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ネガティブにたゆたう

以前、このようなポジティブな記事を書かせて頂いた。

すべてに染まる白で、

すべてに染まらない黒でありたい、と。


この"強い"私は、

私の"自然"な部分の1つでありながら、

私が"わざと創り出す"部分でもある。


現実世界で、口達者な私は、

その裏にある"弱さ"をフォーカスされることは、

ほとんどない。

周りからは、

強い女性、厳しい女性、怖い女性だと思われている。


だから、せめて、noteでは、

その弱い私を少しずつ言葉にできればと、前から思っていたので、

今日は、ネガティブな記事を書きます。

ごめんなさい。。。苦手な方は、この後スキップして下さい。



自分を見つめれば見つめるほど、

他人という鏡で自分を映せば映すほど、

中途半端な自分、至らない自分の存在を、思い知らされる。


研究室で、博士後期課程学生として、日々過ごす中で、

自分の存在意義、存在価値について、考える。

最も、他者からの言葉で、思考ループは誘引される。

「wisteriaさんは、何でもできる。」

「wisteriaさんは、優秀だ。」

「wisteriaさんは、賢いのに、謙遜しているだけだ。」


私は、あの人に比べて、劣るのに、、、

ただでさえ、日本は、

ガラスの天井、、、いや、鋼鉄の天井なのに、

女性研究者として、できるのか?


私が研究室にいる意味は、なんだ。

私のやりたいことって、なんだ。

私は、何を成し得ているのか。

私は、誰かに必要とされているか。

私は、ここに存在しなくてもいいのではないか。


こんなネガティブに考えるようになったのは、

てんかんを発症したから。

もし、私にてんかんがなかったら、

もっと自由に、やりたいことがあった。

もっと勉強したい。実験したい。

もっとゲームもしたい。

気の置けない友人たちと、オールしてみたい。

夜行バスに乗りたい。

もっと旅行にも行きたい。海外にも行きたい。

何も考えることなく、ただ安全に自動車も運転したい。


時々、てんかんを含め、

精神疾患・神経疾患をもつ人は、

頭がいい、なんて言う人がいる。

それは、紙一重という意味合い。

これまで生きてきた中で、

一番の侮辱の言葉を、何も知らない顔で浴びせられる。

その上、急に倒れるから困る、などと、

差別・偏見の圧をかけられる。

だから、私は、色んなところで、線を引く様になった。

他人との関わり合い方も、

自分の可能性も。


(科学的根拠はありませんが)服薬による、多少の性格変化、、、

怒りっぽくなったり、悲しくなったり、

粘着質になったり、鬱っぽくなったり、

急に楽しくなったり、、、


本当の私は、どこ?


"私"って、、、なに…?



ネガティブにたゆたっている中で、

気を抜き過ぎて、浸りすぎると、溺れそうになる。

でも、その時が、

息をしている自分に気付き、

そして、それでも息をしたい自分にも気付ける瞬間。


空気の泡がはじけ、

上体を起こすために、何かを掴みたいのに、

そんな掴む場所が無い中で、

肺に水が入りそうになりながらも、

必死に顔を上げる。


私のネガティブに対する答えはないけれど、

結局、私だけじゃない、

みんな、その繰り返しで、息をしている。


そう思うと、

ふと力が抜けて、再度、たゆたえる。

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