://www.entrepreneur.com/article/181944

物理的に目標に向かって車が進むということと、会社が経年的に前を目指すということが文脈的に比喩として考えやすいという点もあることでしょう。

 言いたいことは、シンプルだと考えております。
時に乗り物がすごい高性能(会社評価が高いなど)という認識とそれに乗る個人がすごい(君はいい技術者だ!比類なき文才ですね!など)ということを混同していることが多いなと。

 鶏口牛後など先人の思考も関連して、読売巨人軍の2軍下位打線打者か社会人野球優勝チームの不動の4番どちらが優れた個人か。

 私が個人として、優れた“運転手”であるという認識と、乗っている“車”が高性能かどうかは別議論であるべきだ。
組織=個人の集合であるため完全に分断して考えるのは難しいのだが、

 また、あなたという“運転手”の技能を惜しみなく発揮するその乗り物が目指すところが、ある点であなたが達成感を感じると想定する目標点と同じかどうかを見定めることも大切であろう。

 将来のある地点で、乗り物が向かう先が誤っていた時(そう後悔を感じた時)、あなたの運転スキルは過ちを最大化するだけである。「この大きい乗り物自体の舵取りを私はやる力がある!」それに猛進するあなたは一方で美しいと信じたい。  

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